イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自己実現をどう考えるか?(自己実現の道の歩み方 3/10)

2017-02-20 | 第一章「意識と知覚」

 自己実現をどう思うか?急に訊かれたら、皆さまどのように答えられるだろうか。バリバリのビジネスマン、高齢者として残りの人生を考えてる人、まだ、小学生の人。主婦。宗教をもっている人、そうでない人。人それぞれ、立場、立場でいろいろな答えが戻ってくるように思う。

 日常の中で感動することに出会うこと。影響力のある仕事で貢献したい人。ひとつひとつ呼吸をすることが大切という人もいる。・・・

 自分にピッタリな回答を探すときに、ふと先日U先生から習った人間観のとらえ方を思い出した。人は身体、こころ(成育史)、魂から成り立つ。これは、医学の領域、臨床心理学の領域、宗教・哲学の領域と符合すると考えても良いかもしれない。そして、この3つの切り口から自己実現を考えると、いままで気が付かなかったことが見えて来るかもしれない。

 昨日は、老人ホームの母を見舞いに行って、そんなことを考えた。

自己実現の道の歩み方 3/10

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自分の内の感情を意識してみる・・・(自己実現の道の歩み方 2/10)

2017-02-19 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は四ツ谷で「生き甲斐の心理学」の勉強会があり、幕末に徳川幕府の中枢で活躍した高須四兄弟(松平容保他)の生誕の地、高須松平藩四ツ谷邸跡の津の上弁天と金丸稲荷神社に寄ってみた。

 幼いころから荒木町は家の近くだったので何回か行ったと思うが、詳しく高須四兄弟の生涯や藩邸について学んだ後で行ってみると、印象というか沸き立つ感情というのか、それが全く違うようであった。

 特に金丸稲荷神社は藩邸の池の畔にあり祈りの場であったが、明治以降藩邸が開放されてからも町の信仰を集め、大火や戦災でも死者を出さなかった等不思議な言い伝えがある。実際に神社を訪れてみたが、勉強仲間と寄ったこともあるのか、特別な湧き立つ感情があったようだ。

 この荒木町の近くには四谷怪談の神社もあり、また津の上芸者の心中事件もあり、かつては幽霊がでるとのうわさの場所もあるようだ。そんなことが気になったかもしれない。まあ、高須四兄弟も私からすると強運の持ち主なので、この感情をどう捉えるかは結構楽しい作業のようだ。

自己実現の道の歩み方 2/10

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自分の中の野生と理性・・・(自己実現の道の歩み方 1/10)

2017-02-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨晩遅く、家に帰るとおいしいお饅頭が二つリビングの机の上に置いてあって、一人食べたのだが、一つ食べてもう一つというところで、理性が働いて家内のために残した。朝、家内から褒められた。以前、皆食べてしまい顰蹙をかったことがあった。今回は野生の私ではなく、少しは理性的行動をとったようだ。

 さて、明日「生き甲斐の心理学」の勉強会を予定しているが、テーマは自己実現である。U先生の「生き甲斐の心理学」は、古今東西の臨床心理学の理論のエッセンスを抜き出し、自己実現の道を歩むための心理学的ガイドブックともいえる側面があると思っている。

 世の中の心理学の本(ベストセラーを含め)は、なるほどと思うが殆ど役にたたないことが多い。心理学の理論は単なる知識ではなく、行動や態度を変えていくものだと思うのだが。私の場合は学生時代に読んだ本などから影響を受けて心理学方面に進んだので、アイデンティティの問題として役にたったと感じているが、お饅頭を食べるといった、日常の中での細かい自己実現の道までは、「生き甲斐の心理学」に出会うまで当然至らなかった。

 しかし、U先生のテキストの初めの方にある系統図などを頭に入れておくと、日々、瞬間瞬間に、心理学的に最適な道を歩める可能性が増える(もちろん理論を知らなくても最適な道は歩めることもある)。持ちろん、失敗することも多々ある(笑)。

 お饅頭の例であるが、これは系統図から考えるとどうか。もう一つお饅頭を食べたいと思う。すると、家内の顔が浮かび、暗い感情が湧きおこる。大げさにいうと罪悪感かもしれない。こうした暗い感情はだいたい理想と現実のギャップから生まれるものだ。この場合は、理想=妻に満足を、現実=私がもう一つ食べたい現実。理想をとるか現実をとるかの簡単な問題で、少し理性的に考えて、自発的に理想を取り、自分の欲望をあきらめると暗い感情は霧散する。

 ストレス曲線は、人生を歩むうえでの宝。湧きたつ野生の感情を理性(単純な倫理道徳とは違うかもしれない)で洞察する。湧きたつ感情(気が付かないことが多い)には意味がある。U先生からよく聴くことばだが、重要なポイントだと思う。

 自己実現の道の歩み方 1/10

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生育史を受け入れると・・・(生育史を楽しむ 10/10)

2017-02-15 | 第四章「愛とゆるし」

 高須四兄弟も、同じ四ツ谷で育ったとはいえ、幕末では各々の立場を背負い敵対したこともあったように思う。江戸城開城の前には武闘派の若い松平容保や松平定敬は、兄たちから登城禁止の処分をうけることも。

 それが、十年後に兄弟一緒に記念写真を撮る仲になる。丁度そのころ西南の役があり、なんと西郷隆盛は朝敵として亡くなる。政治の世界の難しさを想いつつも、兄弟を受容し、おそらく自分の生育史も受容しているだろう高須四兄弟の人生を祝福したくなった。

 さて、自分の生育史は好きか嫌いか?そんな普通では問いかけられない問いかけを受けたら、どのように答えられるだろうか。

 この問いかけは、深い意味で人間観と密接に絡まっていると思う。人間は身体と生育史を伴う、ここまでは恐らく殆どの人が納得するだろう。そして、人には魂とか霊魂があると考える人も多い。WHOで健康の定義を再検討したことがあるようだ。その時に魂という言葉を入れるかどうかがあったようだ(結果として健康の定義が変わらず、魂を認めるのはまだ大勢でないかもしれない)。

 日本人は縄文時代からの伝統もあり、特定の宗教を信じる人は少なくても、魂の存在を信じる人は多いようだ。そして、亡くなった人に手を合わせるのが普通だ。すると、基本的には人間は身体と成育史と手を合わせる魂の複合体という人間観がスタンダードなのだろう。

 自分や他者を信じることは結構難しいかもしれない。しかし、人には手を合わせるべき魂があると信じると、何かが変わってくるかもしれない。そして、その変化の延長に生育史をどう受け入れるかのヒントがあるように思われる。

生育史を楽しむ 10/10

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生き延びる力の源泉!(生育史を楽しむ 9/10)

2017-02-14 | 旅・雑記帳

 幕末を生きた有名人は様々な人によって語られるが、東京の四ツ谷に高須四兄弟がいる。私もつい最近まで知らないでいたが、四ツ谷荒木町あたりに尾張藩の分家高須藩四ツ谷邸があった。そして幕末に藩主松平義建の息子として10男9女が誕生するが、その中に高須四兄弟と呼ばれている四人がいる。

 この四人は、徳川慶勝(慶喜の時代で将軍補翼)、一橋茂栄(慶喜の後継として一橋家を継ぐ)、松平容保(京都守護職、会津藩主)、松平定敬(京都所司代、桑名藩主)であり、幕末に徳川幕府の主要人物として鳥羽伏見の戦いを始め、戊辰戦争の時代を、それぞれ生き抜いた人たちである。

 そして、激動の時を越え明治十年に、四人が銀座で再会し慶勝が写真を趣味にしていたこともあるのか、記念写真を撮った。その写真は平成26年の新宿区歴史博物館の特別展で知ったのだが、とても印象的であった。あの異常な時代を、暗殺もされず戦争で死ぬこともなく生き残こり兄弟で仲良く写真を撮る。よく、生き残ったという感慨が伝わってくる。

 それは、いったい何故なのだろう。これについては、18日に新宿四ツ谷の勉強会でも取り上げたいと思うが、父、松平義建が黒船が来る10年前に江戸から木曽川の近くの高須藩に始めて国いりしたときに次のような文章が残されている。

 「神のミめくミ(御恵み)人々のまこころ(真心)と時にあい折にあいたるうれしミこそなほ(尚)うれしともうれしけれ」(平成26年特別展 高須四兄弟 新宿歴史博物館 平成26年9月発行 69ページ)

 いろいろなことが、この短い文章から思いめぐらせることができるが、その一つは、自分の生育史、祖先や郷土への愛が胸をうつことではないだろうか。そして、これが子供たちにも伝わっていくのではないだろうか。

写真は、当時の四ツ谷邸が偲ばれる、津の守弁財天。

生育史を楽しむ 9/10

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