今から約4000年前以降の縄文時代の後期や晩期は、寒冷化などの影響で衰退期という説がかつては大手を振っていたが、遺伝子科学の進歩や考古学の進展などで、最近見直されつつあるようだ。
写真は山梨県の金生遺跡であるが、東京の田端積石遺跡と同様に、遠方の河原から選別した石を運んで来て祭儀などのための配石を行っている。冬至には田端遺跡が蛭ケ岳の頂上に太陽が沈むが、金生遺跡では甲斐駒ヶ岳に太陽が沈む。このような場所はこの二つだけでなく全国にいろいろあり、700年とかの長期にわたって運営されたようで、衰退期とは思えぬ知恵と結集力が溢れている。
後期・晩期にはそれだけではなく、低地に水場遺構が多くあり、栃の実加工所と思われるような遺跡すらある。これも複雑な施設だ。その他盛土遺構や長野県鷹山遺跡の黒曜石採掘遺構などもあり、土木関係という切り口だけでも、縄文後期・晩期の苦労があってこそ、後世の大規模な古墳や奈良の大仏などに繋がるのだと思う。
ところで、縄文後期・晩期は土木工事だけでなく、環境の変化に対応する中で、食糧資源の開発などいろいろな面で高度化、複雑化しているように思える。そうした中社会が複雑化し利害関係が複雑になってくると、本音を言いにくい雰囲気がより醸し出されるようになるのではないだろうか。嫌いなことを好きといったり、白を黒といったり・・・今の世の中でも、こうしたことは結構多くなっていると思うが、縄文時代の後期や晩期も似たようなことが起こり始めてきたのではないだろうか。そして、自分で好きとか嫌い、あるいは白とか黒などをしっかり意識できればまだ良いが、それが不健康に分からなくなるということ・現象もあるのだと思う。
このブログでは最近、愛の孤独の怖さなどをいろいろご一緒に学んできたが、私が自戒をこめて怖いと思うことは、自分のありのままの姿(良い事も悪い事、美しいことも醜いこともいろいろあろう)を直視せず、なんとなく良しとしてしまう。こんな状態のときは自分をどこかでゆるしてないので、当然ながら他者をゆるせるわけでもなく。そして、愛の孤独を感じてしまったりする。
U先生は、こんな状態のときに、誰にも見せないノートを作り、その中に自分のさまざまな想いをストレートに記入することを薦めておられる。人には意識の世界もあるが無意識の世界もあり、問題はそれほど簡単ではないが、ノートに書いたことを、そういった自分のありのままの姿を変に責めることもなく俯瞰していくと、随分違ってくるように思える。
話は飛ぶが、この数年、縄文小説のこともあり、生き甲斐の心理学のこともあるので、日本神話やギリシャ神話・・いろいろ楽しむことが多くなった。その中で、自由奔放の神々のお話の中で、それこそ自分を変に責めるでもなく大らかに認めるお話のあり方に、とても共感を覚えるようになった。観るなといっても観てしまう。責任があるのにやってしまう。・・・倫理道徳で裁くのは人間なのだが、神々の世界はそれを越えているところがあり、ある意味大らかだ。
自分に対するゆるしは敗北なのか勝利への一歩なのか。自分をゆるせることと他者をゆるすことはどう繋がっているのか。新春のこの季節、愛とゆるしの関係。あるいは、和解と平和の関係。こうしたことをじっくり考えると良いかもしれない。因みに伝統的な宗教や哲学は、そのあたりに答えてくれるように思うが、皆様はどう思うだろう。もう一つ。縄文時代の人達はどう乗り越えていったのだろうか。
真善美を意識する縄文 6/10
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