日本の浮世絵・工芸や能などの芸術、かつての製造等の技術、漆の技術は世界に認められる分野だが、こうした専門家集団の原型はひょっとしたら縄文時代まで遡るのではと思う。縄文中期の造形美豊かな土器は有名だが縄文後期・晩期のより蓄積された専門家集団の技と思える土器や土偶なども思わず凄いと言ってしまう時も。
こうした専門家集団はどのように育まれてきたのだろうか。そんなことを最近よく考える。これは今の世の中の様々な現象を見ていて気になるところでもある。良きにせよ悪きにせよかつては終身雇用とかで、人間関係は今より濃密で長期にわたっていたように思う。労働者の流動性はいい部分もないことはないが、専門技術という意味でどうなのだろうか。
師が弟子に教える。姑が嫁に教える。まあいろいろあるが、その関係は決して今はやりのサービス思想では成り立たない。マニュアルなしの伝授の世界。人を信頼する知恵と勇気・・それは基本だと思うが、信じてばかりいると突然の失敗など思わぬことも発生する。そこで、疑う知恵と勇気も必要になる。嫌らしいと若い頃は思ったこともあったが、濃密で長期にわたる専門家集団の世界では両方とも必要なのだろう。信頼と疑惑のハーモニー。
そして、その裏にはどのような思想があったのだろうか。多分それは深い精神世界に繋がる。その起源は縄文時代の宗教かもしれない。縄文時代の文化を調べると蛇に関わることが沢山でてくる。これは中国の文化にもあるが、オリエントやエジプトの文化にも共通するもの。異形の生物であるが定期的に脱皮を繰り返し、猛毒を持つこともあり、何かと人を畏れさせる。それは単なる生物の蛇を越え龍といった想像上の何かに姿を変えていく。縄やひもといった祭儀に関係するものも起源は実に古い。
蛇の外に私が注目するのは暦である。正確な暦はどうしても有史時代になるのだろうが、先史時代でも大切にされたことは確実である。古代の科学である五行陰陽説は日本では6世紀、7世紀ごろに整備されたが、それを受け入れるにも素地が必要であり。その素地を考えると、縄文時代に遡る(ひょっとすると旧石器)。
今年の冬至は12月22日。都内唯一ともいわれる田端遺跡は私の家から簡単に行ける。そこでは冬至の夕日が縄文文化人が好んだ三角の神奈備形(鏡餅型?)の蛭ケ岳山頂に落ちる。3500年くらい前から700年くらい続いた祭儀場の跡とも言われる。小さなストーンサークルのようでもあるが、何故か5000年くらい前の大型の石棒なども含まれたりしその目的への想像力を掻き立てられる。
破綻することなく、愛とゆるしの中で脱皮しつつ繰り返させられる何か神聖な存在。それは、日常の専門家集団のこころの裡とも繋がったのだろう。
今年の皆既月食の時も蛇を妄想したが、美しい紅葉のカエデも、ある学者は蛙手が語源ではないかと言われていたような。蛙も縄文土器に沢山現れるが、それも生物を越えた何かに繋がるのだろう。
10/10 生き甲斐の心理学と縄文
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森裕行
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