イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分は何か?

2006-08-05 | 2006年度(1/13まで)
 3年前会社を辞めるときに、「How」ばかりの人生を卒業しよう、「What」を大切にしようと思った。

 思い出せば、学生時代は良い学校良い就職先を探していた。そんな自分が嫌になったが、道を外れることは出来なかった。当時虚無的になって読んだ「僕って何?」という小説の題名が心に残った。

 疑問を心に秘めて就職したが、忙しい会社勤めの時代は与えられた目標を必死に達成することばかりであった。

 そんな自分を少し変だと気がついたのは、40代から参加したある異業種交流会であった。そこで感じたのは経営者と会社員の発言の差である。同じようなことを語っても、経営者の道具としてHowばかりの人生を送る私の発言は、空しいと感じた。

 「What」を探すことは、信仰だけではできない。他人も、替わりにやってもくれない。自分の人生航路を決める自分しかいない。

泥沼に入り込む前に

2006-08-03 | 2006年度(1/13まで)
 人生の旅の中で、長い憂鬱な時期を経験された方も多いと思う。そんなとき自分を責めて疲れ果てるかわりに、周りの環境に問題があると割り切ることが重要であった。

 大プロジェクトに参加したとき、人間頑張れないものだとさとった経験からそんな知恵を得た。仕事で無理をするより、心身を大切にするほうがよっぽど、長期的に成功する。

 問題は時間が解決してくれることもあるし、敢えて問題を遠ざけて平静になったこともある。

象徴の森

2006-08-03 | 2006年度(1/13まで)
 言語というものは、隠喩や換喩を本質とし、本来詩に近いらしい。ホモサピエンス・サピエンスの流動的思考を可能にしている脳の特性が産んだものともいわれている。

 自立という言葉は英語のIndependenceから来たようだ。依存 dependenceの反対語である。ただ、訳語であるため、詩的な意味合いが判りにくい。
 自立だけではなにか物足りないので、共存という言葉も良く使われる。しかし、なにか戦うイメージが両者にはあって、私にはしっくりこない。
 自立という言葉は、根がない感じの言葉である。

 私の机の上には、ミケランジェロのピエタ像の写真がある。実存的な深い意味合い、あるいは悲哀を感じる。そして、自立あるいは依存の本来的な意味合いを深いところで教えてくれる。