皆さんにひとつ質問があります。過去一年を振り返って、テレビも新聞も見なかった(つまりマスコミ)日は何日ありますか?インターネットという微妙な媒体もあるが、それも入れてどうでしょうか?
自分のことを考えてみると、年間で4-5日(ネットは携帯があるので遮断は難しいかなぁ)、というところである。人里離れた場所や、意識してそれを置いていない場所(例えば黙想や座禅をする場所など)に行かない限り、難しいようだ。
マスコミの情報
マスコミの情報に触れることで、自分はどういう影響を受けるのだろうか?そんなことを思索してみた。
恐らく、他人の解釈とそれに感情移入したりする影響は結構大きい。何となく全能感をもってしまったり(身の丈を超えた)、自他混同的になったりするケースも。そしてマスコミによって加工された情報が、加工されていない(解説なしの五感による)一次情報より、大きな比重をしめてしまう。
もう20年くらい前になるのだろうか。パソコンを購入し、インターネットの世界を見始めたころ、Webライブカメラに興味をもったことがある。沖縄の某所のバナナの木をリアルタイムに映していたのを覚えている。通常のマスコミの報道と違って、解説なしのライブ映像なのだ。
そして、2-3分バナナの木を見ていると、はじめは楽しいが、何か居心地が悪くなり見るのをやめた。
そんなことを思い出し、インターネットで今日調べてみると、ライブカメラのリンク集が沢山あった。その中で、世界の窓というリンクがあった。解説なしの一時情報を観る。その中に福島第一原発のライブカメラ(ふくいちカメラ)があり、それをぼーっと見た。
テレビなどで見慣れた施設(痛々しいほどに破壊されたりしている)であり、はじめは静止画かなあと思った。人影もなく、・・・
ただ、ずっと見ていると、雨粒がレンズにかかっていて、雨が降っているようだ。そして、カメラの近くの雑草がそよいでいる。そのうち、雀か何か?小鳥が近くの雑草のそばに止まり、羽をつくろったりしている。やはりライブなのである。
この5分くらいでも、マスコミが恐らくだれも報道しない情報が得られる。
数年前、私は福祉・介護業界で働いたことがある。そのときに印象深かったことで、末期治療を受けている患者さんが、だまって一人テレビをずっと見ている光景だった。当たり前のようであり、何か寂しい気持ちだった。
五感と体感で自然を味わったり、人と語らったり、昔はマスコミもそんなに発達していなかったので、もっとしみじみとした生活だったように思う。
先日、多摩動物公園に行ったとき、暑かったこともあり、水牛が池の中に潜っていた。いつ顔を出すのか、もう一人のアマチヤ・カメラマンの方と、ずっと見ていた。結構長い間潜っていてびっくりしたものである。時に顔を出し別の世界を見ることも、心の健康につながると思うが、どうだろうか。
旅 3/10