■椛いまいちばん輝くとき
仁和寺を拝観する際に紅葉の季節となりますと風景というものも歴史と並ぶほどに一つの関心事と思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/01/b3ed15c7d094c9dd725b8d4bd30ac95f.jpg)
仁和寺の伽藍は江戸時代に徳川家光の支援により応仁の乱から漸く再興されたものなのですが、二条城に天皇の行幸を仰いだ徳川家光の京都上洛は江戸時代という徳川幕府治世安定を象徴させる一大事業であり、この際に決定された寺院の再興には大きな意味がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/82/e2658c550e132aafb1d85a29bbf4d22f.jpg)
二王門は重要文化財に指定されていまして、これこそ寛永18年こと西暦1641年から正保2年の西暦1645年にかけ再建された、徳川家光の京都上洛と云う国家事業そのものを示す、そんな雄大さが有ります、鐘楼に経蔵と御影堂中門など再建されたのもこのころという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/84/0b11846b0f0d12ecace9cdd4a74a53d0.jpg)
金堂は国宝に指定されていますが、建物底の持は更に古く慶長18年こと江戸時代初期の西暦1613年に造営された京都御所正殿の紫宸殿を一宇したものです、つまり江戸時代初期の宮廷建築が、多少仏教建築としているとはいえ、移築した事で現存しているのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b4/d349882219ddf01638bb7150a103dc5b.jpg)
五重塔も重要文化財に指定されていますが、こちらは寛永21年こと西暦1644年にそのまま新しく再建されたもので、高さは36.18mといいますから、ウルトラマンなみの高さ、となります。歴史を巡っている、まさにこの感覚に尽きると共に、その情景を写真に収める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4f/4d4bb161ea4d024e9984716c2a9598b6.jpg)
紅葉と京都の写真は一瞬で決まります、いやこの一瞬というのは比喩でも何でもなく五分で、いや下手をしますと数十秒で変わってしまう。これはへんな話かもしれませんが、山頂ご来光、この感覚に近い、一瞬光が射したかと思うと十秒後には、というあれですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/09/9f2f96f2cfdd0b87b6e7a7d01d5ea53e.jpg)
桜の写真とは根本から違う何かがある、桜は春を告げる、つまりこれまでの冬を乗り越えた木々の芽生えという、なにもないところに活気が戻ってくる爛漫という表現があてはまるような、つまりこれから勢いを増すという一年の風景の序章のようなもの、対して。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/74/98758244413137308a1eb50607d40eac.jpg)
爛漫という単語は春には用いますが秋の紅葉には用いない、それはこれから冬に向かい、最後の鮮やかな風景を示すためです、そしてこれが太陽とどういう関係があるかと思われるかもしれませんが、春は桜の花々以外に太陽の光を遮るものはないものの、秋には。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/53/2665a4268793f43d195dc6317d819faa.jpg)
錦秋という単語が用いられますが、秋は太陽光線を遮蔽するものが多い、これが紅葉の写真を左右してしまう、ということです。そして秋というのは太陽の傾きが急に変化する、いやだから冬が近づいているという逆因果関係なのですが、これが紅葉の写真にひびく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/78/6ff8fbce5e5719aa4fb313d7d63bdb07.jpg)
逆光のほうが撮影にはよい影響を及ぼす、なにか黒澤映画のような発言かもしれませんが、戦車や戦闘機ですと逆光は背景を白黒の陰にのみ押し込んでしまいます、しかし、紅葉は透けるのですね、太陽光で透けるのです、すると見上げ逆光の方が鮮やかさは際だつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/8b/a941dbbf2c33f56e32f5eeaac96bd2db.jpg)
椛は、そして桜の花々よりも一つ一つが大きい、葉と花弁の違いですけれども、真上からの逆光よりも、真横から透ける構図の方が際だつという。つまり斜め横から太陽光が差し込む構図の方が紅色朱色真紅深紅が目立つ、その斜めの瞬間は、早朝か午後少しのち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d0/4c4a849f15aa3ee3075aa33b639c19f7.jpg)
午後か午前か、というのはもう立地で全部違うとしか言いようがありません、しかし晴れていればその瞬間は訪れるものでして、訪れた太陽の角度の一瞬を逃さないようにしませんと、撮ることが難しい。そんなところですが、一瞬を撮影できますと、感動はひとしお。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/66/c96f0b48ac056c96a61613d6ba0d5125.jpg)
信仰と云うものの在り方と風景は関係ない、こう思われるかもしれませんが、寺院の風景はその哲学の現れているところであり、この当たりが日本の寺院の不思議なところでもあるのですよね。色々と思い浮かべる事もあるのですが、帰路に就きこの写真を見ています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
仁和寺を拝観する際に紅葉の季節となりますと風景というものも歴史と並ぶほどに一つの関心事と思う。
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仁和寺の伽藍は江戸時代に徳川家光の支援により応仁の乱から漸く再興されたものなのですが、二条城に天皇の行幸を仰いだ徳川家光の京都上洛は江戸時代という徳川幕府治世安定を象徴させる一大事業であり、この際に決定された寺院の再興には大きな意味がある。
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二王門は重要文化財に指定されていまして、これこそ寛永18年こと西暦1641年から正保2年の西暦1645年にかけ再建された、徳川家光の京都上洛と云う国家事業そのものを示す、そんな雄大さが有ります、鐘楼に経蔵と御影堂中門など再建されたのもこのころという。
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金堂は国宝に指定されていますが、建物底の持は更に古く慶長18年こと江戸時代初期の西暦1613年に造営された京都御所正殿の紫宸殿を一宇したものです、つまり江戸時代初期の宮廷建築が、多少仏教建築としているとはいえ、移築した事で現存しているのですね。
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五重塔も重要文化財に指定されていますが、こちらは寛永21年こと西暦1644年にそのまま新しく再建されたもので、高さは36.18mといいますから、ウルトラマンなみの高さ、となります。歴史を巡っている、まさにこの感覚に尽きると共に、その情景を写真に収める。
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紅葉と京都の写真は一瞬で決まります、いやこの一瞬というのは比喩でも何でもなく五分で、いや下手をしますと数十秒で変わってしまう。これはへんな話かもしれませんが、山頂ご来光、この感覚に近い、一瞬光が射したかと思うと十秒後には、というあれですね。
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桜の写真とは根本から違う何かがある、桜は春を告げる、つまりこれまでの冬を乗り越えた木々の芽生えという、なにもないところに活気が戻ってくる爛漫という表現があてはまるような、つまりこれから勢いを増すという一年の風景の序章のようなもの、対して。
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爛漫という単語は春には用いますが秋の紅葉には用いない、それはこれから冬に向かい、最後の鮮やかな風景を示すためです、そしてこれが太陽とどういう関係があるかと思われるかもしれませんが、春は桜の花々以外に太陽の光を遮るものはないものの、秋には。
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錦秋という単語が用いられますが、秋は太陽光線を遮蔽するものが多い、これが紅葉の写真を左右してしまう、ということです。そして秋というのは太陽の傾きが急に変化する、いやだから冬が近づいているという逆因果関係なのですが、これが紅葉の写真にひびく。
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逆光のほうが撮影にはよい影響を及ぼす、なにか黒澤映画のような発言かもしれませんが、戦車や戦闘機ですと逆光は背景を白黒の陰にのみ押し込んでしまいます、しかし、紅葉は透けるのですね、太陽光で透けるのです、すると見上げ逆光の方が鮮やかさは際だつ。
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椛は、そして桜の花々よりも一つ一つが大きい、葉と花弁の違いですけれども、真上からの逆光よりも、真横から透ける構図の方が際だつという。つまり斜め横から太陽光が差し込む構図の方が紅色朱色真紅深紅が目立つ、その斜めの瞬間は、早朝か午後少しのち。
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午後か午前か、というのはもう立地で全部違うとしか言いようがありません、しかし晴れていればその瞬間は訪れるものでして、訪れた太陽の角度の一瞬を逃さないようにしませんと、撮ることが難しい。そんなところですが、一瞬を撮影できますと、感動はひとしお。
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信仰と云うものの在り方と風景は関係ない、こう思われるかもしれませんが、寺院の風景はその哲学の現れているところであり、この当たりが日本の寺院の不思議なところでもあるのですよね。色々と思い浮かべる事もあるのですが、帰路に就きこの写真を見ています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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