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小さいころ食事をするときに、「お百姓さんが一所懸命作ったんですよ」などと言われたのか、米を一粒も残さず食べる人が多い。私もそうした世代の一人だ。まあ、米を食べる文化は基本的に弥生時代からなので2300年とか3000年前から、そんなことを子供に伝えながら祖先は生き抜いてきたのだろう。しかし、その前は栗とかどんぐりが主食。当時はどのようなことを子供に語ってきたのだろうか?
私は、ある心理学者の著作を思い出して、きっとドングリが大木に成長することを例えて、子供をさとしたのではとかつて小説書きの中で妄想した。「しっかりとドングリ鍋をみなお食べ、食べればドングリが大木になるように、お前も大きくなる!」
大木のイメージは私の中では、小さいころからいくつもある。四ツ谷の家の近くにあった、大田道灌が狩りの時に目印にしたという椎の大木。小学校の時はヒマラヤ杉。多摩に引っ越ししてからは欅とか銀杏。樹齢500年くらいの大木もあり驚いてしまう。
そんな中で好きな大木をイメージし、自分がそうなったらどうかとイメージしてみる。意外と気分がよくなる。
さて、大木の話はひとまず置いて、ロジャースの人格形成論のことをお話ししたい。これは、有機体のことを言っていて、ドングリが大木になるということも説明できるかもしれないが。ロジャースの理論は心理学だけでなく、さまざまな学問や平和構築にも応用され、かつてロジャースはノーベル賞候補になったともいわれている。それは平たく言えば、生命体・有機体には一貫性があるという真理だ。
*有機体は、一つの基本的な傾向と渇望をもっている。すなわち、体験している有機体を現実化し、維持し、強化することである。
*行動とは、基本的には、知覚されたままの場において、有機体が、経験されたままの要求を満足させようとする、目標志向的な企てである。
ほかに17ほどあるが、実に考えさせられる。
そして、困難さをもって支援を求めている人と接する時に、こうした一貫性を信じるということは、私の場合とても役立った(福祉の仕事や、母の世話などで)。人間の尊厳(人の身体は神の神殿などの思想的な背景)を考え一貫性を信じると、支援の道筋もおのずと決まってくる。上から目線ではなく、まあ一緒に歩くといったスタンスになっていくが・・・
他者の一貫性を信じる・・・それは理論に裏付けられてもいるが、実に介護や支援の質を大きく変える。
困難な人を支援するために 9/10