■吉田・リッジウェイ合意
新護衛艦かが竣工はいよいよ来週22日水曜日となりました。しかし全通飛行甲板への最初の構想は非常に古く、海上自衛隊創設前まで遡る事が出来ます。
ヘリコプター搭載護衛艦はるな型の護衛艦はるな、ひえい、ヘリコプター搭載護衛艦しらね型の護衛艦しらね、くらま、海上自衛隊は四隻のヘリコプター搭載護衛艦を1973年から1981年に掛け建造しました。大型水上戦闘艦へ艦砲と大型ヘリコプター3機を集中運用する四隻は、第一世代型ヘリコプター搭載護衛艦と区分でき、現在くらま、のみ現役です。
全通飛行甲板型護衛艦として2009年より、ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦の護衛艦ひゅうが、いせ、続いてヘリコプター搭載護衛艦いずも型の護衛艦いずも、が竣工し来週にも二番艦かが、が竣工、護衛艦くらま、と交替しヘリコプター搭載護衛艦が世代交代します。ひゅうが型は満載排水量19000t、いずも型は満載排水量27000tと大型化しました。
しかし、海上自衛隊創設へ向けての日米交渉において、早い時期から我が国へは全通飛行甲板型の艦艇導入が模索されていました。勿論、ヘリコプター搭載護衛艦のようなものではなく、当時の対潜戦闘における重要な洋上母艦、護衛空母、この貸与をアメリカ海軍へ要請していたといわれ、極東地域での戦力空白を憂慮したアメリカは真剣に検討しました。
Y委員会、内閣直属の特務組織であり、当時の吉田茂首相と連合国軍最高司令官マシューリッジウェイ大将との間でのフリゲイト18隻と上陸支援艇50隻を貸与することでの海上警備能力再建と米軍供与艦艇配備の調整機関として1951年に発足、旧海軍高級士官8名と海上保安官上層部2名が委員を務めました。当時は朝鮮戦争中であり海上防衛は急務でした。
アメリカ海軍主体の海上自衛隊創設交渉、この調整にあたった日米Y委員会では、ボーグ級対潜空母へ対潜哨戒用ヘリコプターとグラマン固定翼対潜機を搭載すると共に旧海軍の阿賀野型軽巡洋艦を原型とする防空巡洋艦を建造、複数の護衛駆逐艦と共に対潜掃討部隊を構築する案が朝鮮戦争とソ連潜水艦脅威を睨み、船団護衛用に真剣に検討されました。
Y委員会の中心は旧海軍省第二復員局部課長級で、海軍再建へ報告書“新空海防衛力建設について所見”をアメリカ極東海軍司令部に提出しました。航空機1800機及び艦船28万tと要員10万名規模の空海軍兵力を8ヶ年で整備、吉田茂首相とマシューリッジウェイ大将の合意、フリゲイト18隻と上陸支援艇50隻の貸与はあくまで第一段階との位置づけです。
阿賀野型軽巡洋艦は基準排水量6000トンを基本として15cm連装砲3基と61cm四連装魚雷発射管2基および水上機2機を搭載する水雷戦隊旗艦用として要求され、基準排水量6600tの船体を持て建造された大戦時の艦です。阿賀野、能代、矢矧、酒匂と建造されましたが酒匂を除き戦没、酒匂は原爆実験標的艦となり戦後に戦没しまして、新造の構想です。
ボーグ級航空母艦は基準排水量7800tの護衛空母で、大戦中に45隻が量産され大半がイギリスへレンドリース法に基づき貸与されたものです。護衛空母とは正規空母よりも小型で速力を抑えつつ量産性を重視し、特に船団護衛任務に際し、空母艦載機による対潜哨戒を行う用途の艦艇ですが、大戦後半は海兵航空部隊の母艦となり、対地攻撃に用いられます。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
新護衛艦かが竣工はいよいよ来週22日水曜日となりました。しかし全通飛行甲板への最初の構想は非常に古く、海上自衛隊創設前まで遡る事が出来ます。
ヘリコプター搭載護衛艦はるな型の護衛艦はるな、ひえい、ヘリコプター搭載護衛艦しらね型の護衛艦しらね、くらま、海上自衛隊は四隻のヘリコプター搭載護衛艦を1973年から1981年に掛け建造しました。大型水上戦闘艦へ艦砲と大型ヘリコプター3機を集中運用する四隻は、第一世代型ヘリコプター搭載護衛艦と区分でき、現在くらま、のみ現役です。
全通飛行甲板型護衛艦として2009年より、ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦の護衛艦ひゅうが、いせ、続いてヘリコプター搭載護衛艦いずも型の護衛艦いずも、が竣工し来週にも二番艦かが、が竣工、護衛艦くらま、と交替しヘリコプター搭載護衛艦が世代交代します。ひゅうが型は満載排水量19000t、いずも型は満載排水量27000tと大型化しました。
しかし、海上自衛隊創設へ向けての日米交渉において、早い時期から我が国へは全通飛行甲板型の艦艇導入が模索されていました。勿論、ヘリコプター搭載護衛艦のようなものではなく、当時の対潜戦闘における重要な洋上母艦、護衛空母、この貸与をアメリカ海軍へ要請していたといわれ、極東地域での戦力空白を憂慮したアメリカは真剣に検討しました。
Y委員会、内閣直属の特務組織であり、当時の吉田茂首相と連合国軍最高司令官マシューリッジウェイ大将との間でのフリゲイト18隻と上陸支援艇50隻を貸与することでの海上警備能力再建と米軍供与艦艇配備の調整機関として1951年に発足、旧海軍高級士官8名と海上保安官上層部2名が委員を務めました。当時は朝鮮戦争中であり海上防衛は急務でした。
アメリカ海軍主体の海上自衛隊創設交渉、この調整にあたった日米Y委員会では、ボーグ級対潜空母へ対潜哨戒用ヘリコプターとグラマン固定翼対潜機を搭載すると共に旧海軍の阿賀野型軽巡洋艦を原型とする防空巡洋艦を建造、複数の護衛駆逐艦と共に対潜掃討部隊を構築する案が朝鮮戦争とソ連潜水艦脅威を睨み、船団護衛用に真剣に検討されました。
Y委員会の中心は旧海軍省第二復員局部課長級で、海軍再建へ報告書“新空海防衛力建設について所見”をアメリカ極東海軍司令部に提出しました。航空機1800機及び艦船28万tと要員10万名規模の空海軍兵力を8ヶ年で整備、吉田茂首相とマシューリッジウェイ大将の合意、フリゲイト18隻と上陸支援艇50隻の貸与はあくまで第一段階との位置づけです。
阿賀野型軽巡洋艦は基準排水量6000トンを基本として15cm連装砲3基と61cm四連装魚雷発射管2基および水上機2機を搭載する水雷戦隊旗艦用として要求され、基準排水量6600tの船体を持て建造された大戦時の艦です。阿賀野、能代、矢矧、酒匂と建造されましたが酒匂を除き戦没、酒匂は原爆実験標的艦となり戦後に戦没しまして、新造の構想です。
ボーグ級航空母艦は基準排水量7800tの護衛空母で、大戦中に45隻が量産され大半がイギリスへレンドリース法に基づき貸与されたものです。護衛空母とは正規空母よりも小型で速力を抑えつつ量産性を重視し、特に船団護衛任務に際し、空母艦載機による対潜哨戒を行う用途の艦艇ですが、大戦後半は海兵航空部隊の母艦となり、対地攻撃に用いられます。
北大路機関:はるな くらま
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