北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】菅大臣神社,洛陽天満宮二十五社菅原道真公邸宅跡は中心部京町屋に浮かぶ

2025-01-08 20:16:17 | 写真
■千百年前の菅原道真公邸宅跡
 菅原道真公邸宅跡地は北野天満宮のような洛端ではなく中心部のいい所に住んでいたというお話しです。

 菅大臣神社、洛陽天満宮二十五社と菅公聖蹟二十五拝の巡礼地に数えられる神社です。この社殿の由来は、かの菅原道真公邸宅跡地という。社殿は下京区仏光寺通新町西入ルという、いわばもっとも観光客で混雑しそうな京都観光と京都繁華街の中心部に位置します。

 四条通から東本願寺の方角へ散策して往きますと至るという立地で、洛中中心の閑静な京長屋の住宅地にふと気づく数多ある鳥居の一つが菅大臣神社という。京都の歴史と共に境内の様相は紆余曲折を経ているのですが、しかし歴史は創建未詳ながら千年に昇るという。

 北野天満宮、今出川通り沿いの壮大な神域が菅原道真公所縁社殿と云えば思い出されるものですが、あちらが嵐電沿線であるのに対しこちらは阪急沿線、四条通が近いという。そして詳細は内緒ですが、凄く喜ばれる当方手土産定番その一はこの近くで手に入れている。

 菅原道真公邸宅跡というのは、境内に産湯の井戸が現在も残されており、社伝によれば承和年間の845年8月1日に菅原道真公がこの地に生誕した事は確かという。ただ上京区にも菅原是善邸跡産湯の井戸がありまして、此処を巡るのが菅公聖蹟二十五拝だったりする。

 怨霊というか後ろめたい方々が不幸に遭った際に思い当たった事から天満宮として祀られました菅原道真公ですが、若いという者は勇敢で幼いとは恐れ知らずというもの、実はこの神域、何も知らない頃には単なる近道と通過したり、自転車のまま直に踏破したり、と。

 菅公聖蹟二十五拝として方々に分かれているのは正一位太政大臣となった菅原道真が左遷先で亡くなったのが延喜年間の903年、菅大臣神社は慰霊の意味もあって910年頃までに邸宅跡地へ創建されたと伝わるものの、それから1100年と少し、京都は色々ありました。

 入口石鳥居は幾つかあり、その神域は十字の如く不思議な立地という、いわば長屋と町屋に浮かぶ神社という印象です。故に鳥居を潜り、奥へ歩みを進めると共に、ここは参拝が許されている場所なのかとふと考える錯覚に陥るほどの、不思議な神域が奥へ続いている。

 正一位太政大臣道真公邸宅は、それは広く跡地全てを神域とするには難しく、鎌倉時代には既に菅大臣神社は南北に分かれていたといい、此処を天神御所と称し北社は紅梅殿社とした。やはり応仁の乱で焼かれ、江戸時代初期に曼殊院宮良恕法親王により再建される。

 東風吹かば-匂ひをこせよ-梅の花-主なしとて-春な忘れそ。これは道真公が大宰府左遷に際し、京都を離れる事を惜しみ、梅香に名残りを感じた有名な和歌ですが、北社の紅梅殿社とはこの愛称の由来の和歌であり、また、北野天満宮の梅園もこの和歌に因むともいう。

 三間社流造の拝殿、正面桁行の柱間が三間あり柱が四柱となっているこの構造は平安朝末期に神明造から導き出された流造の系譜に在る事が分ります。伝わるところでは天保年間の1835年造営下鴨神社社殿を式年遷宮の際に譲り受け移築されたといい、江戸後期のもの。

 幣殿が拝殿と共に広がる八棟造は明治時代の物。ここは阪急烏丸駅と地下鉄烏丸線四条駅から徒歩五分です。この二つは同じ駅というのはさておき、京都名所旧跡と云いますと千客万来百花繚乱全員混乱な印象がありますが北野天満宮とは打って変わって静かな境内だ。

 八棟造の社殿と共に、静かな京の名所を紹介したのですが、しかし二十年程前は夕方には子供の活況、灯篭に昇る悪さも含めあったもの、観光客増大と共に神社では子供たちが走り回る風景も思い返すのみ、躾の行き届きもあるのかもしれませんが何か神域と生活の場が離れてしまったようで寂しいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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朝鮮半島情勢-北朝鮮1月6日発射ミサイルは"極超音速ミサイル"発射実験の可能性

2025-01-08 07:00:28 | 防衛・安全保障
■北朝鮮ミサイル
 北朝鮮が1月6日に発射したミサイルは極超音速ミサイルの可能性があるとのこと。

 韓国軍合同参謀本部が1月6日に発表したところによれば、平壌近郊より発射されたミサイルについて、飛行距離は1100km程度であり、中距離弾道弾以下の飛翔距離だったとしつつ、韓国軍関係者の話として音速の五倍以上という極超音速兵器実験であった可能性を示唆しているという。北朝鮮ミサイル実験は今年はじめてとなる。

 弾道ミサイルであればその名の通り放物線上に弾道を描いて飛翔する為に、いってい上の高度へ上昇する目標を捕捉するだけで警戒態勢を取る事が出来ますが、極超音速兵器の場合は低空を高速飛行するものが有り、従来のミサイル防衛システムで迎撃が困難となる一方、落ちてくる弾道弾よりも迎撃が容易となる場合もあるようです。

 一方で、固定式ミサイル防衛システム、例えばグアムイージスアショアのような防衛システムには、そのものが標的となる事で税悪政が生まれるとされていますが、北朝鮮の極超音速兵器がどの程度の射程を最終的に想定しているかは未知数で、日本の場合は着実にイージス艦によるミサイル防衛整備などが求められてゆくでしょう。

 韓国へはアメリカのブリンケン国務長官が任期中最後となる韓国訪問の最中であり、バイデン政権からトランプ政権へ移行する中においてアメリカ政府に対するけん制の意味を含めていたのではという分析も成り立つ模様です。トランプ第一次政権時代にもその就任前後に多数の弾道ミサイルが発射されていました。

 アメリカはバイデン政権からトランプ政権へ政権交代を迎えますが、バイデン政権時代には北朝鮮とアメリカの関係は進む事無く、核開発やミサイル開発についても手詰まり感がでていました。一方、ロシアウクライナ戦争参戦によりミサイル技術供与を受ける事は必至であり、今後の両国関係の展開が大きな関心事とも言えるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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