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今年も運よく行くことになった琵琶湖の縄文時代のことを調べていると、粟津湖底遺跡などの話がでてくる。縄文時代は琵琶湖の海面(水面)が低かったのだろうか・・・など、いろいろ考えてしまった。琵琶湖の水位は、素人が考えるほど単純ではなく、さまざまな要素があることを知った。
そして、縄文時代の海岸線のことを想った。これも6000年前ごろの縄文海進期のピーク時に関して、さまざまな情報が駆け巡っている。いろいろ調べると、関東地方などは海面が2-3m今より高いレベルだったようだ(12000年前の縄文草創期(海退期)はー50m近く)、しかし、さまざまな要因が海面を決めるということに驚いた。単に、温暖化とか寒冷化というだけでなく、黒潮の流れ、巨大氷塊の位置、地殻変動(マクロ的なものもあれば、地域的なことも)などが関わるようだ。
一番興味がある、関東の縄文前期~中期~後期の海岸線は、古生物学とか考古学・・・学際的な研究の成果もすすみ次第に明らかになっていっているようだ。素晴らしいことだ。しかし、縄文海進のときは大宮あたりまで海岸線が来ていたようで、そんな風景がどうだったか楽しくなる。なお、調べているうちに平安海進があったということも知った。平安時代に海水準が1m程度変動したとも。紫式部が、こうした時代海進をどのように感じていたのだろうか。
人のこころの健康は、免疫、内分泌、自律神経、老化、遺伝、そして環境の6つの要素が大きいと生き甲斐の心理学で学ぶ。6つのうち環境だけが、かなり自分で決めることができる要素だ。その環境も、自然の変動でずいぶん変わる。
孟母三遷の話もあるが、自分の置かれている環境。それを縄文眼で俯瞰してみると(笑)、意外な側面が見えるかもしれない。
縄文からの風⑧ 6/10