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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

内陸部の八王子、縄文時代はどこから塩を入手していたのだろう?(縄文からの風 ③ 1/10)

2015-02-01 | 第二章「五感と体感」

 南多摩に住んで30年以上になるが、やはり海が遠い内陸部なのだと思う。今日も、素晴らしい朝で、富士山が綺麗であったが、海は当たり前だが見えない。意識して行こうとしなければ海を見ることは無いようだ。

     

 私は、父が瀬戸内海の出身なので、幼いころから田舎に行けば、海が見られた。また、今は廃れてしまったが、一昔前は塩田も沢山あったものだ。そして、当たり前だが塩は海から採るのが、今も昔も普通だったようだ。

 塩は生命体にとって極めて大事。塩の資源は人間にとってもなくてはならない資源である。当然ながら、縄文晩期からは海水から製塩土器で塩を作っていたことが知られている。しかし、縄文の最盛期の中期。内陸部の富士眉月湖文化圏などが活躍していたころ。どこから塩を入手していたのだろう。

 そんな疑問に答えてくれるアイデアを昨日得た。温泉考古学という分野で、奈良県橿原考古研究所の橋本裕行先生の「温泉考古学事始め」という題の講演会に昨日出席させていただいたのだ。塩分の多い温泉は、日本でも実に多い。そう言えば諏訪の温泉などはNaを沢山含んでいたように記憶している・・・そして、温泉の塩分を何らかの方法で摂取していたのではないだろうか・・・そんな推測だ。

 日本には岩塩がないことが知られている、ただ化石海水は合った可能性はあるようだ。こんな中、どのように塩を入手していたのだろうか。中里貝塚周辺から干物の魚や貝などと一緒に塩ももらっていたのだろうか?

縄文からの風③ 1/10

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