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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

あの日から十年,3.11東日本大震災追悼【4】危機管理の概念とリスクコントロールの概念

2021-03-10 20:11:55 | 防災・災害派遣
■必ず来る次の”3.11”へ
 東日本大震災から明日で十年という今日、今この瞬間にも次の巨大災害が生じる可能性はありますし、現在のCOVID-19は対応を誤ればそれ以上の災厄となっていました。

 東日本大震災。この巨大な災害と多大な犠牲を生じさせた一つの分岐点から、十年を経た今日、私たちの社会や政治、価値観や文化はその教訓を活かせているのでしょうか。東日本大震災は戦後史という観点に幾つもの転換点を示すこととなりました。一つは平時と危機というものの分水嶺が存在すること、一つは危機管理という考え方、勿論ほかにも。

 危機管理の概念、これは戦後日本史において確かに存在していましたが、危機管理を構想する土台というものの概念が、単なるリスクコントロールという水準に留まっていたのではないのか、即ち危機の語原たるクライシスがギリシャ語の"切れている"という意味を持つものでしたが、東日本大震災以前には"切れている"事への対処を充分考えていたか。

 クライシスというよりはリスクコントロール、切れている突発状況に対処するのではなく切れないように措置するという段階に留まっていたのではないか、こうかんがえるのです。しかし、あの巨大な津波は、想定したままに日常を過ごすことは出来ません、リスクコントロールにあの水準の津波を盛り込めば、日常で沿岸部に営みを築く事は不可能です。

 リスクコントロールはまさに切れさせない事なのですが、問題は日本社会が東日本大震災の後に組み立てている危機管理体系、これは法制度でも社会的価値観でも、ですが、クライシスへの対応ではなく、最大規模の災害を東日本大震災に定めた上で、単にあの規模の災害を日常の出来事として無理にリスクコントロールしようとしているのではないか、と。

 民主主義国家ですので、この判断の分水嶺をクライシスかリスクコントロールとするかは為政者ではなく為政者を選ぶ有権者の責務です、しかし後者を選んでいる状況はないか。一例として、原子力発電への過剰な警戒感が挙げられる。もちろん東日本大震災の福島県を中心に甚大な被害を及ぼした福島第一原発事故は忘れてはならない災害です、しかし。

 リスクコントロールの視点から、恰も次の災害が間近に迫っているが如き当時の菅(かん)内閣の政治的判断による全国一律原子力発電停止は、続く無計画な再生可能エネルギーへの電力費用定額買い付け制度を定着させ、産業の基盤と言える電力価格は高騰、先端通信やサービス産業よりは製造業に軸点を置いていた日本産業は競争力を失い、今日に至る。

 危機管理というものを再検討するべきではないか、クライシスに備えるのではなく単にリスクコントロールという平時の感覚をそのまま平時に起こり得る災害の上限をそれまでの阪神大震災水準から東日本大震災水準に上げただけ、規制制度が平時に増えた部分に相応として社会が息苦しくなった、こうした印象も拭えません。社会はかえって脆弱に。

 災害への脆弱性を増したのではないか、こう考えるのは東日本大震災を平時に起こる最大の災害と考えた場合、当たり前ですが危機と平時の切り替えという前提が成り立たないのですが、同時に東日本大震災は津波と原子力事故が最大の被害を及ぼしていた災害でしたので、日本の災害史を俯瞰すれば火山災害や直下型地震という別の比重をもつものも多い。

 危機管理、リスクコントロールとクライシスの混同というべきでしょうが、もしくは防災減災と危機管理を混同している、といえるのかもしれません。危機は切れている状態という語原を紹介しましたが、なにが切れているのかは子細を敢えて示していません、これは語原ではなく用語として定着した背景になにが起こるか判らない事を暗に盛り込んだ。

 防災減災という概念は、例えば地震、例えば水害、例えば火山、危機対処要領を予め具現化して対処するものです。このあたりは日本は得意だ、アメリカも得意です、こういうのもアメリカのオレンジプラン、日本の"あ号計画"にあげられるように仮想敵国を予め明確に示した上で必勝計画を示すという、いわば日本もアメリカも王道をいっていました。

 しかし、日本もアメリカも得意の分野ではあるのですが、それはプランニング段階のものであり、結局、あ号計画もオレンジプランもその存在が国際関係に不協和音を来しただけで、正確な作戦計画としてはともに意味のないものでした。一方、危機管理という概念で進んでいた国がありました、それはイギリスです。イギリスは危機を定形化しない。

 危機管理、イギリスは敢えて定形化された対処計画を演練するだけではなく荒唐無稽な状況を敢えて取り入れ、判断力を取り入れる対応策を採ってきました。これは単に軍事における分野のみならず政治家を参画させての想定外の事態に対応するための訓練体系を枠組として構築しています。この災害にはこの対処を、ここに留まらない対策が日本も必要だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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