イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

比較の愚と恵み!

2007-08-06 | 第七章「光と復活体」

最近、比較するということに何かと感じることが多い。

幼い頃から、比較したり比較されたりで生きてきた。特に魂の年頃7歳を超えると、殆ど毎日比較が頭を過ぎる。劣等感や変な優越感も経験する。

若い頃は、そんな自分や社会が嫌であったが、馴れもあるのか20才台後半になると特に違和感を感じなくなった。鈍感になったようだ。

40歳になったころ、丁度企業の宣伝広告関係の仕事を5-6年やってきたこともあり、新製品の比較広告の問題に直面した。当時は今より保守的であったが、欧米では比較広告は殆ど抵抗が無いこともあり実情に合わせて導入して成果を出したことがある。

競い合う中で比較は、理性の合理化作用がありもっともらしくなるが、所詮競争の場で自分に有利にし、他を排除する営みであることは確かである。生き残るため、より物質的な富を得るため比較をするのは人の性であろう。そして、それが嫉妬や羨望にも繋がることもある。

そんな人であるが、魂のレベルの宗教や信じることの領域に入っても、比較の問題は出てくる。主な宗教でも、原理主義的な傾向を持つ人々が必ずといって良いほど出てくる。

ただ、信仰や宗教の世界は、比較の基準である自分本位の比重を極端に下げて、神仏といった聖なるものへ比重を移すのが一般的のようだ。従って、比較の意味合いも変わり。多様性も受け入れる姿勢が出てくるように私は思う。

今、眼の前に世界の主な8宗教の影響関係を表すマトリックスを見ている。比較宗教学(北樹出版、田中かの子著)の中の表である。

その表をみていると、自分はクリスチャン(カトリック)であるが、この地上の様々な宗教が愛おしく見えてくる。比較の恵みというのであろうか。

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