2020年5月7日、八王子市のめじろ台駅の近くの椚田遺跡公園と周辺の神谷原公園を散策した。神谷原遺跡は東京都で初めて見つかった環状集落遺構で有名であるが、二つの遺跡巡りをして5500年くらい前から4400年くらい前の祖先の生きる力をあれこれ考えた。今の時代も生きるのは大変だが、昔も同じように大変だったのではないか、さらにどのように辛い時を乗り越えたか・・・
自分の人生を振り返ると2011年の東日本大震災まで、命にまで影響のある災害等の記憶はなく、どんどん平均寿命が延びる世相の中で、私は科学技術への根拠のない信頼の中、太平の世の中で惰眠を貪っていたようだった。
しかし、現実は私の生まれた頃と比べ、便利さや社会のインフラの充実は格段の違いなのであるが、最近の自然災害や感染症などに心を留めると、私が生まれたころの状況と本質的には変わっておらず、科学が発達した世の中でも、今回のように瞬時に社会が危うくなる脆さを孕んでいることに気づかされる。
感染症のことから話をすすめよう。幼いころの60年前とか70年前の統計資料を調べてみると、結核も赤痢等も結構蔓延していて、私の誕生した年では赤痢だけでも15,000人くらい毎年なくなっていた。今の日本の感染症の状況も、新型コロナウィルスだけでなくデング熱とかいろいろ出てきているようで、勉強すればするほど、新型コロナウィルスが発生しなくても、日本で感染症が大きな問題になるのは時間の問題だったように思う。
世界を取り巻く交通網の整備もこの10年くらいすさまじいものがあり、新型コロナウィルスだけでなく、致死率が高いエボラ出血熱などが蔓延する危険性はいつのまにか高まっているようだ、さらにそれに対応するワクチンなどが叫ばれているが、伝染病と人類の戦いの歴史を少し知れば、完全勝利を収めた天然痘以外は、どちらかというと厳しい戦いを強いられているようなのである。
さて、本題にもどろう。辛い病に罹ったり、仕事で厳しい状況に陥ったり、あるいは人間関係で限界状況になったりと生きているといろいろなっことに出会う。これは自分だけかと辺りを見渡すと、そうでもなく誰もが大なり小なり、半世紀とか生きていれば、厳しい状況に陥ることがあるようだ。
そこからが今日のテーマなのであるが、厳しい状況に陥ったとき、ふと自分の心の故郷のような風景を思い出すことで、何か元気になり、普段は何となく固執していた過去の出来事や、未来の心配がどうでも良くなり、今ここの問題に対する知恵が泉のように湧いてきたりする。火事場の馬鹿力とは良く言ったもので、物理的な力はともかく、違うモードになると運命が開けてくる。
核心となる心の故郷となるような風景。U先生の「生き甲斐の心理学」では<愛の原型>と呼んでいる。例えば自分の例で恐縮だが、10才くらいの時に両親と妹とで夏休みに家族旅行に連れて行ってもらった。伊豆半島の東海岸の某所であるが、着いて暫く父とゲームをしていたが、そこでルールを巡って喧嘩になり気まずい雰囲気になってしまった。その後、家族で海水浴を初め、私は浮き輪に乗って楽しんでいた。その時台風の余波もあり波が高かったこともあり飛び込み台近くでひっくりかえり、運が悪いことに海中の飛び込み台の脚部にひっかかってしまった。その時父が気づき、危険を顧みず潜って助けてくれたことがあった。
その前に交通事故で友達が眼の前でなくなるという事件では、何かこころの傷になり、癒やすのに時間がある程度かかった記憶があるが、この出来事はそういうことは全くないのが不思議であった。さらにその後、U先生の生き甲斐の心理学を学び始めることで、この事件の解釈を深めることにより、大事な<愛の原型>になったように思う。
もう一つは、これは10年くらいまえに自分の体験の解釈が変わり<愛の原型>の一つとなった例だが、祖母の話である。10人の子供を育てた祖母は、いろいろ感染症にも遭遇したのだと思うが、4才の時に幼友達から祭りで買ったベッコ飴を貰って食べようとしたとき、隣にいた祖母がそれをたたき落としたことがあった。なんと酷いことをする祖母だと、その時は子供ながら思ったが、後日思索すると、赤痢で10,000人くらい亡くなる時代、祖母の行動は孫を守るための愛の行動だったのだろう。このCOVID19の時代。私にも恩返しをすることがあるのだろう。
<愛の原型>は自分が愛されたと思う風景であり、本来は大げさなものでは無いように思う。縁側の日差しを浴びて積み木遊びをして褒められて有頂天になったりの記憶・・そうした記憶は考えるといくつも出てくる。ただ、不思議なことに愛とは何か、生きるとは何かと自問自答していると、かつてのある思い出の体験の解釈が変わって貴重な<愛の原型>となることがあると思う。先の私の二つの例がそれである。特に、身近な両親や親戚、友達、恩師、こうした人に想いを寄せると当時は気づかなかった愛を発見でき生きる力になるのではないか。
さて、この<愛の原型>をいろいろ考えていたのだが、考古学の知見の中から、当時の人々の<愛の原型>を何となく感じる遺跡がある。飛鳥時代の遺跡と縄文時代の神谷原・椚田遺跡を今回取り上げてみたい。
飛鳥の遺跡はいくつもあるが、天武天皇・持統天皇が眠る野口王墓古墳は<愛の原型>を思索する最高の場所である。御陵の真北には天智天皇の山科の御陵がある、真東は天武天皇や持統天皇の関係が深い伊勢神宮がある。伊勢神宮の遷宮の制度は天武・持統天皇の時代から始まった。また、東の方向には持統天皇と繋がりの強い蘇我氏関係の墓所が多い。南は当然ながら壬申の乱の起点・吉野宮がある方向であり、壺阪寺や高取町といった薬に因む場所がなぜか多い。西はと言えば、実に持統天皇、天武天皇の女系祖先の御陵が並んでいる。吉備姫王、斉明天皇、伯母の間人皇女、姉の太田皇女、健皇子皇子。6-7世紀の歴史を知れば知るほど、このお墓の意味が胸に迫ってくる。激しい感情生活を送ったお二人が関わった人達の御陵。それは感情を越えた普遍的な世界が広がっているのではないだろうか。
さて、飛鳥は1300年前といった世界であるが、4000年前とか5000年前の縄文時代でも同じような足跡があることは意外に知られていない。私もそうだったが、縄文時代というと竪穴式住居を思い出す。弥生時代は高床式住居・・・そんな風に学生時代に学んだようだが、教科書も30年くらいたつと大きく変わる。多分今ではそんなことは教えていないだろう。実際は竪穴式住居は縄文時代だけでなく弥生時代も平安時代も庶民の暮らしとして続いていた。また高床式住居は縄文時代にも存在したことは今では常識となっている。昨日は近くの多摩市和田西遺跡周辺を散歩したが、そこには6000年前ごろにあった巨大な竪穴式住居があり長径15m床面積112㎡におよぶ。このようなものがあったのである。
そんな中、縄文時代の住まい方の特色として私が興味津々であることは、縄文時代前期後半ごろから中期にかけての環状集落という住まい方である。神谷原公園周辺を散策したが、湯殿川を見下ろす崖の上の広い土地で、今は公園や運動施設となっているが、ここに5200年くらい前から約300年に渡って環状の住居群から構成された村があった。半径35mの円の内部にはお墓などがあり、半径35mから75m近くの環状の部分には住居の跡がある。また、中心から見てある方向に住居がある程度固まっていたりするので、家族や親戚単位で村の利用が行われているようだと推察する研究者もいる。
しかし、こうしたお墓や住居のデザインをこの場合だと300年くらい守っていくわけで、当然ながら数代、10代といった世代の中で引き継がれている。今の時代は、家やお墓を昔ながらのデザインの中で作ったり暮らしたりする人は少なくなったように思う。優しかった祖父のお墓はここ、私が死んだらこの辺りに埋葬される。今の家はここだが、祖母の家はあのあたり。揺りかごから墓場までという言葉をどこからか聞いたが、不死の魂の世界を信じていた祖先にとっては、揺りかごから墓場などは余りに卑小と思うのではないだろうか。縄文風に言うと「あの世からこの世を通ってあの世」。あるいは「この世とあの世を一緒に暮らす」。不思議なことに、この感覚は何らかの信仰を持っている人にとっては分かりやすいかもしれない。
環状集落では生者と死者との距離も隣り合わせ。朝、ドアを開けると身近な人のお墓が眼の前に。そんな風景である。当然ながら、<愛の原型>を思い出すことも私たちと比べると多く、元気づけられることも多かったのではないだろうか。
5500年前ごろ、この神谷原村は突如廃絶される。そして可能性が高いのは、500メートル西側の椚田遺跡公園への引っ越し。なぜ引っ越ししたかは、「東京の縄文学」(安孫子昭二著 之潮 2015年)よれば近くを流れる湯殿川の影響ではとのこと。私たちも日々感じているように日本列島は美しく幸が豊富であるが、自然災害も多く、伝染病なども当然ある。何らかの事件の後、<愛の原型>に触れながら祖先達は新たな希望を持ってこの地を去ったのだろう。
この椚田遺跡はその後1000年くらい使われ、縄文中期末葉になると、多摩丘陵など全般に言えるのだが、広範な撤去・廃絶が起こる。敷石住居などが盛んになるころ。そこにはどのような<愛の原型>が育まれていたのだろう。
参考資料
愛の原型については、植村先生の次のYouTube こちら
「東京の縄文学」(安孫子昭二著 之潮 2015年)
「新八王子市史 資料編1 原始・古代」八王子市市史編纂委員会 2017年
以上参考にさせていただき感謝しています。
縄文時代の楽しみ方 8/10
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