「一握の砂」の中に出てくる女性は、妻の節子さんだけでない。讃美歌を歌ってくれる女性も出てくるし、小奴さんという女性もいる。そういった女性を歌った歌の中で、次の詩は何とも言えない情感がある好きな詩だ。
よりそひて
深夜(しんや)の雪の中に立つ女の
右手(めて)のあたたかさかな
また、右手の温かさを知覚し、そのリアリティに触れ、新しい感情・愛を感じるという微妙な瞬間を表している(ロジャーズの命題3のような)。蛇足ながら、旧約聖書の中にある「雅歌」に神の愛を象徴する、次の箇所がある。全く違う詩ではあるが、私の中では繋がってくる詩である。私だけかもしれないが。
ぶどうのお菓子でわたしを養い
りんごで力づけてください。
わたしは恋に病んでいますから。
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕で私をだいてくださればよいのに。
(雅歌 2.5-6 新共同訳 日本聖書協会)
倫理的には問題があったかもしれない啄木の女性関係であるが、少なくともこの啄木の詩は、普遍的ともいえる男女の愛を描いていると思う。
(一握の砂 13/16)
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