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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「淋しい」という孤独感と愛の関係!(詩歌とストレス 8/10)

2015-08-15 | 第九章「愛」

 夏休みの旅も終えて、そろそろ気を引き締めて30日の勉強会の準備をする時期になってきたようだ。1300年前の萬葉集の時代、そして、百人一首、現代詩を読んできたが、今日は恋にまつわる淋しさ孤独感、親密性、愛の関係(心理学者エリクソンが指摘した)を考えている。

 さて、自分にとって孤独感というか、暗い感情を驚きをもって味わったのはいつだろうか。やはり、高校生のころかなと思う。小中学校のころまでは、カトリック教会に通い、まあユーミンの「やさしさに包まれたなら」の小さいころの世界。信じて見える愛のメッセージの世界だったように思う。それが、高校2年のころの大人に変わる時期、時代もあり、自分の生育史の傾向もあり、信じられないで見える世界に足を踏み入れたようだ。

 その時に感じた、純粋な孤独感は何を意味していたのだろうかと今頃になって思う。その後の人生は、高校生のころの感情の反動もあったのか徐々に人を信じ、神仏を信じる世界に戻り始め、40歳台のある日突然に神仏を信じる世界に辿りつく。

 さて、いつものように孤独感について萬葉集と百人一首より一句づつ・・・

 君待つと我が恋居れば我がやどの 簾(すだれ)動かし秋の風吹く  額田王(萬葉集488)

 これは、実に有名な額田王が天智天皇(多くの妃がいた)への深い思いを歌った詩。簾を動かすというところが、ユーミンではないが不思議なメッセージととらえ、深い詩になているのが素晴らしい。淋しさの感情の意味を探る心の動きは時を越え、現代にまで伝わってくる。

 続いて百人一首。

みかの原 わきて流るる 泉川(いづみがは)
   いつ見きとてか 恋(こひ)しかるらむ
          中納言兼輔(27番) 

 この歌は片思いの歌とも、想いをとげた歌ともいろいろ解釈できるが、これを現代詩の吉原幸子さんが訳を兼ねて詩にしている。素晴らしい解釈だと思う。

 

 古えに 酒をつくる甕(みか)を埋めてから

 いつしか泉が湧きだしたという瓶(みか)の原

 その原をふたつに分けて

 さらさらと流れる 泉川

 そのように

 あのひとをはじめて見たのは

 いつのことかさえ 思い出せないのに

 いつ 逢ったとも

 いつ 契ったとも

 おぼろげなのに

 

 なぜ あのひとの面影が心はなれず

 これほどまでに恋しいのか

 わたしの思いが なぜ 果てしなく

 泉のように溢れでるのか

 (吉原幸子 百人一首 平凡社)

 

 みかの原は、聖武天皇の恭仁京で知られていて、萬葉集でも歌われている(泉川)ので蛇足かもしれないが以下参考まで。

  泉川 渡瀬深み 吾夫子が旅ゆき衣漬づちなむかも  (萬葉集3315)

 因みに、この歌も婦人が夫を心配して歌っている孤独感の歌である。 

 百人一首にでてくる甕は、縄文後期の注口土器だったのだろうか?それに関わる伝説・神話があったと思うが、どのような内容だったか実に興味が湧く。

 ちょっと脱線してしまったが、孤独感を歌にする、言語化する中で、自分の孤独感を俯瞰。そして、何か新しい視点解釈をしていくのが詩歌なのだろう。それは、生き甲斐の心理学から考えても、立派な心理療法のように思うし、等価変換創造理論からも説明できるだろう。新しい視点は細かく書いていないが、神仏や魂の世界に繋がるように思う。

 最後に、愛を信じて見えるものを、今日は併せて思索しているが、ユーミンの「やさしさにつつまれたなら」の詩も、萬葉集からの伝統を引くような孤独感、親密性、愛についていろいろ考えさせてくれる詩だ。 

詩歌とストレス 8/10

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