岐阜基地航空祭における機動飛行の様子と誘導路付近にて撮影した情景を中心に今回は記事を構成したい。
白地に鮮やかな赤が印象的なF-2初号機。FSX計画として米国製F-16より日米共同により開発したF-2支援戦闘機は、ここ岐阜基地では試作機塗装により各種試験に従事しており、航空祭でもF-15J戦闘機と共に機動飛行を展示した。写真はF-15Jのすぐ後方を通過する瞬間を撮影しており、民間機では中々考えられない高度な機動性能は、T-2練習機より改造されたCCV実験機による空中機動性能追求から生まれたものである。
四機種四機の編隊を崩した瞬間の写真で、F-15J戦闘機の翼端からは航過と同時に白いウェーキが後方に伸びている。F-15Jの後方にウェーキとともに見えるのがT-4中等練習機で、並んで飛行しているのがF-4EJ改、下方に飛行しているのがF-2である。飛行特性の異なる四機種により編隊飛行を行う事は高い技術が必要であり、これは即ち、航空技術とは航空機そのものに留まらず、搭乗員にも相応の高い技術が求められることを端的に示した写真である。
機動飛行を展示するF-4EJ改、1968年に導入が決定し1971年より140機が航空自衛隊に納入され、航空自衛隊の第三世代要撃機の地位を担った。その後、1976年のMiG-25函館亡命事件などを契機に、ルックダウン機能(低空飛行する航空機に対処する性能)を向上させる近代化改修が為され、APG-66Jレーダーへの換装、セントラルコンピュータと慣性航法装置の近代化を実施、二個要撃飛行隊と一個支援戦闘飛行隊分に相当する96機が改修を受け、第一線に配備されている。
着陸後、減速のために展開したドラックシュートを切り離した瞬間。岐阜基地誘導路付近ではこうした瞬間を間近に見る事が出来る。近代化改修されたF-4EJ改はF-4シリーズとしては世界で唯一ASM-1/2空対艦ミサイルによる対艦戦闘に対応している。この為、F-2支援戦闘機が配備完了するまでの間、全機が退役したF-1支援戦闘機との繋ぎとしても運用されている。なお近代化改修に際して、増加した重量分に対応するエンジン出力の強化は実施されず、支援戦闘機としての能力付与に重点が置かれている。
T-3初等練習機を先頭に異機種編隊飛行を実施するF-2とF-15J。T-3はT-34初等練習機の後継で、富士重工が開発、KM-2Bとして1973年9月26日に初飛行した機体の航空自衛隊仕様。T-34を基本としてエンジンをライカミング社製IGSO480に換装したもので、1979年に静浜基地の第11飛行教育団へ、1980年より防府基地第12飛行教育団に合計50機が配備されたが、1999年より順次新型の富士重工製T-7練習機に更新がすすみ、今年度中に全機退役となる。
多機種編隊飛行(正式には異機種編隊飛行)を展開する飛行開発実験団の機体、C-1輸送機を先頭としてT-4練習機、F-4EJ改要撃機、F-15J要撃機、F-2支援戦闘機が見事な編隊飛行を展示している。編隊を構成する10機全てが飛行開発実験団所属の機体であり、この様子は、一度見れば忘れられない物凄い印象を受ける飛行展示である。輸送機と戦闘機、支援戦闘機を配備した基地は日本では岐阜基地以外に無く、この名物を見るために首都圏から撮影に訪れる人も少なくない。
着陸し、減速のためのドラックシュートを展開したF-2、本機は小牧基地と県営名古屋空港(当時は名古屋空港)に隣接する三菱重工名古屋工場にて開発され、岐阜基地にて評価試験を実施した航空機である。
切り離したドラックシュートはすぐに回収され、誘導路脇には回収の為の要員が展開しており、後方噴射に注意しつつ次の機体が通る前に人力にて回収し、折畳んで軽四車輌に収納する。
エアブレーキを展開するF-15J要撃機。減速にはエアブレーキを用いる方式とドラッグシュートを用いる方式がある。米空軍のF-105などの航空機はヴェトナム戦争では、このエアブレーキの内側にレーダー撹乱物質を搭載し、ミサイルへの自衛手段としていたが、現代の航空戦では、例えば敵機に後方を取られた際の最後の手段として飛行中にエアブレーキを作動させる方式で空気抵抗を増大させ、急減速に用いられることもあるという。
その上空を練習機ならではの旋回飛行をみせるT-4,画像修正をしてみるとエンジン排気がくっきりと写っている。1985年4月17日に川崎重工岐阜工場にてロールアウトしたT-4は練習機以外に、連絡機や訓練支援機などとしても運用され200機以上が2020年代まで運用されるとみられている。
HARUNA
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