北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】伏見稲荷大社,稲荷は稲成り-宇迦之御魂大神は五穀豊穣を司る神

2024-10-09 20:23:16 | 写真
■五穀豊穣へ祈る
 五穀豊穣というよりはお米の方ばかり向いている印象がある私とその周りなのですがここ稲荷社は五穀豊穣の祈りの場所だ。

 伏見稲荷大社、伏見区深草薮之内町の稲荷山をご神体としました全国稲荷社の総本山となっています社殿です。その創建は8世紀初頭の和銅年間、西暦では708年から715年頃に造営されたといいまして、当時伏見の地名はまだなく、稲荷社と呼ばれた。

 奈良線の稲荷駅から直ぐ。稲荷駅というのは伏見稲荷という名前ではなく元からの稲荷社としての名前をそのまま大事に継承している、とも解釈できるのですが、同時に駅前にいきなりどんと大きな鳥居と、その向こうに耐震補強中の鳥居が迎えてくれるのです。

 御香宮、伏見稲荷大社とは言いますが実のところ伏見の中心部というのは京阪電車でもう少し行きました御香宮のあたりがその中心部となります。いや実際、JR奈良線で伏見稲荷大社といえば京都駅を出て東福寺駅の次が稲荷なので近いなと思うところですが。

 紀伊郡稲荷村となっていましたのが福稲村となり深草村とそしてのちに深草町、1931年に京都市伏見区となりました歴史が。御香宮が中心部なのか、と言われるかもしれませんが、あの辺りは大坂城に並ぶ規模の伏見城があった、といえば中心部たる所以だ、と。

 大坂城に並ぶ伏見城、といわずとも御香宮といえば名水、名水といえば酒造、伏見といえば酒です。だいぶん頓智のような言い方になってしまいますが、それは歴史上、もともと稲荷社とだけ呼ばれていた社殿を明治以降無理に名前を変えたためとも言えまして。

 稲荷は稲成り、という語源があるとも数多言われる社殿の歴史には一説として考えられていまして、その社殿はむかし祭神が稲荷山の山頂に降臨したという縁から長らく山頂に構えられていましたが、室町時代中期に山麓へと遷座しまして、いまにいたります。

 宇迦之御魂大神、祭神はまた数多ならぶところでありまして、宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦大神を中社、大宮能売大神を上社、と神々が並びます。この独特の信仰は更に明治維新の廃仏毀釈までは神域に神社と寺院が並び、信仰の多様性を示していた。

 東寺の鎮守社、こんな関係を示しますとどう思われるでしょうか、と一筆思い浮かべつつ、いや京都駅から東寺へ向かう途中に伏見稲荷大社の御旅所があることから、これ京都散歩の際には常識なのかもしれませんが、この時代からかかわりがありました。

 空海と稲荷神が田辺でであったという鎌倉時代末期に記された東寺の寺伝稲荷大明神流記眞雅記云ゝには記載があり、田辺というのは京田辺でははく熊野の田辺をしめすのですけれども、教王護国寺である東寺でも当時、稲荷社の影響は大きかったということ。

 五穀豊穣を司る神、として信仰が広まりました稲荷社は全国に三万柱が奉じられているとともに、その創建の頃の大衆は農耕振興こそが第一であり最大の願いではあったのですが、農耕の安定化と共に殖産や商売繁盛が願われるようになり、その移ろいを経て。

 清少納言が枕草子に当時の参詣の様子を記すとともに蜻蛉日記や今昔物語集といった古典文学にもその様子が描かれるところから、もっとも当時山頂の社殿詣では大変だったでしょうが、社会や文化とのつながりの深さを感じさせるところではあるのですね。

 拝殿と本殿前には、もう国籍豊かな方々の祈りといいますか、祈りというよりは本殿での作法と共に詣でることが目的ではないのかな、という方も見受けられるのですが、それにつけても境内はもう賑やかであり、今も社会や文化とのつながりを感じられるのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社,思い出す一ヶ月前は令和のコメ騒動と政治視座は現状とのかい離

2024-10-09 20:00:10 | 写真
■令和の米騒動始末
 この記事は九月十一日に掲載する予定でしたが二条城と大阪城の話題を先に掲載した関係で遅れてしまいまして、まあ当時の緊張を思い出し残しておくという意味で。

 お米が、ピンチだ。正直な話をしましょう、基地を撮影に行った際に寺社仏閣を巡ることが多いわたしは、この際諦めてお米を売っていそうなスーパーを行脚しているのですけれども、米所だと思った近県でもスーパーの米売り場はカラか別のものが売っている。

 餅米が販売されていたなあ、というのは8月のお話で、しかし餅米の品薄になると麦が置かれていた、貧乏人は麦を食え、といったのは池田総理だったか、所得倍増計画を行った首相、令和の所得倍増計画が進む中、やはり麦なのか、というのは実感でした。

 麦飯も検索すると七割麦飯という、ふつう麦飯は三割程度ですから逆転してしまうような代物が出ていまして、七割麦飯って箸で摘まめるのだろうかという、もう現実感がなくなってそんなことを考えてしまいます。いや、兆候は七月にはあったのだ。

 基地撮影の際に立ち寄る道の駅、テレビアニメの影響で"米作りは土作り"という産地のお米を、遠出したことだしと道の駅で購入していましたが、七月の時点で、実はもう在庫がないので新米の頃まで入荷しないのですよ、といわれた。そこから一ヶ月半で。

 実は道の駅、件の毎回遠出の際に買っていた道の駅には新米が入っていました、地元のお米、ほぼほぼ八月下旬と九月上旬で5kgが3000円ちょっと、確かに高いのは高いのだけれども、減ってくると購入してしまう。常に一袋だけ新品の買い置きをしているから。

 新米が入っているのか、と安心してしか市況見本に出回りのスーパーをみてみよう、と、有名な"榛名乳業"のジュースを扱っているスーパーに寄ってみますが、やはり米の棚はカラ、ほかの棚と比べカラなのだ、これがほんとの、空の境界、なんてね。

 五穀豊穣、という言葉がありますが、五穀とはお米と麦に粟と豆に黍、粟であって栗ではないのだけれども最近の子は粟といってもピンと来ないのか粟と栗の漢字を読み違えたりする。豆が消えてここに稗がはいったりするのが五穀というものですが市場では。

 黍、きびだんごとして有名だけれども主食用に市場にはほとんど出回っていないし、粟についても同様、まあ、麦は小麦粉が十分出回っているのでお茶碗にいれる主食以外というならば、パンでも麺でも潤沢に供給されているが、ご飯が食べたい、となると。

 大阪では乾パンさえ品薄だ、とは、大阪では何体かやっつけたらしい、という宇宙戦争のような話ではなく、麦も枯渇した状況の先を知らせてくれまして、パック飯もかなり厳しいことに。横須賀では一合づつ分売していたのを思い出すのですけれど。

 戦争中でもないのに何でお米がないの、と子供に素朴な疑問を突きつけられ返答に窮した若い親さんがいるそうで、地球との環境戦争さ、とか、ロシアウクライナ戦争の影響、というわけでもなく、ただただ、昨年の猛暑での不作が響いている構図なのですが。

 大本営発表のように、市場には十分のコメ在庫はある、という農水省の発表を、現場を見ろという小売業者、在庫を放出しない府が悪いという農水省、今回のお米が最後ですと放出すれば本当のパニックという小売業者、足りているんだを繰り返す農水省、と。

 東京大空襲を、損害は極めて軽微なり、と発表したお役所がそのまま看板を掛け替えて、昔の海軍省のあった場所にある中央合同庁舎に入っているようなものですから、こういう言葉を繰り返すのかもしれないけれども、もう少し現実を見てほしい、とおもう。

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レバノン情勢-レバノン邦人輸送任務第一次空輸成功とフランス海軍強襲揚陸艦ディクスミュードレバノンに派遣

2024-10-09 07:00:35 | 国際・政治
■臨時情報-レバノン情勢
 空爆と共に限定地上侵攻が継続しているレバノン情勢について。

 航空自衛隊は10月4日、レバノン邦人輸送任務第一次空輸を成功させました。この第一次空輸はC-2輸送機により行われ、外国人を含め16名をレバノンからヨルダンまで空輸したとのこと。レバノン在留邦人は50名で、条件としてC-2輸送機が発着する空港まで移動できる邦人を輸送するものとしており、レバノン国内地上移動支援は行っていません。

 第二次空輸支援に備えて航空自衛隊は引き続きC-2輸送機をヨルダンに待機させるとしています。レバノン国内での空爆はかなり大規模な付随被害を引き起しており、一部には出国を希望するものの空港への移動手段の目処が立たない為に出国希望を出していないのではという現地関係者の声もありますが、詳細については今のところ不明です。■

 フランス海軍は強襲揚陸艦ディクスミュードをレバノンに派遣する、これはフランス陸軍が10月1日に発表したもので、この発表の前日に当る9月30日にディクスミュードは既にツーロン軍港を出航していたとのこと。ディクスミュードは一週間でレバノンに到達すると発表しました。ディクスミュードはミストラル級強襲揚陸艦の3番艦です。

 レバノン、フランスは歴史的にレバノンとの関係が深く2006年の南レバノン戦争においてもルクレルク戦車を中心とした国連防護軍を派遣していますが、同時に地中海沿岸部に所在するレバノンは、イスラエル軍の攻撃が無ければ観光地としての需要も大きく、10月1日の時点でレバノン国内にはフランス国民20000名が滞在し、その保護が求められていた。■

 フランスの場合はディクスミュードは多数のヘリコプターを搭載する強襲揚陸艦で有ると共にクルーズ船設計を応用した余裕ある艦内区画があり、数千の避難民を収容する事が可能です。現在フランスではレバノンとイスラエルが全面戦争に発展した場合、キプロスとトルコへ避難民を誘導する基点として、ディクスミュードの能力が期待されています。

 しかし、レバノン国内は、ヒズボラ戦闘員ポケットベル一斉爆破事件以降一気に情勢が緊迫化したため、外国人居留者や滞在者も出国する事が出来ず、特に各国航空路線の閉鎖が多くの出国希望者をとり残す結果となっています。情勢は緊迫していて、場合によってはアフガニスタンのカブール陥落以来の規模の外国人退避作戦となる可能性がでてきました。

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