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【京都幕間旅情】時代祭-平成最後の京都三大祭を往く,河原町御池の維新勤王隊&維新志士列

2018-10-24 20:02:10 | 写真
■時代祭,京都G7X撮影速報
 平成最後の年となりました京都、密かに今上陛下のご退位の後には上皇陛下としてお戻りいただければ、と願う今日この頃です。

 時代祭を撮影しました、平成最後の時代祭です。1895年に平安遷都を記念した平安神宮創建と共に始まった祭事で、祇園祭、葵祭、と並ぶ京都三大祭となっています。京都御所から京都市役所前と三条大橋を経て、平安神宮へ行列が巡幸するという秋の風物詩という。

 桓武天皇と孝明天皇の御霊を御輿とともに洛中を巡幸する行事、1895年からの祭事ですのでまだ百年と少々の歴史しかありませんが、京都遷都から東京遷都へ繋げた感謝として造営されました平安神宮の神事、御輿と共に明治維新から平安朝までの時代行列が続きます。

 尊王攘夷、現代訳したならば天皇陛下万歳、外国人いてまえ、というそれはそれで物騒というか凄い言葉です。時代祭の行列は明治維新の維新勤王隊から始まります。騎馬の指揮官と鼓笛隊と共に当時最新のミニエー銃を携行する小銃部隊が京都市内を堂々歩んでゆく。

 京都市役所前、御池通を河原町通へ時代行列が進む情景を撮影です。京都市役所は昨年から耐震補強工事を進めており、成程平成最後の時代祭を記録するには、数十年に一度の改修工事の模様と共に撮影しましたらば、この年に撮影したものと後世も判別できましょう。

 京都三大祭の一つ、平安遷都は794年10月22日に挙行されたというもので、この日は月曜日、しかし前日日曜日の八尾駐屯地祭や姫路駐屯地祭や国際金融学会を断念してお仕事しまして、月曜日の時間を創った構図です。日曜日、行きたくともカメラ修理中であった。

 PowershotG7Xmark2が脱落し破損した。CANONのコンパクトデジタルカメラの中では屈指の性能を誇るのですが、カメラストラップ用のアタッチメントが小型過ぎ、半年使わないまま摩擦で切断し落下してしまったという、落下は保証外という事で少々泣きました。

 CANON定額修理料金は27000円、ちょっとこの金額は痛い、27000円あれば、ぷらっとこだま新幹線で東京往復と一泊、つまり入間基地航空祭往復交通費と宿泊費にほぼ相当する費用です。あのアタッチメントの細さは欠陥ではないのか、なんとなれ27000円は痛い。

 観閲行進でFH-70榴弾砲やUH-1J多用途ヘリコプター大編隊も撮影したいが、何しろカメラ修理中で無理、諦めてたところでカメラ修理完了のお知らせ、じゃあ近場で。何処からどう撮影するか、自衛隊行事撮影の経験を活かすべく準備し、いそいそと時代祭撮影へ。

 平安神宮の祭神は平安遷都の桓武天皇と幕末動乱期の孝明天皇、昔京都御所を出発する情景を撮影すべく事前現地調査を行ったのですが、基本的に招待席が大半を占めますので、撮影には脚立が要る、しかし脚立はその後の撮影へ陣地変換に物凄く荷物になってしまう。

 EOS-7Dmark2にEF18-200mmISレンズ一つ取り付けて、EOS-KissX7は今回御留守番、修理成ったPowershotG7Xmark2とを一番身軽なカメラバックに収めて、気軽に撮影へ臨んだのですが、流石にこの日お祭りで、河原町通界隈のご飯屋さんは混雑しているなあ。

 富士総合火力演習を思い出して当日の午前二時には撮影位置に進出し、折り畳み椅子と防寒具で朝になるまで丹念に場所取りとを行い万全の撮影、という変なことはせず、交通規制10分前に事前予定していた河原町御池の交差点付近に進出し、撮影しました次第です。

 明治維新時代の時代装束とともに始まる時代祭行列、この撮影角度は千僧駐屯地祭に真駒内駐屯地祭や帯広駐屯地祭なんかで毎回の撮影角度と重なる場所ですね、行列を望遠レンズの圧縮効果でしっかりと撮影することができる。快晴の秋晴れと共に撮影状況開始だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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