■人出の多い日常と
元旦の能登半島地震にいきなり出鼻を挫かれた印象はあるのですがこれは現実だ。しかし物事をどう受け止めるかで日常を愉しめることをこの数年で学んだ気もします。
糺の森を経ての下鴨神社、京都屈指の歴史を誇る下鴨神社は、その創建当時にはこのいったいが深々とした森となっていたといいまして、そう気づくのは、たしかに周りに住宅街などの建設は進んでいるのですけれども、背の高い木々は静けさいがいの空気を阻んでいる。
初詣の熱気のようなものはあるのです、そしてこの拝殿から本殿までの人の列が延々続いている様子は、新年を思わせる確かな風景なのですけれども、しかし、糺の森、そしてこの周りの木々が一種の結界、というべきでしょうか、凛とした空気を醸しているのですね。
みたらし池から糺の森へと続いている小川も、音を奏でているのですけれどもその音は雑踏というか様々な音と共に騒音以外の音を成り立たせていまして、さて、と一歩一歩に異なる風景の社殿とともに歩み進めてゆき、絵馬以外の昨年との変化をさがしてみました。
下鴨神社に初詣とともに、今年もおもしろい一年でありますように、と願掛けをしましたが、いや、実際それなりのいい歳を迎えたいまでも、新しい発見というのは多いものなのですよね。列車に乗ってたとえば空挺団の降下訓練始めへ行った際などでも発見がひとつ。
新富士駅の手前、お江戸くだりと小松左京のような表現で新幹線を東にすすんでいますと、富士山が見えるのは向かって右側のA席からなのか、と2024年に初めて気づきました。富士山側の席から富士山がみえる15分ほどまえのことという。これも小さいけれども発見だ。
新大阪駅から京都タワーが見え始めた際の感覚ににているのかな、太平洋側のA席からふっと見えた際には妙に新鮮でした、そう。静岡ですから同じく思い出すのは、浜松基地航空祭で広報館から撮影すると離陸前のT-4背景に富士山が入ったことを発見したような。
2023年はいろいろ発見と出会いが多かった、そして、いままで半長靴というのは絶対はくと靴づれするものだとおもっていたら、20世紀から愛用しているリーガル、その半長靴だと靴ずれしないということを知ったのも2023年、行動の幅がまたひろがりまして。
みたらし池の写真を撮るさいにも、従来の靴では水にふれないかおっかなびっくりの撮影でしたが、この半長靴、ゴアテックス製だという、これを装備していますと、もうずぶずぶ行けてしまう、つまり撮影の幅が広がった、もう演習場も靴ずれはおきない。
東京の上野で食事していたところで壁の隙間に動くものが有りまして、何とネズミさんだった、ちょうどBBCでロッカーを夜中に整理してくれるネズミという話題がありましたが、東京ではネズミさんをあんなところでみた、こういうのも発見、というべきなのかなあ。
しかし、考えてみると新幹線で風景を見られる余裕も、空挺団降下訓練始めが行われるのも、上野の雑踏の中でお買い物をして食事を愉しめるのも、これは日欧が戻ってきている、非日常というのはもちろんCOVID-19の蔓延していた時代との比較なのですけれども。
日常の中にもこうした小さな発見が続く事なのですから興味もつきません。ただ、一方で敬遠したくないものは、元日地震のような非情な非常という出来事でして、そして昨年は気象災害といえば猛暑酷暑でしたが、この数年間巨大台風が来ないことは少し気になる。
今年もおもしろい一年でありますように。一発ものの大望というよりは、待望の出来事を数多と積み重ねてゆく中に日常の安寧を見い出して、面白くなき世を面白く、という幕末の英雄のような言葉を実践してゆきたいなあ、ふとそんなことを考えてしまうのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
元旦の能登半島地震にいきなり出鼻を挫かれた印象はあるのですがこれは現実だ。しかし物事をどう受け止めるかで日常を愉しめることをこの数年で学んだ気もします。
糺の森を経ての下鴨神社、京都屈指の歴史を誇る下鴨神社は、その創建当時にはこのいったいが深々とした森となっていたといいまして、そう気づくのは、たしかに周りに住宅街などの建設は進んでいるのですけれども、背の高い木々は静けさいがいの空気を阻んでいる。
初詣の熱気のようなものはあるのです、そしてこの拝殿から本殿までの人の列が延々続いている様子は、新年を思わせる確かな風景なのですけれども、しかし、糺の森、そしてこの周りの木々が一種の結界、というべきでしょうか、凛とした空気を醸しているのですね。
みたらし池から糺の森へと続いている小川も、音を奏でているのですけれどもその音は雑踏というか様々な音と共に騒音以外の音を成り立たせていまして、さて、と一歩一歩に異なる風景の社殿とともに歩み進めてゆき、絵馬以外の昨年との変化をさがしてみました。
下鴨神社に初詣とともに、今年もおもしろい一年でありますように、と願掛けをしましたが、いや、実際それなりのいい歳を迎えたいまでも、新しい発見というのは多いものなのですよね。列車に乗ってたとえば空挺団の降下訓練始めへ行った際などでも発見がひとつ。
新富士駅の手前、お江戸くだりと小松左京のような表現で新幹線を東にすすんでいますと、富士山が見えるのは向かって右側のA席からなのか、と2024年に初めて気づきました。富士山側の席から富士山がみえる15分ほどまえのことという。これも小さいけれども発見だ。
新大阪駅から京都タワーが見え始めた際の感覚ににているのかな、太平洋側のA席からふっと見えた際には妙に新鮮でした、そう。静岡ですから同じく思い出すのは、浜松基地航空祭で広報館から撮影すると離陸前のT-4背景に富士山が入ったことを発見したような。
2023年はいろいろ発見と出会いが多かった、そして、いままで半長靴というのは絶対はくと靴づれするものだとおもっていたら、20世紀から愛用しているリーガル、その半長靴だと靴ずれしないということを知ったのも2023年、行動の幅がまたひろがりまして。
みたらし池の写真を撮るさいにも、従来の靴では水にふれないかおっかなびっくりの撮影でしたが、この半長靴、ゴアテックス製だという、これを装備していますと、もうずぶずぶ行けてしまう、つまり撮影の幅が広がった、もう演習場も靴ずれはおきない。
東京の上野で食事していたところで壁の隙間に動くものが有りまして、何とネズミさんだった、ちょうどBBCでロッカーを夜中に整理してくれるネズミという話題がありましたが、東京ではネズミさんをあんなところでみた、こういうのも発見、というべきなのかなあ。
しかし、考えてみると新幹線で風景を見られる余裕も、空挺団降下訓練始めが行われるのも、上野の雑踏の中でお買い物をして食事を愉しめるのも、これは日欧が戻ってきている、非日常というのはもちろんCOVID-19の蔓延していた時代との比較なのですけれども。
日常の中にもこうした小さな発見が続く事なのですから興味もつきません。ただ、一方で敬遠したくないものは、元日地震のような非情な非常という出来事でして、そして昨年は気象災害といえば猛暑酷暑でしたが、この数年間巨大台風が来ないことは少し気になる。
今年もおもしろい一年でありますように。一発ものの大望というよりは、待望の出来事を数多と積み重ねてゆく中に日常の安寧を見い出して、面白くなき世を面白く、という幕末の英雄のような言葉を実践してゆきたいなあ、ふとそんなことを考えてしまうのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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