北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【1】本日創隊六〇周年祭挙行(2010-10-17)

2020-10-04 20:20:28 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■中部方面隊創隊六〇周年記念
 中部方面隊は創隊六〇周年記念を迎えました。伊丹祭はCOVID-19感染防止により公開されませんでしたがこれを記念して、今回から五〇周年祭の様子をお伝えしましょう。

 軽装甲機動車が待機位置に整列しており第36普通科連隊の隊員が点検へ。伊丹駐屯地中部方面隊記念行事、当方が初めて撮影しましたのは2002年ですのでかなり時を隔てていますが、年々混雑の度合いが増す中で、まずこれから式典が開始される機運を撮影してゆく。

 12.7mm重機関銃を搭載した軽装甲機動車、第5中隊の車両です。軽装甲機動車に中隊本部などが装備している50口径を搭載し訓練している、こうした話は時折耳にしまして空挺団降下訓練始めでもみた、という話は聞いたのですが、実際目に知るのはこの時が初めて。

 12.7mm重機関銃搭載の軽装甲機動車と5.56mm機銃搭載の軽装甲機動車が。この規模の車体に12.7mm機銃を搭載することは世界では普通なのですが、軽装甲機動車では下車戦闘に際して運転士を含め突撃するため、携行しない火器は当初搭載していませんでした。

 連隊旗とともに行進進入点へ集合してゆく隊員たち、式典はもうすぐ。駐屯地記念行事には独特の雰囲気があります、並ぶ小銃に音程をためす音楽隊の響きと待機に行進に休憩という雑多な情景と騒音が一つの活気を醸成し観覧者はその音とともに歩み撮影位置を探す。

 第36普通科連隊の隊員整列開始と整列した軽装甲機動車たち。2002年から中部方面隊へ配備が開始されました軽装甲機動車はイラク派遣においてその高い実用性が証明され、2010年には自衛隊装備を代表する一つとなっていました、安価であり、数がそろえられた。

 中部方面隊創隊50周年、記念の表示を大書しましたオーロラビジョンがひときわ輝く。オーロラビジョンは富士総合火力演習では定番となっていますが、なかなか方面隊行事まで展開することはありません、方面隊の装備ではない、この日が特別だという機運が際だつ。

 撮影位置へ展開、ちょうと記念式典へ向けて部隊が整列位置へと進む。昔は撮影位置を朝一番でスタンド席、としていたものです。スタンド席は視野が高く訓練展示がしっかりとみえます、しかし幾つかの理由で観閲行進を重点的に、撮影位置優先度が変わりました。

 スタンド席の前を部隊付最先任曹長の腕章を付けた衛生科隊員さんが。スタンド席は訓練展示を撮影するには理想的なのですけれども、観閲行進は真横から、会場でいちばん遠い観閲台前をゆくために、多数の車両が画面一杯そろっている、迫力ある構図が撮れません。

 スタンド席と隊員の整列位置への行進、背景のスタンド席は満員だ。スタンド席を断念した理由はもう一つ、この2010年まで数年、近所からの訓練展示での戦車空包射撃の苦情が相次いだようで、肝心の訓練展示が行われなくなってしまった、そんな理由もあったり。

 航空科の隊員が部隊ごと行進して整列へ、情報科とマフラーが似ている。2010年といえば、Weblog北大路機関はまだ創設5年、いまの創設15年よりも随分昔に思えまして、そして自衛隊でも変化を迎え、多種多様な情報を扱うべく、通信科から情報科が独立したのです。

 900名の式典参加隊員が整列した、天気は晴れで式典日よりといえます。行事は雨天ならば泥飛沫をけたてて進む様子が勇壮を際だたせる、とは解説の際に負け惜しみをしているようなものでして、実際には晴れている方が雨具不要でして、撮影しやすくてよいですよね。

 情報科隊員さんだったもよう、部隊旗をみまして気づきました、航空科部隊の部隊旗は青地に白となっていまして、対して情報科の部隊旗は青地に黄だ。自衛隊は冷戦時代から強行偵察へ高速無人機を装備していましたが配備は北海道に限られ2010年代、それが全国へ。

 旗の敬礼、海老茶色は施設科で紺色は武器科と奥の赤色は普通科を示す。旗の敬礼動作は式典への練度がわかります、揃っている式典では特に真横から旗の列を撮影しますと、幾重幾重十重二十重の部隊旗が重なる情景は、下手な戦車の行進よりも凄い迫力があります。

 方面総監の到着、中部方面警務隊の先導とともに乗用車で会場へ。いよいよ式典が開始されるのです。2010年には開門と同時に入場して撮影位置を確保し式典まで二時間と少し、しかし昨今は行事に多くの人が集まりすぎ、開門の一時間前二時間前に並び始めるほど。

 荒川龍太郎陸将、中部方面隊はこの荒川総監とともに翌年3.11に臨む。そう、2010年というのはあの2011年東日本大震災の前年にあたるのですね、当たり前ですがここにいる全員、そんな国家の危機がせまっているとは気づきません、運命は突然やってくる、まさに、ね。

 業務車のなかでも乗用車は将官用でトヨタクラウンを採用しています。業務車といえばセドリックバンが一世を風靡し、昔は自衛官を受験するにはセドリックが高校生自宅まで迎えにきた、募集難の時代もありました。昨今は少子高齢化と予算不足、厳しい時代が続く。

 荒川総監の登壇、2010年といえばあの東日本大震災の前年、そうこの行事が10月なのですから3.11までもう半年ないのですね。この行事撮影の少し前に霞目駐屯地での東北方面隊50周年記念行事を撮影しました、掲載が中断し久しい、あの行事からまもなく10年か。

 総監へ敬礼、中部方面情報隊初代隊長青木義昌1佐が敬礼する。方面情報隊を注目、というわけではないのですが撮影位置から情報隊にご縁があったようで。青木隊長は情報本部出身、情報科の任務は通信科のレーダと機甲科の偵察が分担していたのを包括したもの。

 中部方面後方支援隊長保坂牧1佐が、敬礼を行う。保坂隊長は翌月補給統制本部装備計画部長へ補職されたとのことで、中央で需品管理を行う重職で、そして東日本大震災において前代未聞の原子力防護装備はじめ今日明日必要な装備の計画を担う大変な職場といえる。

 国旗入場。青空に映える日章旗と伊丹市内の駐屯地の広さがわかる。しかし、全体で考えますともう少し広い場所がほしいところです。もっとも管区隊が置かれた当時は総監部が宇治にありこれでは大阪まで遠すぎるとして探した結果、進駐軍から返還のここがあった。

 国旗入場を起立して、国会議員に市町村長に知事に将官に観覧者に。伊丹駐屯地は宇治駐屯地では任務に不便ということで幕僚がジープで空き地を探し回ったという逸話が残るほどでして、大阪城旧軍施設は返還済、伊丹の国連軍施設が返還直後でありここを押さえた。

 巡閲。パジェロの愛称で親しまれる1-1/2tトラックにて荒川総監が整列した隷下部隊の前を、なにしろ2個師団2個旅団の長であり施設団や高射特科群に方面混成団など、その責任の重さはものすごい、管区には京阪神都市圏や名古屋中京都市圏、広島都市圏が続く。

 方面隊隷下部隊指揮官列の奥、総監のパジェロが進んでいます。もう少し隊員列と総監をうまく撮影できる位置、あと15m右手に位置を確保するべきだったのでしょうか、巡閲を撮影するには少々厳しい位置か、しかし観閲行進撮影を考えればここが良い位置とおもう。

 荒川総監が巡閲を終えてこちらに、この中部方面隊記念行事ですけれども、北部方面隊と東部方面隊は方面隊記念行事を一般公開しませんので、総監を間近に、という行事はここ伊丹駐屯地と霞目駐屯地の東北方面隊、そして健軍駐屯地の西部方面隊のみとなります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【7D特報】三井山俯瞰風景の... | トップ | 【防衛情報】F/A-XX第六世代... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陸上自衛隊 駐屯地祭」カテゴリの最新記事