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【G7X撮影速報】ベトナム海軍チャン-フン-ダオ堺親善訪問.日越国交45周年(2018-10-05)

2018-10-07 20:08:39 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■アンゴルモア-大越元寇合戦記
 アンゴルモア-元寇合戦記放映記念というわけではないでしょうが艦名チャン-フン-ダオは大ヴェトナム帝国の将軍です。

 NHK“歴史秘話ヒストリア”“蒙古襲来の真実-鎌倉武士-最強の秘密”という番組が放映され、10万の大軍を相手に武士1万がいかに戦ったかについて、最新研究と共に鎌倉武士の奮戦と苦闘を紹介していました。蒙古軍、元帝国は当時欧州から中東まで侵略しました。

 チャン-フン-ダオ,日本を初訪問したヴェトナム海軍フリゲイトの艦名ですが、チャン-フン-ダオ将軍は陳朝大越の将軍で、初代国王の甥にあたる王族の一人でもある。そして蒙古襲来という鎌倉時代の日本国際関係史上の一大事件とも、実は間接的に関係しているという。

 アンゴルモア-元寇合戦記, たかぎ七彦氏原作の蒙古襲来下の対馬武士と派遣された元御家人等流人の対馬での激闘と奮戦を描いた漫画作品で、主人公朽井迅三郎を小野友樹さんが、輝日姫をLynnさんが演じ、本年の夏アニメとして放映され、大きな話題となりました。

 日本は元の二度にわたる侵攻を九州での徹底抗戦と僅かな僥倖により、掴んだ戦機を離さず撃退に成功したという事実は我が国でも教育の場において広く学ばれるところですが、実はこの広い世界にはもう一つ、日本と同じく元帝国の侵略を撃退した国があるのです。

 陳朝大越、大ヴェトナム帝国、蒙古侵攻を二度に渡り撃退する。元帝国は機動戦を実現する騎馬戦術と異なる言語の民族軍を今日の通信符丁にあたる銅鑼と喇叭により統制する集団戦術を併用し、欧州平原等現代に戦車戦が起きうる地形では圧倒的な威力を発揮出来た。

 皇帝仁宗、大ヴェトナム帝国第三代皇帝は1257年の蒙古侵攻を何とか食い止めるも1282年に再度モンゴルは元帝国と国名を改め、遥かに大きな戦力を以て侵攻した際、余りもの圧倒的な兵力差から一時は元帝国皇帝フビライへ降伏を真剣に考え、思い悩んだという。

 チャン-フン-ダオ将軍は、戦わずして降伏するならば先ず私を含め国軍将軍を斬ってほしい、として皇帝の迷いへこれを諫め、勇気づけられた行程は国軍最高司令官にチャン-フン-ダオ将軍を任じ徹底抗戦を命じたという。そしてヴェトナムの地形は錯綜地形が全土に広がる。

 チャンパ王国として当時ヴェトナムは北部の陳朝大越と南部のチャンパ王国へ分裂状態にありましたが、元帝国がこの南北両国を二方面作戦で同時侵攻した為、兵站線が長く伸びており、チャン-フン-ダオ将軍が重視したのは国土錯綜地形を活かした近接戦闘の強要です。

 諭諸裨将檄文という過去の戦史から少数精鋭主義と戦術運用に緊要地形等の重要性を説いた激励を国軍に広く説いたチャン-フン-ダオ将軍、文武両道の将軍だったといえます。しかし、日本の元寇蒙古襲来が数日、続いて数か月の二度だったのに対し大越侵攻は長引いた。

 白藤江の戦いとして戦いが始まって六年目の1288年、遂に元軍は大規模な撤退に転じます。中国とヴェトナムは陸続きとはいえ、消耗戦が限界に達したのでしょう。しかし、元軍には撤退戦の経験が不充分であり、その甘い認識は士気旺盛な大越軍により打ち破られます。

 白藤江へ撤退中の元軍は渡河準備に手間取り9万もの大軍が河岸に凝集し身動きが取れない状況下、ここに勝機を見出した大越軍は最大規模の総攻撃を受けます。元々渡河点を研究し、川底に多数の障害物を配置する等万端の準備と共に攻勢に転じ、殲滅に成功します。

 尚父という称号を受けたチャン-フン-ダオ将軍は皇帝の信任と共に臣民に広く慕われ、第四代皇帝陳英宗は晩年のチャン-フン-ダオ将軍を自ら訪れ、快方を願ったともいう。アンゴルモア-元寇合戦記コラボではありませんが、粋な艦名の艦艇日本親善訪問といえましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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