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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

富士五湖湖畔の愛の原型!(富士山を想う 1/10)

2015-05-14 | 第九章「愛」

 昨日は、台風一過の絶好の時を富士山・三昧で過ごすことができた。昨年くらいから、古代史や比較宗教への興味。生き甲斐の心理学の師匠や学友の薦めもあって、富士山への興味が加速してきたのだ。

 今年も、縄文に興味を持った関係もあり、冬に富士吉田市の上中丸遺跡の地点に行ったり、北口浅間神社や忍野八海や御殿場方面にまで行ったりした。そして、今回は前回・リニューアル改装中で行けなかった富士吉田市歴史博物館(現在はふじさんミュージアムと呼ぶ)、そして、今まで行ったことがなかった河口湖の西に。

 河口湖の西は有名な青木が原樹海があり、西湖、精進湖、本栖湖があるところで、歴史上は平安時代、1200年前ごろに大噴火で、せの海という大きな湖が溶岩で分断され、精進湖と西湖になってしまった経過がある土地だ。

 もちろん、私の興味はそんなところであるが、妻もテレビで本栖湖の芝桜に興味をもっており、意気投合して一緒にいくことに(日帰り)。

 今回の旅で、一番私にとってよかったのは、本栖湖の北側のスポットから富士山を見たことだった。もともと、本栖湖は芝桜がお目当て(もう盛りは過ぎていた)で、じっくり観る予定はなかった。しかし、どういうわけか車のナビが次の訪問地の西湖のいやしの里にセットしていたのだが、道を左折するところで右折のサインを出したことがあり、なんと本栖湖を時計回りに一回周遊することになったのだった。

 一瞬、不気味な青木が原のせいかと思ったりした(笑)。

 

青木が原樹海はいろいろな噂がある土地で、実際車で通ってみると、細い木々が不気味に密集し、電波状況も余りよくなく、ちょっとビックリした。しかし、その結果は素晴らしかった。舗装されている道であるが、細い道で対向車がくれば、バックしなければならないような道路だったが、素晴らしい景色や自然を楽しむことができたのだ。観光客は芝桜に世界から信じられないほど押し寄せてきているのに、本栖湖自体は殆ど人がいない。

 そして、湖の北側で景色のよいところで車を止めのんびりした。水は実に神秘的な色(エメラルド色も含め)を湛え(富士五湖で一番水深が深いとのこと)、富士山は台風一過なので素晴らしかった。風も気持ちよく、水辺からのさざ波の音で明るい感情は、一挙に平安感から、友好的感情、健康感、幸福感、そして統御感(青木が原のナビ事件の混乱感から変化?)まで。

  

 さて、後で、ふじさんミュージアムの上中丸遺跡の展示で知ったが、富士吉田市の縄文人は、桂川沿いに住居を構えていたと思っていたが、実は、忍野、大明見、小明見などは湖であり、湖畔の住居だったのだ。湖畔に住む。多分水を求めてくる動物も含めての好条件から、住み着くのだろが、その美しさや湧き起こる幸福曲線はいかがなものだったろうか。湖畔に住む。それも、豊かな自然の中で静かに住む。縄文人の豊かさが伝わってきたようだ。

 そして、次の目的地、西湖いやしの里に着いた。ここは、西湖西北の根場地区で、昭和41年に台風時の土石流で集落が壊滅するような被害を受けたところだったが、今は当時の面影を再生させたものだ。ふるさとを愛し、それを大切にしようという人々がいたからこそと思うと心が熱くなる。

  

 縄文時代の上中丸遺跡も、火山活動の激化で村を去る人の遺物で徐々に有名になりつつある。多分美しい小明見の湖の湖畔を去りがたく、火山活動が沈静化したら、また来るぞとこころに決めたのか、磨製石器や貴重な黒曜石を小さな土器に詰め埋めて立ち去ったのだ。それが数千年の時間を経て私たちに知られるとは。

 

 生き甲斐の心理学では、愛の原型を学ぶ。人はそれぞれの生育史の中で、愛し愛されるという原型が育まれるのだ。そして、その愛の原型は人生を左右する大切なものだ。そして、愛の原型の舞台は、いろいろあると思うが、やはり故郷が大きいと思う。そして、時には昨日のような美しい風景などは、その自体で愛の原型になることもあるだろう。

 蛇足だが、大災害とか、そういった信じられないような事態があても、まずは自分の愛の原型を意識し、それを大切にして思索(愛の原型は、意識すればするほど、深みと広がりが増すようだ)する。それが、とても大事だと思う。

富士山を想う 1/10

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