■紅葉に染まる水墨画
水墨画の様な光景を再現するべく作庭された美しい庭園が極彩色の天然色に彩られています。

彦根城の玄宮園、ここはもともとかの玄宗皇帝が唐時代に築いたという離宮庭園の水墨画などを参考としまして、大陸の瀟湘八景を親しみある近江八景に意匠を置き換え造営した庭園といわれています。もっともここは彦根藩、借景として彦根城の勇壮な城郭をおく。

玄宮園、興味深いのは何時頃に作庭されたのかが良くわかっていないという事でして彦根藩4代藩主井伊直興が造園をはじめ、第11代藩主井伊直中の頃にほぼ今の姿になったという、元々武家屋敷であったのを城下町整備とともに跡地利用したともいわれています。

松原内湖、玄宮園は池泉回遊式庭園なのですが、どうしても水源をどうしているのだろうという情景と情感とは別のところに関心が行きます、すると今でこそ城郭は琵琶湖から離れていますが、これは干拓事業の成果であり、元々城郭は湖畔にあったということです。

臨池閣、鳳翔台、八景亭、とこう茶室として再利用されているところも、すこし離れてもう一つの庭園を形成しているところもありまして、それ程広い場所と云う訳ではないのですが散策しますと風景がかわってゆくところが中々に面白い立地となっているのですね。

鶴鳴渚と空の青さ、七間橋と七間橋を包む情景、臨池閣と臨池閣を少し借景の見えるところに転じますと臨池閣と彦根城天守、魚躍沼と魚躍沼の背景に鬱蒼としかしそれほど実は深くは無い木々、龍臥橋と龍臥橋を渡る際の代わり行く景色、歩み進める程風景はかわる。

八景亭などは実は明治維新後に彦根城が廃城になりますと払い下げられてしまい、これが一時移築して近江八幡のあたりに持って行く話が出ました、そこで井伊家が買戻し城郭の風景を維持しようと奮闘するなど、実は城の破却は文化財の維持か破壊かの戦いであった。

紅葉の情景を記録に収めると共に、やはりカメラというもの、写真を撮影する機材を考えてしまいます。もちろん一眼レフはEOS-7Dシリーズ、嗚呼markⅡを使い始めて早くも七年だ、この機種が今なお色褪せない名機となっていますが、お散歩カメラとしてひとつ。

富士フイルムのX-100カメラ、いろいろとカメラがある中でちょっといいよなあ、と考えてしまうのはこの、使う一を選ぶカメラです、とはいえ、ちょっと一歩踏み出せないのが35mm単焦点というコンパクト機としては質実剛健な仕様によるものです、ズームしない。

X-100,使っている方に聞いてみますと画質はもうすごいらしい、とともに35mmというかつての標準レンズをそのまま取り替えられない標準装備としていますので、常に画角をきにすること、構図とともに散策し配慮することで思い出残る写真を仕上げられるのだとか。

35mmかあ、こうおもいますのはわたしなんかはもうズームレンズ世代ですので、単焦点といいますと35mmよりは300mmという極限の仕上がりをもとめる大きなレンズという印象があるのです、いわれてみると300mmレンズの時には確かに常に構図を意識している。

歴史ばかり考えて散策するよりも、こう構図と情景を通じて話題を組む散策というものも、これを考える上で単焦点35mmのカメラ、なかなか人に良いよと薦められるものではないのですけれども、自分が散策の際に使ってみるには良いのかもしれない、こう思うのです。

玄宮園、城郭として彦根城の一番奥まった場所にありますので城を出るにも掘割を大きく迂回してゆかねばなりません、すると城郭探訪もここで夕暮れを迎えても良い、という落ち着いた気分、こうすうっと、琵琶湖畔の空気を満喫し秋の終わり冬の到来を感じました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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水墨画の様な光景を再現するべく作庭された美しい庭園が極彩色の天然色に彩られています。

彦根城の玄宮園、ここはもともとかの玄宗皇帝が唐時代に築いたという離宮庭園の水墨画などを参考としまして、大陸の瀟湘八景を親しみある近江八景に意匠を置き換え造営した庭園といわれています。もっともここは彦根藩、借景として彦根城の勇壮な城郭をおく。

玄宮園、興味深いのは何時頃に作庭されたのかが良くわかっていないという事でして彦根藩4代藩主井伊直興が造園をはじめ、第11代藩主井伊直中の頃にほぼ今の姿になったという、元々武家屋敷であったのを城下町整備とともに跡地利用したともいわれています。

松原内湖、玄宮園は池泉回遊式庭園なのですが、どうしても水源をどうしているのだろうという情景と情感とは別のところに関心が行きます、すると今でこそ城郭は琵琶湖から離れていますが、これは干拓事業の成果であり、元々城郭は湖畔にあったということです。

臨池閣、鳳翔台、八景亭、とこう茶室として再利用されているところも、すこし離れてもう一つの庭園を形成しているところもありまして、それ程広い場所と云う訳ではないのですが散策しますと風景がかわってゆくところが中々に面白い立地となっているのですね。

鶴鳴渚と空の青さ、七間橋と七間橋を包む情景、臨池閣と臨池閣を少し借景の見えるところに転じますと臨池閣と彦根城天守、魚躍沼と魚躍沼の背景に鬱蒼としかしそれほど実は深くは無い木々、龍臥橋と龍臥橋を渡る際の代わり行く景色、歩み進める程風景はかわる。

八景亭などは実は明治維新後に彦根城が廃城になりますと払い下げられてしまい、これが一時移築して近江八幡のあたりに持って行く話が出ました、そこで井伊家が買戻し城郭の風景を維持しようと奮闘するなど、実は城の破却は文化財の維持か破壊かの戦いであった。

紅葉の情景を記録に収めると共に、やはりカメラというもの、写真を撮影する機材を考えてしまいます。もちろん一眼レフはEOS-7Dシリーズ、嗚呼markⅡを使い始めて早くも七年だ、この機種が今なお色褪せない名機となっていますが、お散歩カメラとしてひとつ。

富士フイルムのX-100カメラ、いろいろとカメラがある中でちょっといいよなあ、と考えてしまうのはこの、使う一を選ぶカメラです、とはいえ、ちょっと一歩踏み出せないのが35mm単焦点というコンパクト機としては質実剛健な仕様によるものです、ズームしない。

X-100,使っている方に聞いてみますと画質はもうすごいらしい、とともに35mmというかつての標準レンズをそのまま取り替えられない標準装備としていますので、常に画角をきにすること、構図とともに散策し配慮することで思い出残る写真を仕上げられるのだとか。

35mmかあ、こうおもいますのはわたしなんかはもうズームレンズ世代ですので、単焦点といいますと35mmよりは300mmという極限の仕上がりをもとめる大きなレンズという印象があるのです、いわれてみると300mmレンズの時には確かに常に構図を意識している。

歴史ばかり考えて散策するよりも、こう構図と情景を通じて話題を組む散策というものも、これを考える上で単焦点35mmのカメラ、なかなか人に良いよと薦められるものではないのですけれども、自分が散策の際に使ってみるには良いのかもしれない、こう思うのです。

玄宮園、城郭として彦根城の一番奥まった場所にありますので城を出るにも掘割を大きく迂回してゆかねばなりません、すると城郭探訪もここで夕暮れを迎えても良い、という落ち着いた気分、こうすうっと、琵琶湖畔の空気を満喫し秋の終わり冬の到来を感じました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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