何を信じるかは大きな問題なので、沢山の議論があり私たち一人一人が現実吟味力を発揮して決めるべき問題だ。そして、当然ながら日本でも大きな関心があるのだが、もう一つ、信じると何が変わるか(心理学的に)ということは、憶測はあるものの余り日本では論じられていない。
さて、信じると何が変わるか?言い換えると信じて見えてくるものは何か、信じて見えなくなるものは何かということをU先生から学んできた。欧米の大学では心理学の中で、この「信じて見えてくるもの、見えなくなるもの」の現象の研究は結構盛んだとのこと。一般的には信じると幸福曲線が見え、ストレス曲線が見えなくなると言われている。言われてみると、確かにそうかなと思い当たるふしがある。
縄文小説第1作にも書いたが、子供の頃に「お前は、橋の下から拾ってきた」といわれることを多くの日本人は経験しているようだ。私の場合は橋の下ではなかったが、同じような内容のことを言われた。自分の親を親だと信じることができなくなると、先の命題の反対だが不安感が見え、いろいろと世界がストレス曲線の下で違って見えた記憶があった。まあ、最後は親から「あはは」と言われて、幸福曲線に終わったのだが。
こうした事例の応用問題かもしれないが、神仏を信じて見えてくるのは幸福曲線ということもあるようだ。人の死という最大のストレス曲線に対しても、神仏を信じているかどうかは重要な分かれ目があるようだ。文化の面もあるが、Facebookなどでは欧米の人は訃報に関して「悲しい」というより「超イイネ」をつける人が多いのに驚くが(英語だと何という単語なのだろうか)、日本人は最近は宗教がタブー視されることもあり、祭儀参加はともかく神仏を深く信じている人が少なくなったのか、そうなのかなとも思ったりした。
ところで。神仏を信じて幸福曲線が見えるのはある意味良いことではあるが、それから先に二つの傾向があるようだ。自己肯定・他者肯定的になるか、自己肯定・他者否定的になるかだ。最近、3500年前のことを考えるためにコーランを読んでいるのだが、同じイスラム教でも原理主義的に暴力的になったりする人が一部にいるのは教義から見ると不思議なところだ。サムシンググレイトを信じ、生命を愛する心があれば他者否定的になるのは変なのだが、不思議なこころのメカニズムが働くのだろうか。これは、キリスト教や仏教などでも同じようだが。
自己肯定・他者否定のリトマス紙は神仏を信じる人にも大事だと思う。
自分を整理してみる 10/10
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森 裕行 | |
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