イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

今の幸福感を意識する!(自己実現 2/10)

2017-01-13 | 旅・雑記帳

 年末から年初にかけて電子書籍などに関係し、当面の目標をデジタル的に意識し活動することが多かったが、どうも「今ここの幸福感」については、どこかなおざりにして来たようだった。

 それが、この2-3日ちょっと変わってきている。というのは、自分の書斎・部屋を、結婚してはじめてもつようになったのだ。学生の頃、あるいは独身のころは自分の部屋というものがあったのだが、子供が生まれてからは、場所的に「このあたり」というものはあっても書斎・部屋はなかった。

 そして、今部屋に一人静かにいると、今まで感じなかった外の音が聞こえたりする。そして、今は寒いのだが、年末年始の怠惰な生活をやめて、外で散歩をしたりするようになってきた。何か知覚に変化があったようだ。

 日々の感情。ストレス曲線も大事だが、今ここの幸福曲線も大事だ。一日の中で、寒い外から家に帰り、一風呂浴びるときの解放感、仕事の後の「武后天」鑑賞。たわいのないことかもしれないが、生活の中では大きな糧となるようである。

 生き甲斐の心理学を学ぶとU先生から、幸福感と幸福の条件は別物と教えられる。そして、今ふと考える。本来の自己実現とはなんだろうかと。幸福の条件的要素もあるかもしれないが、当たり前かもしれないが幸福感的要素も欠かせないものだと。

 自己実現 2/10

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「生き甲斐の心理学」って何だろう?(自己実現 1/10)

2017-01-12 | 第九章「愛」

 前回の勉強会の時に「心理学とは何か?」と質問された。立場立場、たくさんの人からまじめな回答があると思うが、「生き甲斐の心理学」を学ぶ私はどうなんだろう?

 さて、縄文小説を2年がかりで書いて、自分の中で変わったものがある。それは、作られたものを鑑賞することが殆どだった私が、作る経験をしたことだ。鑑賞することも実に大事だと思うが(作るのと同じような精神活動さえある)、作ることは、何か「はじめの一歩」のようなことがあるように思う。そこが違う。それが薄々ながら分かったようだ。そして、「はじめの一歩」に対する感性がより研ぎ澄まされ、本を読んだりするときに「はじめの一歩」に気づくことが多くなった。

 U先生の「生き甲斐の心理学」は、一言でいえば「さまざまな苦難・問題に遭遇したとき、自分の中に回答を見出すための知恵」なのだと思う(違っていたらごめんなさい)。見方を変えると、自己実現のための知恵ともいえる。そして、その「はじめの一歩」の背景には、現象学などの哲学や百年以上の伝統の中で生まれてきた臨床心理学などもあるが、やはりローマン・カトリックの思想だと思う。

 生まれてから、私は多くの問題の正解が外部から与えられるかのように思っていたふしがある。難しい問題に遭遇すると、私より優れた誰かが回答をした方がよいような。両親や先生や・・・さまざまな人に依存していたような。しかし、どうだろうか?この問題は実は人間観の問題でもあるのだろう。

 今の日本は私が産まれた戦後間もないころから、何十年もかけて欧米化されてきたところがあり、自己決定とか多様性がよく言われるようになった。昔と違って、回答は自分で見つけなければならないという感覚が普通になってきている。

 それが良いか悪いかは大切な議論だと思うが、私も含めて今置かれている環境の中で、より良く生きることも大事だ。回答は当事者の自分の中にある。他者は所詮他者にすぎない。そして、その回答を得る知恵ももったほうがよい。

自己実現 1/10

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慈眼で裏の自分を観る!(裏の行動 10/10)

2017-01-10 | 第七章「光と復活体」

 こんなことをやっていて良いのだろうか・・・など裏の行動、感情、思考は自分であっても受け入れにくいものである。当然ながら、その意味を肯定的に解釈しようなどという気は起りにくい。そして、生き抜くために防衛機制で、そんなもやもやをなんとかしてしまうのが私を含めた人たちであるが、受け入れていく方法なないのだろうか。

 「生き甲斐の心理学」のU先生のテレビ番組をネットでみていたら、鍵はそうした自分を邪眼で見るのではなく、慈眼でみることかなとふと思った。勿論、思考・感情・行動そのものは問題があるかもしれない。しかし、その裏に隠れている自分の真実はどうか。

 先の勉強会でも、小学校のころの友達との悪戯を思い出した。今考えると、生き物に対して残酷なことをしたこともあった。しかし、慈眼でその行動を考えてみると、その深層に当時は気が付かなかった自分の真実に気が付いたりした。

 渦中にいるときは、意味を肯定的に解釈しろといってもなかなかできない。しかし、何かをそこで時間の順序とは別に先取りして信じてみる。俯瞰するというのだろうか。そうすると、不思議に見えて来るものがある。あとは、日常の中での訓練だろうか。

裏の行動 10/10

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裏の人生の友達たち・・・(裏の行動 9/10)

2017-01-09 | 第七章「光と復活体」

 昨日は、新宿勉強会で楽しいひと時を過ごし、夜は男性ばかりになってしまったものの新年会を楽しんだ。

 ところで、今回の勉強会は私にとって特別の勉強会でもあった。と言うのは、参加メンバーは私の成育史をそれぞれの時期で語れる人たちで構成されていたのだ。7歳の小学生時代から大学まで一緒だった方、高校生になったころに親しかった方、大学生になりドイツ文学に凝っていた時にクラブで知り合いになった方、会社でご一緒にマーケティングの仕事をしていた方、会社生活でどこか気があった方、退職し生き甲斐の心理学を一緒に楽しく学ぶ学友の方。

 今回の勉強会のテーマは思考・感情・行動であり、おのずと裏の行動についても話を展開させていただいた。そして、私の裏の行動についても話させていただいた。私は、どうも集団に向かないところがあり、幼いころからふっとどこかに行ってしまうような、よく言えば一匹狼のような特性があり、考えてみると大企業を辞め、生き甲斐の心理学の勉強会を開いたり、最近でいえば縄文小説を書いたりするのも、そういった特性と無関係ではないようだ。また、私が気楽にお付き合いをしている、周りの人々もどこか似ているタイプが多い。

 こんな私なのだが、そういう自分を認めるようになったのは、意外にも大企業をやめてからのように感じてならない。そして、それ以降写真の葉の裏ではないが、別の肩のこらない人生を歩んでいるようにも感じられる。

 尚、今回の私の特性については、U先生の「テレビ番組」、裏の行動に多くのヒントをいただいた。感謝している。

 

裏の行動 9/10

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へんな自分を受け入れる!(裏の行動 8/10)

2017-01-06 | 第七章「光と復活体」

  U先生のテレビ番組だった「元気に生きる」をネットで検索していたら、丁度「裏の行動」という番組があり気をいれて視聴した。その中で集団に向かない性格という話がでてきたが、その話しは実に自分にも当てはまるとつくづく感じた。

 思いつくところはいくつかあったのだが、人生を左右するような出来事を思い出してしまった。当時は何を血迷って・・・とその行動をなかなか受け入れられなかったが、今あらためて考えると、さもありなんと思う。

 私の今の仕事や、ついに小説家?になってしまった方向性を考えると、100%自分のへんを受け入れていないまでも、収まるところに収まってきているように思う。

 自分のへんを、慈眼をもって再考する。意外に新しい方向性が見えてくるかもしれない。

裏の行動 8/10

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