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決戦の青空へ 小松基地航空祭 2006

2006-09-18 17:20:21 | 航空自衛隊 装備名鑑

■小松基地航空祭

 九月十七日、石川県の航空自衛隊小松基地において航空祭が開催された。南方海上に台風十三号が北上の兆しをみせ、北方海域からは前線が南下の兆候を示している中の展開とあり、荒天も予想された。カメラが水漏により損害を受ける可能性がある、そうした中、映画「決戦の大空へ」にちなみ、「決戦の青空へ」ということで、はるなと愉快な仲間達ツアー三名は小松へと向かった。

Img_7086_1  名神高速道路から北陸自動車道へ入ると、突如豪雨、フロントガラスに叩きつけられた水滴が弾けた。覚悟はしていたが、いよいよ来たか、思い出される東千歳の悪夢。晴天に恵まれる事の多い小生は、昨年の岐阜基地航空祭で豪雨に見舞われながらも応急資材にて対処、これを教訓として防水装備を強化した後、想像を絶する豪雨に見舞われたのが東千歳駐屯地祭。更に防水装備の拡充を図り、小雨の富士総合火力演習を難なく撮影したが、今回は前述のような気象図を見、覚悟を決めていた。

Img_7391  小松到着後、空模様以上に気になったのが「満車祭」。航空祭が満車祭・・・。これは周りにもウケていた。一方で、危惧したほど道路は渋滞せず、小松インター名物の信号を越える頃には雨は完全に上がっていた。他方、予報が週間予報が日毎に豪雨の警戒を要する日程がずれていた事もあったので、天候がもつことへの一縷の望みがあったわけだが、ここまで天候が回復したことには、まさに奇跡の一言をもって語るほかないといえよう。

Img_7402  航空祭を楽しむ為に小松基地について記したい。

 霊峰白山と日本海の挟間にある加賀平野、ここにある小松基地は旧日本海軍航空隊飛行場として1944年に建設され、敗戦と共に米軍に接収を受けた。朝鮮戦争勃発後1952年より米軍のレーダー基地として運用をされた後、1958年に日本政府へ返還される。こうして1961年、航空自衛隊は臨時小松派遣隊を編成、小松飛行場は同年中に航空自衛隊小松基地となった。同年7月にF-86戦闘機を以て第六航空団が編成完結し、対領空侵犯任務に就いた。第六航空団は1965年よりF-104Jを、そして1976年にはF-4EJを装備し、今日ではF-15Jを装備し今に至る(参考文献:朝雲新聞社 航空自衛隊の50年)。

 こうして第六航空団の展開する小松基地は、日本海側唯一の戦闘機部隊基地として対岸の北朝鮮や日本海経由で飛来する脅威に対しての抑止力となっている。

Img_7263  航空祭は第六航空団の303飛行隊、306飛行隊所属のF-15J戦闘機による機動飛行をオープニングフライトとして開始された。

 写真を見て昨年小松基地航空祭を見学された方はお気付きと思うが、離陸する方角が逆となっている。これは天候の為と思われるが、対照的なのが滑走路上に写っている吹流しで、この角度からほぼ無風状態にあることを示している。エプロンは水浸しであり、数時間まえまで荒天にあったことが窺える一枚だ。

■VADS訓練展示

 奇襲や防空任務が飽和状態となった際、基地防空最後の柱となるのが基地防空隊である。

Img_7115  機動飛行の後、基地防空隊によるVADSの空包発射による訓練展示が実施された。撮影ポジションの関係上、先日本ブログに紹介したような射撃の瞬間は今回は逃したが、3門のVADSが射撃展示を行った。VADSは航空機搭載の20㍉パルカン砲を搭載し、索敵距離5000㍍のレーダーを有し、電波を使用できない状況では赤外線カメラを用いて基地防空を実施するもので、73式中型トラックにより高い機動性を有する装備だ。

Img_7128  VADSによる訓練展示の仮設敵を務めたのが、岐阜基地より長躯飛来した飛行開発実験団所属のF-2Bで、対艦攻撃に重点を置いた支援戦闘機ながら、高い対地攻撃能力も有している。

 訓練展示終了後は機動飛行の展示を行い、盛んに機体からベイパーを靡かせながら基地上空を乱舞し、その後小松基地へ着陸、地上展示機の中に並び航空祭に華を添えた。

Img_7268  地上展示機には、青森県三沢基地より飛来した米第五空軍第35戦闘航空団のF-16C戦闘機二機が飛行展示の為に飛来しており、F-2とF-16という、三沢基地以外では中々見ることの出来ない組み合わせを観る事が出来た。

 F-2は三菱重工とジェネラルダイナミクス社(現ロッキードマーティン社)により日米共同開発が行われたもので、特に日本側の要求として空対艦ミサイル四発の運用性能付与に重点が置かれた経緯がある。

■小松救難隊飛行展示

 基地にアニメーション「よみがえる空 RESCUE WINGS」のオープニングテーマ美郷あきの“明日をとめないで”が流れる。

Img_7225  救難展示がVADS訓練展示に引き続き小松救難隊により実施された。UH-60JA救難ヘリとU-125救難機により実施される航空救難は、主に航空自衛隊機が訓練飛行中に墜落事故を起こした際の救命任務、そして災害派遣任務である。高速のU-125が俊足を活かし事故現場へ急行、高度な捜索センサーを用いて要救助者を発見、UHへの通報と併せ救命物資の投下とマーカーの投下により迅速な任務遂行を行うものだ。

Img_7209  航空救難団司令部は入間基地にあるが、全国11基地へ救難隊が派遣されており、平時にあって自衛隊全部隊の中でも最も過酷な任務に当たる部隊といわれている(軍事研究385号の表現)。写真のUH-60JAはV-107の後継として導入が開始され、既に約30機が調達、最終的に40機が配備される見通しだ。日航ジャンボ墜落事件におけるV-107の夜間飛行能力の限界が問題とされた点を重く見、赤外線暗視装置、気象レーダー、慣性航法装置を搭載、高い全天候対応能力を有している。

Img_7248_1  一般の方々に小松救難隊の名を一躍有名にしたのは、アニメーション作品がある。

 「よみがえる空」は、小牧の救難教育隊から小松救難隊に配属されたUH-60Jパイロットの新任三尉が主人公の作品で、戦闘機志望崩れということでの不慣れな救難訓練、地震に伴う離島災害派遣、航空機事故、山岳遭難救助支援という中、助かる命、助けられない命とともに主人公の成長が描かれている。

Img_7256

 写真は救難飛行展示を終え、着陸後、F-15Jの列機の中を進むU-125。

 DVDが発売中の「よみがえる空」は、監督桜美かつし/シリーズ構成高山文彦/キャラデザイン竹内哲也/メカニックデザイン橋本敬史で、主人公の内田一宏3尉を宮崎一成、ヒロインの長谷川めぐみを能登麻美子が演じている。FATEやARIA、ツバサクロニクルと並び、小生お勧めの作品である。

■F-15J編隊飛行

 戦闘機のロールスロイスといわれ、米空軍とともに幾多の実戦を経て空中戦では負けなしの戦闘機が航空自衛隊の主力戦闘機であるF-15である。

Img_7280  そのF-15Jが再びエンジンに火を入れる。

 編隊飛行へ向けて303飛行隊と306飛行隊のF-15Jが8機、轟音を轟かせ次々と離陸する。1976年のMiG-25函館亡命事件や、西ドイツ陸軍士官学校において世界を震撼させた東西戦力均衡の破綻“80年危機説”が囁かれる中、米空軍の本格支援までの間、独力防衛を担う唯一の機体として、国防会議にて導入が決定されたのがF-15Jである。

Img_7289  8機編隊飛行にて、小松基地上空へ進入するF-15J。

 1981年3月27日、航空自衛隊岐阜基地にフェリーされた二機のマクダネルダグラス(現ボーイング)F-15Jが、航空自衛隊の新しい翼の誕生であった。米空軍のF-15Cとの相違点は、ECM機材のAN/ALQ-135、レーダー警戒装置AN/ALR-56が供与されなかった為国産のJ/APR-4、J/ALQ-8が開発され装備されている。

Img_7301_1  F-15は、近接航空戦闘に不可欠な高い空中旋回性能の確保に重点が置かれ、推力10.615㌧のプラット&ホイットニーF100エンジンを二基搭載しており、最大速度マッハ2.5、最大航続距離は5550kmとなっている。搭載するAPG-63レーダーは探知距離185km、空中早期警戒管制機とのデータリンクによってその能力は格段に強化される。導入当時は直輸入150億円といわれたが、為替変動、初度調達装備の整備完了やライセンス生産体制の確立と共に90億円程度となったという(参考文献:読売新聞 日本の防衛戦力 航空自衛隊)。

Img_7315  航空自衛隊ではF-15Jの近代化改修にも積極的な姿勢を示している。

 1997年より近代化改修への研究が開始され、2003年10月21日、F-15J近代化改修機が三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場から防衛庁に引き渡され航空自衛隊飛行開発実験団の所在する岐阜基地へフェリーされた。一機あたりの近代化改修費は45億円程度とされる。

Img_7341  近代化改修は、①レーダーのF-15E型のAPG-70性能をフィードバックしたAPG-63(V)1への換装、②セントラルコンピュータのAP-1Rからロッキードマーティン社製コンピュータへの換装、③発電機の能力向上、④冷却能力の向上(参考資料:航空ファン誌613号P62~63)である。この近代化改修の対象機を段階能力向上対応の通称MSIP機というが、非MSIP機に関しては現用のRF-4EJ偵察機の後継としてRF-15Jと改修される見込みである。

■米空軍F-16C機動飛行

 航空自衛隊に負けじと在日米空軍の機体も飛行展示を開始する。

Img_7378

 派手なベイパーを引きつつ飛行展示を実施。

 太平洋空軍のF-16デモチームによる飛行展示は、三沢基地の第五空軍第35戦闘航空団所属のF-16C二機、そして14名のメンバーにより構成されており、この内1機が飛行展示を行い、もう一機のパイロットがナレーターを兼ねる。クルーチーフ4名、アビオニクス担当が2名、電子装備整備員2名、エンジン整備員2名と整備補佐1名により構成される(参考文献:航空ファン誌599号P30)。

Img_7391_1  飛行展示は7000フィート以下に雲がなく、視程が5マイル以上であれば14~15分のハイショーが実施されるが、視程不良の場合は12~13分のロウショーが実施される。

 飛行中の最大速度はマッハ0.94に達し、パイロットは9Gもの重力に曝される。ロールしつつ上昇、急旋回という“ファルコンターン”、急上昇し横転しつつ反転、更に上昇を重ね急旋回で降下し鋭利な三角形を描くシャークティースというような激しい空中機動を演じた。

Img_7403_1  飛行展示を終え、着陸し誘導路を再び展示機区画へ向かうF-16C。航空自衛隊のF-15Jと並んだショットでF-16Cの機体の大きさが分かる写真だ。

 F-16は、F-15の双発エンジンを単発とした廉価な航空機として米空軍向けに開発されたが、多用途性が高く、米空軍向けや諸外国に配備された機体は4000機近いベストセラー機となった。

■地上展示機

 こうして午前の飛行展示が終了し、ブルーインパルス飛行展示までの休憩時間となった。

Img_7426_1  小松基地に所属するF-15JやT-4練習機、UH-60J救難ヘリ、U-125救難機に加え、P-3CやRF-4、T-400、E-2C、C-1、F-4EJ改といった外来機の姿も見られたが、昨年の同じ日、相浦駐屯地における訓練展示中の事故の関係か、陸上自衛隊のヘリコプターを見つけることは出来なかった。

 昨年はT-2練習機やF-1支援戦闘機といった機体も並んだが、今年三月を以て退役した為、ここにはいない。

Img_7418  帰投するべく、移動する救難ヘリコプターV-107。航空祭では終了間際の帰投フライトの様子を撮影しようとするファンと、早く片付けを終えて夕食に間に合わせたい隊員との関係があり、近年では一部の機体を早めに帰投する方策がとられている。ファンも外来機の飛行を見る事が出来、一石二鳥である。

 なお、通常、救難ヘリは要救助者からの被発見性を高める写真のような塗装を施している。

Img_7395  格納庫内ではF-15Jのコックピット見学に長蛇の列が出来ていた。三機が展示されており、この他、AAM-4空対空ミサイルやエンジン、ターゲットドローンといった各種装備品の展示も行われていた。

 従来はこの格納庫に戦闘機が収容されていたが、現在は一部(恐らく一個飛行隊)が掩体運用となっており、航空攻撃への耐性を向上させている。

Img_7397_1  装備品展示では、訓練展示に用いられた3基のVADSの他、更に3基のVADSが展示されていた。この他、陸上自衛隊でも運用している81式短SAMも展示されていたが、ひと際目を引いたのが写真の携帯SAMである。

 見てのとおり、91式携SAMであるが、陸上自衛隊のものとは異なり、支柱が装備されている。これは標準装備のようで、長時間待機する防空要員への負担軽減には重要な意義がある。

Img_7489  写真は第九移動警戒隊のレーダー装備車輌。

 円柱状のものを装備した車輌が移動式三次元レーダー装置J/TPS-2で、レーダーサイトの補完が任務である。特に有事の際には航空攻撃により一時的に防空監視所の機能が麻痺する可能性がある為、それに備える装備。この他、映像や通話機能を衛星中継で電送する衛星通信可搬装置や、災害時などに通話回線を補完する移動式多重通信装置などがある。

Img_7437  写真は保存機展示区画。一見単なる航空公園に見えなくも無いが、背後にそびえるパラボラ(多重通信装置J/FRQ-8?)が航空基地であることを示している。

 此処には、T-33練習機、T-34練習機、F-86昼間戦闘機、F-86D夜間戦闘機、F-104要撃機が保存され、近傍には戦闘機の運用記念碑が建てられている。航空祭にもかかわらず子供がキャッチボールしたりのどかな雰囲気であった。

Img_7522  掩体に保存される一式戦隼・・・、ではなくT-6練習機。旧海軍機風塗装などで幾つかの戦争映画に出演した本機のうち、一機が旧海軍が建設した実物の掩体において保存されている。見つけたのは友人のけーと氏で、思わず声を上げてしまった。

 実はJウイング誌別冊付録全国保存機ガイド、そこに写真入で書かれていた保存機の中でこれを一番探していたものが、離れたところにあり、帰路偶然発見したものである。

■ブルーインパルス飛行展示

 保存機も含め、一通り見終わったところでいよいよクライマックス、ブルーインパルス飛行展示である。

Img_7434_1  ブルーインパルス飛行展示最初の飛行種目は、先んじて四機編隊で離陸した後、ギアを出したままでそのまま旋回し、更に会場正面へ飛来する。

 これはダイヤモンドテイクオフ&ダイティーターンといわれ、会場正面から低速で進入するため、スモークが幅広くたなびくのがこの種目の特色である。後方気流の関係上、離陸直後にこの隊形へ移行するには高い技量が必要である。

Img_7442_1  アクロバット飛行の歴史は古く、その起源は意外にも民間のものである。第一次世界大戦後、大量に余剰となった航空機の内、多用途性があり、武器としての危険性も比較的少ない練習機が民間に放出され、大戦後復員した元戦闘機パイロットが曲技飛行を興行目的で実施したことが起源とされるが、第二次世界大戦を挟み、航空機操縦技量の探求に加え、(日本の場合はT-2からであるが)国産機による性能誇示を介した国威発揚という意義を有するに至った。

Img_7412_1  航空自衛隊のブルーインパルスの起源は、その推進者であった源田実空将が戦議研究を大きく挙げ、創設に至ったが、主として東京オリンピックにおける開会式や、近年では長野オリンピック、日韓共同ワールドカップ開会式にみられる飛行展示のような、一般国民に対する後方目的で維持されてきたことが挙げられる。

 その技量は世界的に有名なフランス空軍のパトルイユ・ド・フランスやイギリス空軍のレッドアローズ、イタリアのフレッチュトリコローリにも勝るとも劣らないといわれる。

Img_7460_1_1  写真で表現するのは難しいが、菱型四機編隊(ダイヤモンド編隊)で横滑りしつつ四機編隊がスライドするように2機づつ背面飛行に移行、そして4機背面飛行が完成したところで、機体の間隔を狭めていく4シップインバートとよばれる飛行種目。

 会場上空を通過した時点で編隊を軽く開き、上記の飛行順序をそのまま繰り返し、四機編隊の飛行へと戻ることで完成する。

Img_7438_1_1 ブルーインパルスの飛行種目は全部で26あるが、ざっと10回以上見た小生でも写真では判別できかねるものがあり、なにより、合議により会場の混雑を避ける為、演目“キューピッド(ハートを空に描くもの)が展示される前に撤収を開始した。再度、岐阜基地航空祭などの飛行展示を、ブルーに詳しいYAMATO氏らから監修を受け、再度特集したい。

 以上が小松基地航空祭の顛末である、お帰りはこちら。

HARUNA

(本ブログの本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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4 コメント

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失礼、冒頭の滑走路進入方向って、昨年は滑走路工... (はるな)
2006-09-19 13:57:31
失礼、冒頭の滑走路進入方向って、昨年は滑走路工事中で、だから逆だったような気がした。気象条件なんぞでなくて今年の進入方向が通常だったかも。
返信する
小松への遠征、ご苦労様でした。 (コミント人)
2006-09-20 20:40:55
小松への遠征、ご苦労様でした。
今年も(天気に関する)小松マジックは生き続けていたようですね。

改修中の滑走路もあと半年で使えるようになるので、仮滑走路による民間ターミナル寄りの離着陸が見られる航空祭も今回が最後かと。

さて、いつもの如くで気を悪くして頂きたくないのですが、まず、J/TPS-2 → J/TPS-102です。
あと、小松基地のF-15用掩体の数はアラート用を含めて14基(国会答弁で公表済)で、その後の建設は停滞していることから、訓練で一時的に使用することはあっても、本格的な掩体運用を行っている可能性は低いと思われます。(まあ、本件は空自に聞いて教えてくれないでしょうが・・・。)
ちなみに、現在も掩体の建設が続いているのは三沢のみで、今年度あたりから耐爆性の向上した(より高価な(苦笑))タイプの建設に移行するそうです。

あと、AAM-4はF-15に装着した状態では展示されていなかったでしょうか?
現在、AAM-4を運用できるF-15はMSIPのごく一部(おそらくは10機前後)しかないため、非常に興味のあるところだったりします。
返信する
はるなさん、こんばんは。 (グライドパス)
2006-09-20 23:36:27
はるなさん、こんばんは。
小牧では盛り上がったようで撮り
甲斐があったことと思います。
今年の百里の前日に自分は行きましたが、ここにも三沢のF16とF-2が並んでました。並んでいると
違いなどがよくわかります。

来月は明野のお祭り以外の日に
展開しようかななんて思っております。
返信する
コミント人 様 どうもです (はるな)
2006-09-21 03:37:01
コミント人 様 どうもです
>今年も(天気に関する)小松マジックは生き続けていたようですね
 日本海沿岸の気象が変わりやすいということを実感しました。
>J/TPS-2 → J/TPS-102です。
 ご指摘どうもです。レーダーやアンテナ系は見栄えが良いのですが(そう思うの小生だけ?)、何がなんだか良く分からないのでお教えいただけると幸いです。
>AAM-4はF-15に装着した状態では展示されていなかったでしょうか
 AAM-4は格納庫に単体で展示されていました。訓練弾かもしれないのですが、見ただけでは分かりません(泣)。写真、そのうち掲載しますね。
>小松基地のF-15用掩体の数はアラート用を含めて14基
 14基でしたか、それでも点在しているとビシバシ並んでいるようにみえて迫力はありましたよ。ところで、旧軍時代の掩体の方がベトン厚く見えたような・・・(汗)。
>民間ターミナル寄りの離着陸が見られる航空祭も今回が最後
 あ、という事は来年、もっと近い滑走路から離陸するのですか、それはそれで良いかも(笑)。

グライトパス 様 どうもです
 いやあ、楽しかったです。
 盛り上がりましたが、そろそろ300㍉望遠から500㍉に換えようかなという感じです。トリミングしまくったのでお見苦しい写真でスンマセン(汗)。
>展開しようかななんて
 一度、戦競の時期に展開してみたいとはおもうのですが・・・。
返信する

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