■最も初期の耐震構造
新幹線長期計画運休と地震臨時情報と物凄い熱さと空母カブールとこの夏は色々ありました、ラファールもタイフーンも来たね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/bb/541fb375769368ed7b8f15f53d1ff497.jpg)
南海トラフ臨時情報が発令されたのは今年八月八日、こちらは88艦隊の日ということで盛り上がっていまして、イスラエル大使を長崎平和記念式典に招かないことで波乱を生んでいた九日の前日に九州は宮崎県にて比較的大きな地震が発生したわけでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e5/277b09e8b154eb2f869595c09791c2d7.jpg)
大阪城、この大阪城は地震災害と大きな関わりがありまして、そしてこの大阪という大都市そのものも南海トラフ地震と所縁が、所縁というのも嫌なので想定被害地域、というべきなのでしょうか、含まれてしまっていますので、今回はこの視点から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/50/9231a1cbdae9d10f18baade6c2dfd97e.jpg)
日本で最も初期の耐震構造建築物、といいますと多くの方は五重塔を思い浮かべるのかもしれません、東京スカイツリー建設の際に五重塔の心棒という建築様式が耐震構造として採用された、ということが幾度か、ニホンノギジュツスゴイと紹介されたゆえ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f1/604c2278f659ed1d2e81750cb8eb1b2c.jpg)
五重塔の心棒、しかしこれ、明確に耐震構造であることをしめす文書などがのこっているわけではなく、そもそも仏教建築である五重塔が耐震構造を採用しているというならば、ご本堂の建築様式に耐震構造を採用しないのはなぜか、となってしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8b/39355182ccef78dd3b5267b213fa27f7.jpg)
ストゥーパ、五重塔を含めた仏塔は仏教建築においては舎利殿という、要するにお釈迦様の遺骨を奉じる場所となっています、すると簡単に倒れては困る、となりますので耐震構造だ、といってしまえるのかもしれませんが、それを示す文献がないのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/b8/ebfd80d9fd8decdc1a406285b48ad7e1.jpg)
舎利殿と心棒の関係は、耐震構造という視点は結果的に副次的な要素があり、舎利を天と繋ぐ宗教的な要素があるのかもしれませんし、もしくは実際に耐震構造も、模型が現存しないだけで耐震研究の結果として残ったのかもしれず、研究はまだまだ余地がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a0/f4d188928db3be12d206cce05b0b555f.jpg)
大阪城は、しかし、この大阪城は、この、といいますと1936年に建築されたものが現存する大阪城ですから、鉄筋RC構造の大阪城を示すと耐震せいはあるのでしょうけれども、最初の大阪城、いや大坂城というべきか、こちらの耐震性のほうは文献がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/35/0107077fdc4b56df65b1c1c12dbe2a4a.jpg)
大坂城を築城したのは豊臣秀吉ですが、この少し前に天正地震という、歴史地震としてみても有史以来最大の、関東大震災や濃尾地震よりもおおきな直下型地震が発生していまして、この際に豊臣秀吉恩顧の家臣がかなりの数、倒壊などで亡くなっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/57/6719a04a81fba1f469f97ff13ca2591d.jpg)
なまずにちゅういすべし。天正地震ののちに造営することとなりました大坂城の建築に、豊臣秀吉自身が地震に耐えられる城郭を求めている書簡がありまして、耐震性に留意した建築物を注文している建物というのは、これが最古なのではないか、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ac/87540bb7d276d4f40b20bd56fb5a60f2.jpg)
天正地震ののちに、大坂城そのものは大坂戦役、大坂夏の陣大坂冬の陣とで灰燼に帰しているわけですから、耐震構造物は失われている、といわれるのかもしれませんが、城壁石垣を含めて大坂城としてみるならば、拡張はおこなわれているものの基礎部分は。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d1/99c02609d7de802198e21650a2892a15.jpg)
熊本地震における熊本城をみればわかりますように、石垣を水平ではなく斜度を以て敷き詰めておきますと地震の揺れに対して石垣が水平移動せず、加重が上下にかかることでお互いに支え合って倒壊を回避するという構造が、地震後の研究で判明しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/26/046a03b6e01c712d7c52c90e261fe6ff.jpg)
大坂城も熊本城も城普請は加藤清正、耐震構造の研究を重ねたことで崩れにくい城郭を造成していた、昔の建物であってもやれることはあったのだが、さていまはどうだろう、手抜きはないか大丈夫なのか400年後の今、とふとそんなことを思ったりするのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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南海トラフ臨時情報が発令されたのは今年八月八日、こちらは88艦隊の日ということで盛り上がっていまして、イスラエル大使を長崎平和記念式典に招かないことで波乱を生んでいた九日の前日に九州は宮崎県にて比較的大きな地震が発生したわけでした。
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大阪城、この大阪城は地震災害と大きな関わりがありまして、そしてこの大阪という大都市そのものも南海トラフ地震と所縁が、所縁というのも嫌なので想定被害地域、というべきなのでしょうか、含まれてしまっていますので、今回はこの視点から。
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日本で最も初期の耐震構造建築物、といいますと多くの方は五重塔を思い浮かべるのかもしれません、東京スカイツリー建設の際に五重塔の心棒という建築様式が耐震構造として採用された、ということが幾度か、ニホンノギジュツスゴイと紹介されたゆえ。
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五重塔の心棒、しかしこれ、明確に耐震構造であることをしめす文書などがのこっているわけではなく、そもそも仏教建築である五重塔が耐震構造を採用しているというならば、ご本堂の建築様式に耐震構造を採用しないのはなぜか、となってしまう。
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ストゥーパ、五重塔を含めた仏塔は仏教建築においては舎利殿という、要するにお釈迦様の遺骨を奉じる場所となっています、すると簡単に倒れては困る、となりますので耐震構造だ、といってしまえるのかもしれませんが、それを示す文献がないのですね。
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舎利殿と心棒の関係は、耐震構造という視点は結果的に副次的な要素があり、舎利を天と繋ぐ宗教的な要素があるのかもしれませんし、もしくは実際に耐震構造も、模型が現存しないだけで耐震研究の結果として残ったのかもしれず、研究はまだまだ余地がある。
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大阪城は、しかし、この大阪城は、この、といいますと1936年に建築されたものが現存する大阪城ですから、鉄筋RC構造の大阪城を示すと耐震せいはあるのでしょうけれども、最初の大阪城、いや大坂城というべきか、こちらの耐震性のほうは文献がある。
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大坂城を築城したのは豊臣秀吉ですが、この少し前に天正地震という、歴史地震としてみても有史以来最大の、関東大震災や濃尾地震よりもおおきな直下型地震が発生していまして、この際に豊臣秀吉恩顧の家臣がかなりの数、倒壊などで亡くなっています。
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なまずにちゅういすべし。天正地震ののちに造営することとなりました大坂城の建築に、豊臣秀吉自身が地震に耐えられる城郭を求めている書簡がありまして、耐震性に留意した建築物を注文している建物というのは、これが最古なのではないか、と。
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天正地震ののちに、大坂城そのものは大坂戦役、大坂夏の陣大坂冬の陣とで灰燼に帰しているわけですから、耐震構造物は失われている、といわれるのかもしれませんが、城壁石垣を含めて大坂城としてみるならば、拡張はおこなわれているものの基礎部分は。
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熊本地震における熊本城をみればわかりますように、石垣を水平ではなく斜度を以て敷き詰めておきますと地震の揺れに対して石垣が水平移動せず、加重が上下にかかることでお互いに支え合って倒壊を回避するという構造が、地震後の研究で判明しています。
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大坂城も熊本城も城普請は加藤清正、耐震構造の研究を重ねたことで崩れにくい城郭を造成していた、昔の建物であってもやれることはあったのだが、さていまはどうだろう、手抜きはないか大丈夫なのか400年後の今、とふとそんなことを思ったりするのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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