このところ、枯葉の写真にこころが奪われることが多い。よく考えると、思わぬ出来事があって、その不安感が枯葉の写真に自分の不安が投影されているようなのである。
自分の課題というか弱みというか、それを他のモノに投影する。まあ、写真ならそれなりで問題は少ないが、他者に投影して本来は他者は関係ないのにイチャモンをつけたりするという変なこともある。
問題解決に力を注ぐなら良いものを、実は直接関係ない他者批判なのでエネルギーを消費してしまう。こころの防衛機制というしくみは、時に本来は自分の問題なのに他者の問題にすりかわるようなへんなところもあるのだ。
しかし、枯葉の写真は、まあ投影の一種なのだろうが、枯葉はかれても赤い実が残り輝くといった前向きさも感じ、投影することである意味自分を客観視し、そこに係わる美とか神秘的なものとかを暗示させてくれる。
戦国時代の武将は、戦う前に歌会を開き連歌を歌ったりしたようである。芸術で自分の気になるところを投影し、そして昇華する。誰が考えたのかわからないが理に適っていると思う。
こころの柔軟体操 8/10