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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大きな自然災害のとき縄文人はどのような神に祈りを捧げたのだろうか?(縄文からの風 ④ 2/10)

2015-02-14 | 第七章「光と復活体」

 マッサンも、人員整理で事業をたたむ方向かという瀬戸際で、大受注を得て救われる。本当に人生は不思議なものだと思う。

 さて、今朝は富士吉田市の上中丸遺跡の記事をネットで見つけて唸ってしまった。縄文中期は縄文時代で一番繁栄した時代であるが、中期中葉ごろから富士山が噴火したり、あるいは地球の寒冷化により、縄文晩期にかけて人口が減る厳しい時期を迎える。そんな時、祖先はどう対処したか、その精神文化はなんだったのか・・・このあたりが最も興味あることだ。

 上中丸遺跡では、噴火時は住民が退去。その後、噴火が収まるとまた戻り祭儀をおこなった跡が残っていた。火山は実に恐ろしいが、その反面、噴火が無いときは火山の麓は豊かな自然のめぐみを与えてくれる特別な場所だ。湧水が豊富であり、時には温泉に恵まれ・・・実に光と影が強い場所なのだろう。そのあたりを、縄文人はきっと知り尽くしていたのに相違ない。

 そして、想うのだが、縄文人はどのように祈ったのだろうか?物凄い大自然の力に対し、「お願い」的に祈ったのだろうか。多分それもあるだろう。しかし、理不尽に身近な人の命までとってしまうような自然や神に、人に「お願い」するように祈ったのだろうか?そのような問いかけは、実はどのような神を縄文人は想定していたかという問いにもつながる。

 先日、世界の神話から神の起源のことを書かせていただいたが、旧約聖書の出エジプト3.13に書かれている神は強烈である。神にあなたの名前は?と訊くと、「私はあるという神だ」と答えるのである。英語でいうと「I am that I am.」なのだ。近頃、I am XXX. という標語がよくメディアにでてくるが、欧米人にはきっと、この聖書の言葉が頭に浮かぶのかなと思うがどうだろうか?

 私は、厳しい環境を生き抜いてきた縄文人もまた、存在論まで遡るような神を想定し祈ったのではないかと思う。皆様はどういう神を想定されるでしょうか?

縄文からの風④ 3/10

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