北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

あの日から十年,3.11東日本大震災追悼【5】百年後も覚えていてほしい-あの日の出来事を

2021-03-11 20:11:03 | 防災・災害派遣
■十年前の今日,それは起こった
 百年後も覚えていてほしいものです、あの日の出来事と如何に行動する事で生命が助かり社会が続くのかを。

 小松左京の“日本沈没”を読んだのは小学生の頃、長野県戸隠高原のスキー場の旅館、テレビは無いが大きな暖炉のある、小説でも書き上げたくなるような旅館の大きな書架にありました。丁度児童文学の本に“三陸の大津波”と“チェルノブイリ原発事故”を掲載した本が学校にありまして読んだ頃合いですので、あの描写には驚かされるものでした、が。

 あの“東日本大震災”から本日で10年となりました。考えてみれば、あの日に小学校の卒業を迎えた皆さんは大学卒業学位授与を迎えている頃合いでして、いやはや十年一昔とはよく言ったものだ、と感慨深いところ。2011年と2021年、大きく変わった所もあればそうでないところもある、しかし津波の危険への認識だけは、風化させてはならないですね。

 東京撮って、NHKがこう叫んだのを思い出します。東日本大震災当時は民主党菅(かん)内閣が外国人献金問題に揺れている最中で、職場情報収集用のTVはNHKが点いていましたが、ここに緊急地震速報が鳴り響きました。東北が揺れるという、この数日前にも地震が在った事を思いだし、遂に宮城県沖地震が発生したか、と身構えました。長年警告された。

 宮城県沖地震、1970年代に発生した地震は私より前の世代の地震なのですが、三陸地方は昔から地震が多いという例示の一つに周期的に発生している地震です。想定マグニチュードは7.9で実際5m規模の津波が発生する危険性があるのですが、あの日発生した東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9、速報値は8.3でしたが、ニュース速報に驚かされます。

 東北地方太平洋沖地震は、緊急地震速報と東北沖の地震であるにもかかわらず東京が大混乱に至る程の揺れがあったのをNHKが中継、これはただ事ではないぞ、と、しかし仕事の調整を大車輪で進める算段を立てている最中に、こう、ゆっくりと、錯覚かな、いや、と頭上の照明が揺れ始めまして、遂に来たか、1000kmの距離を隔てて地震に遭遇しました。

 1000km離隔すれば、被害なんぞはありません、いや地震そのものの被害は、と限定して云うべきでしょうか、横にゆっくり引っ張られるようなこう船酔いを誘う様な妙な体験というものでして、阪神大震災の兵庫県南部地震も大阪府北部地震も経験しているのですが、いずれにせよ妙な不可思議な揺れを経験したのはあの一度だけでした、しかし、という。

 NHK,無音のテレビ。重要な情報を報道するNHKが突如無音になりまして、誰か消音スイッチを押したのかと訝ってみましたが、直後に電子音が断続警報を表示するとともに、画面片隅、見慣れた日本地図が表示され“大津波警報”“津波警報”“津波注意報”と表示されたのですが、驚いたのは沖縄県まで津波警報、そして大阪湾は注意報、伊勢湾に警報が。

 2004年インド洋大津波、これは知人が危ない所に居た、という出来事が在りまして、親戚宅がやられたとか、そういう津波が起こりうること、余所事ではないことは知っていたのですが。続いて近鉄が津波警報を受け運休となりまして、その津波は実は1000kmを隔てていても、全く影響がない訳ではないという事を認識させあっれましたが、その先には。

 津波は威力があるという予備知識はありましたが、なにしろ海から30km以上を隔てて生活する故に、スマトラ沖地震インド洋大津波の報道に接するまでは実感として危険性を認識できるものではありませんでした。報道映像は、受け留めるには想像力を必要とするものであり、一つだけ分かる事はこの瞬間に戦後史は分岐点を迎える、歴史的な災害だ、と。

 災害規模は、私自身は被災地へは行く事はありませんでしたが、応援に派遣された消防の穴埋めに消防団が大変な事になったり、自衛隊の派遣部隊車列をこんなところからも、と驚かされる等の出来事が続きましたが、数日後、遠方から来客がありまして京都駅まで行きましたところで号外が、福島第一原子力発電所で大規模な爆発が在った新聞号外でした。

 東北地方太平洋沖地震は、再度三陸に津波がやってくる、という懸念は主旨ではありません、環太平洋地域火山性地形弧状列島に位置する日本列島では、どの地域でもいつかは確実に巨大災害に見舞われる、という事です。多くの方が亡くなられ、また今も悲しみが続く最中ではあります。しかし、こうした災害が在り得る地域なのだ、という認識は常に。

 震源から1000kmを隔てている当方はやはり傍観者の一人でしかありません。それでも追悼の念を深く持ちたいという心持は、いずれ当地にも巨大災害はやってきます、故に自分と家族と大切な人たちが生き残れるように、出来る事をやっておこうという認識を改めて考える故に覚悟を改めるべく、心から冥福を祈りたいと思います。次の巨大災害に備えて。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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