昨日は、青梅の塩船観音寺に行った。青梅駅で下車し、のんびりと美しい森や川。そして愛しい動植物と触れ合い、3時間くらいかけて塩船観音寺に到着した。
美しいツツジを眺め、御朱印帳をお願いした。5年前に三千院ではじめた御朱印帳であるが、最近は奈良や京都だけでなく、関東の神社仏閣でも御朱印帳をお願いしている。墨書された美しい記念は、何か家に帰ってからも親しみが湧き、今日もお寺の由来などをネットで調べたりした。
塩船観音寺を調べると、開山は645年~650年の大化年間とされ、人魚伝説で有名な八百比丘尼が観音像を安置したのが始まりだそうだ。丁度先日日本書紀の推古27年に摂津の国で漁師が網に人魚?を捕まえたとの記述があり不思議に思っていたところであった。八百比丘尼の伝説は人魚の肉を食べて不老不死になった若い女性の魂の伝説であり、なんとも不思議な話であるが、竹取物語でも最後に、不老不死の薬の話と富士山(不死山)の話が出ていて、その繋がりを考えたりすると時間が経つのを忘れる。
まあ、伝説の話であるが、船に関する行基の話もあるので、藤原・奈良時代には何らかの聖地であったことは確かなようだ。昨日も武蔵府中熊野神社古墳についてブログに記したが、身近な関東に藤原・奈良時代と繋がるスポットが、自分の頭の中で飛鳥・奈良とつながってきた。
さらに、調べてみると、高尾山薬王院は聖武天皇のころに行基が開山したとのことで奈良時代。深大寺も聖武天皇の天平5年開山ではあるが、その前の白鳳時代の仏像まで発見されている。勿論、武蔵国分寺は聖武天皇の治世。
行基和尚の像は先日。唐招提寺で拝観したが、行基が美しい自然にあふれる関東周辺で教えを広めたんだなあと思うと、何となく実感が湧く。
その行基が亡くなった年は、金が陸奥に見つかった時代である。財政難の中、陸奥で金が見つかり、年号を天平から天平勝宝に変えたとも言われる。その変化の年から、東北も大きく変わっていく。
歴史に癒される 10/10