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人それぞれ難問を抱えているが、それを乗り越えていくにはまず心理学の用語を使うと、アイデンティティの統合が大事だということがある。難問といってもいろいろあるが、一番の難問といえば多分自分の生死の問題だと思う。名誉もお金も死という難問の前には、おそらく不安の解決からは程遠いだろう。裸一つで生まれそして一人で死んでいくのが人間だ。神仏や魂をどうとらえるか、哲学・宗教といった世界。理論だけでなく無意識を含んだ信仰の世界をどう捉えるかだ。
私の生き甲斐の心理学の師であるU先生は、学生時代のアイデンティティに関わるU先生の師のイメージ療法についてDVD「元気で生きる」の21番目の「草原の大木」(YouTubeでも見られる)の中で語られている。詳しくはこのブログの左のメニューから「元気で生きる」を検索していただき見ていただくのが早いかもしれない。それはともかく、神仏に頼るということは、自分を変に卑下せずどうどうとすることでもある。神仏はいわゆる超越と内在に関わる存在であるからだ。そして、自分を草原の草木とイメージするより草原の大木をイメージした方が良いということになる。
写真は百草園の近くに群生する椎の木。樹齢数百年と聞く。5月になり椎の木も花を付け出し独特の臭いを放つ。小学生のころに家の近くの太田道灌が狩りの目印に使ったという四ツ谷本塩町の椎の木を思い出す。そして、この椎の大木のイメージは自分のを元気にしてくれるように思う。
さて、AMORというWebマガジンに「旅する縄文人」という拙文を寄稿した。旅はいろいろな意味があるが、今回は巡礼のような神仏を渇望する旅のことである。神仏を渇望する欲求というのは、かつては性欲、食欲と同じような人間の欲望の一つとみなされて欧米の大学で教えられたという。今はそのようなことは聞かないが、そうした欲求を無視するというのは心の健康を考える上で問題だと思う。その時の神仏のイメージはどうだろうか。真善美を体現するもの、頼りがいのある存在ではないだろうか。これは縄文時代でも同じだと思う。
そして、そのイメージは自分自身のイメージともどこかでつながらないといけないのかもしれない。そして、健全な自分が愛されるように人を愛するというような世界が生まれてくるのだろう。
縄文世界を感じるとき② 3/10
「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」
縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。
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森裕行
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