物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

松山東コーラス演奏会

2013-03-25 10:58:49 | 音楽

昨日、午後松山東コーラスの演奏会を市民会館に聞きに行った。これは知人のTさんから1枚招待券をもらい、もう一枚は購入したからである。

Tさんは男性で別にこの東コーラスの団員ではないが、松山発のオペラにときどき出演するので同じオペラに出演したことのある、東コーラスの団員さんの数人とお知り合いであるということで切符を手に入れたということらしい。

それで開演の時間の少し前に行ってみると、すでにTさんが座席を4席確保していてくださり、私たち夫婦と東雲コーラスの団長さんのOさんとTさんとが並んで座ることができた。

歌は指導者の豊田先生のご指導がいいこともあるのであろうが、迫力満点であり、聞きごたえがあった。歌としてはどこかで聞いたことのあるような歌が多くてその点では親しみ深かった。

赤いドレスで出演されてなかなか華やかであり、団員の方々の年齢もいろいろであると思われたが、みなさん美人揃いのコーラスグループであり、またにこにこと笑顔で歌われて印象がとてもよかった。

後で妻もそういうことを言っていたが、これは歌を歌うというキャリアが長いことで、余裕があるからであろう。妻などは別の歌声コーラスの団員だが、キャリアがあまりないので、歌を間違えないように歌うということに必死で笑顔になる余裕がない。

最後に、「この街で」という松山ゆかりの歌で終わったが、これの手話をしながら、歌うというのはよかった。これは豊田先生も歌われていたが、声がとおってさすがだと思わされた。

グリークラブの客演もあったが、女声とは違った魅力が窺われた。


もしもピアノが弾けたなら

2013-03-01 12:00:36 | 音楽

「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行氏の歌がある。この曲自身は好きなのだが、一般的に言って私はピアノの音がバイオリンと比べて好きではない。

ディジタルのバンバンとした音が嫌いなのである。そうはいってもピアノの演奏でもそれほど嫌いでない曲もあるし、絶対的な音楽嫌いというわけではない。

これは前にも書いたことがあるが、武谷三男に「ショパンが一番素晴らしく聞えたとき」とかいうピアノ曲が素晴らしく聞こえた時という趣旨のエッセイがある。これは彼が雑誌「世界文化」の同人であったということで、特高に捕まって取り調べを受けていたときのことである。

武谷三男を決して名文家だとは思わないが、彼の書く文章には何か人を惹きつけるところがある。それは彼が経験した思想の冬の時代のせいかもしれないし、彼が音楽や文学や演劇をこよなく愛した文化人だったことにもよるのだろう。

一方では彼は舌鋒鋭い、論争にも強い論客でもあった。彼が悪く言わない、人はごくまれであり、羽仁五郎とか湯川秀樹、坂田昌一とか久保栄とかそれぞれ一級の人物である。

彼に私淑した多く方は彼の論理の潔癖さについていけないとか論のキツサについていけなくなったと感じた物理学者も多かったのだろう。

そこらあたりがよくわからないのだが、武谷には仲間うちの研究者への期待が大きかっただけに彼の論理のきつさがでたのかもしれない。


佐藤久成さんの演奏

2013-02-19 11:30:29 | 音楽

先週の木曜日に市民コンサートがあったので、ドイツ語の教室を休んでコンサートに行った。佐藤久成(ひさや)さんは独特の演奏で体全体が楽器のようであり、今まで見たことのあるどのバイオリニストとも違っていた。また、弱い音の演奏もすばらしかった。

彼は東京芸術大学を卒業後、ヨーロッパに渡り、研鑽を積んできた方らしい。CDなど買うことをめったに勧めない妻がCDを買って来なさいと4000円をそっと渡してくれたので、休憩時間に買いに行った。

彼の演奏に感動した数名の方が来て、すでにCDを物色していた。私もそこに並べてあるCDをいくつか見た後で、みんなが買ったのと同じ小品集のCDを1枚買い求めた。

一昨日、仕事場でこのCDを聞こうとしたら、ラジカセのCDプレーヤーが動かない。仕方がないので、家にこのCDを持ち帰って聞いた。

もっとも、佐藤さんには悪いがあれほど彼の演奏に感銘を受けたのに、CDの演奏からはそれほど感銘を受けなかった。もっとも演奏が悪いというわけではない。美しい演奏であることは間違いがない。

ただ、生でコンサート会場で彼の演奏を見たり、聞いたりすると、それは、それは、鬼才と彼が言われる所以が分かる気がする。ということはやはりコンサート会場に足を運ぶということは必要なことであろう。

音楽音痴の私でも少し感じたところがあった。


恋のフーガ

2012-12-08 15:54:02 | 音楽

NHKの教育テレビで佐野元春のシンガーソングライターをこのところ金曜の夜見ている。

昨夜はなかにしれいさんの2回目であった。たまたま「恋のフーガ」という曲のフーガという意味をなかにしさんから聞かれたが、会場の人たちで知っている人はいなかった。

私も音楽でのフーガは知らなかったが、fugareというフランス語を知っている。と書いて仏和辞典を調べたら、「逃げる」という意味でのfugareという動詞はフランス語にはなかった。

ひょっとするとイタリア語にはあるかもしれないが、自宅に帰らないと伊和辞典はここにはないので、調べることができない。

そのfugareの代わりにfuirという語が「逃げる」という意味のフランス語にはある。そしてこれが私が探していたfugareのフランス語の対応語であった。

英語に亡命者とか避難民という意味のrefugeeがあるが、このfugeeのところにfugare(またはfugir?)の一部が残っている。

フーガに戻ると日本語では遁走曲といわれているとかでメロディーが1小節だか遅れて繰り返される曲だそうである。そんなこんなで初めて「恋のフーガ」のフーガの意味をはじめて知った次第である。

ちなみにこの「恋のフーガ」はなかにしさん作詞のヒットソングの一つであるが、私はここではその歌をまったく再現できない。

歌詞を見て、それが昔大いにヒットした曲でも私などその曲を歌ってみることなどまったくできないことを昨夜思い知った。

(2012.12.11付記) 「イタリア語小辞典」によれば、逃げるはfugareではなく、fuggireとあった。そうするとfugareというのはまったく私の創作した語なんだろうか。後はスペイン語辞典くらいを見るしかない。


シンガーソングライター

2012-11-12 11:37:22 | 音楽

先週の金曜日の夜のNHK教育放送の「佐野元春のシンガーソングライター」では星野源さんが招かれていた。私は星野さんがどんなシンガーソングライターなのかまったく知らない。

ただ、星野さんが言っていたことで興味を惹いたことは曲が先にできていた場合にはその曲にひきずられて詞のほうが制約を受けることがあり、その曲の制約によって始めに想定した詞が曲にあてはまらないことがしばしば起こるが、そのときに適切な詞が思いつかない場合に、別の言葉を使ったりすることがある。

ところがそのような場合に後から見ると、かえって含蓄が深いいい詩になっていたりするという。だから、そういう意味で曲の制約とか、または反対に詞の制約が曲に深みを与えたりすることもあるのだろう。

形式はえてして人を制約して、嫌なものだが、そういうことまで含めて考えると一概に形式が創造性を奪うとはいえないということがわかる。ある意味で反語的な状況が存在するということであろう。


こうもり(Fledermaus)

2012-11-11 13:12:19 | 音楽

昨夜、愛媛ヴォカルグループ研究演奏会の「ドイツ音楽の愉しみ」という題の演奏会を聞きに行った。

1部はモーツアルトの歌曲であったが、私には東原美和さんの歌った「魔笛」の「私の運命は苦しみに満ちて」がよかったと思う。

2部はシューベルトの歌曲であったが、その中では林直子さんの歌った「音楽に寄せて」「魔王」がよかった。林さんはなんというか深い声で、他の歌い手さんにはない、声質であると思われた。

休憩の後は歌い手の方々も堅さがとれて、自由に歌った感があり、どの歌もよかったが、特にシュトラウスのオペラ「こうもり」よりの「侯爵様、貴方のようなお方は」がよかったように思ったが、私は音楽の素人であるから私の感想などまったく当てにはならないことを前もってお断りしておく。

ドイツ語は初級程度ばかりを実に何十年も学んでいるが、歌の中のドイツ語はなかなか断片が聞き取れるだけでほとんど聞き取ることはできなかった。

音楽、特に声楽をする方々にはドイツ語は必要ということがわかったが、昨夜のコンサートで歌った、どの方ともドイツ語関係のところで出会ったことがないのは残念である。

「こうもり」というドイツ語を知っていると思っていたのだが、どうしても思い出さなかった。昨夜、コンサートから帰って妻と話をしたのだが、思い出せなかった。

妻から和独辞書を引いてみたらと言われたのだが、あいにく自宅には和独辞典をおいていない。それで、仕事場に来て和独辞典を引いてみたら、die Fledermausであった。

Feldermausと間違えて覚えていたのかもしれない。Flattermausというのが原義であるらしい。flatternというのは鳥などが、ぱたぱた飛ぶことをいう。


フィシャー・ディスーカウ氏の死去

2012-05-19 14:11:18 | 音楽

今日の新聞を見たら、フィシャー・ディースカウ氏が亡くなったとあった。ドイツ歌曲の歌手であり、NHKのラジオのドイツ語講座などでも何回も氏の「冬の旅」などを聞いた。

失礼ながらまだ、生きておられたとは思ってもいなかった。86歳だったとあった。

きれいなドイツ語の発音で音も明瞭であった。曲の解釈も深いものがあり、後進の歌手にも大きな影響を与えた方だと書かれていた。日本にも何度か来演されたことがあるらしい。ついにその歌を聞くという機会に恵まれなかったが、冥福を祈ろう。

CD等でその美しい歌声を聞くことができる、私たちは幸せである。

(2012.6.19付記) フィシャー・ディースカウと名前の書き方を今日変更した。Fischer-Dieskauが姓のようである。彼はドッペル・ナーメ(Doppel-Name)だったのだろうか。いわゆるドッペル・ナーメで一番有名な人はF. Joliot-Curieではなかろうかと思う。JoliotはCurie夫人の長女と結婚したので、そのCurieとあわせてJiliot-Curieとドッペル・ナーメしたのだと思う。そういういきさつを書いたものを読んだことはないのだが。


坂本龍一の音楽のスコラ

2011-12-07 13:25:38 | 音楽

先週の土曜日12月3日から、インタネットが通じなかった。ようやく今日(12月7日)NNTに電話をかけてルータの故障を直してもらって、ブログが再開できた。5日振りである。ご無沙汰しました。

毎日、ブログを書いていたのがその手段を失って、なんだか物足りないような気もしたが、ブログも書かなければ書かなくてもすむということがわかったのは収穫かもしれない。妻には大いに冷やかされた。

それは電気機器販売店とかNTTが営業成績の上げるために無理やり故障を起こして、バージョンアップを図って、彼らの利益を求めようとしているのだと。それは単に憶測にすぎなかったのだが、それでもいくらかの真理を含んでいる。

土曜の深夜、坂本龍一のスコラ、音楽の学校というのをNHKがやっている。先週の土曜は「エルビス・プレスリーの衝撃」という話だったが、もともと黒人の音楽とかで、テレビとかには出ていなかった音楽をプレスリーが取り上げたのは本当に衝撃としかいいようがないという話だった。

音楽の詳しいところはわからないが、まだ人種差別が厳然として存在していたときでもあり、エルビスの音楽は若者に熱狂的に受け入れられたが、これは年配の白人にはとても受け入れ難かったという。

それでも、結局は若者が時代をつくるのは別に学問の世界だけではない。エルビスは19歳のころは長距離トラックの運転手でその運転の途上でいろいろな音楽をラジオ等を通じて聞いたのだという。

エルビスは黒人の音楽、その当時正統とはみなされていなかった音楽をタブーなしに取り入れたはじめての白人だという。

私には音楽はわからない。だから、少しでもこのような番組を見るようにはしているが、なかなか見ることが難しい。


愛媛合唱団のコンサート

2011-07-18 12:54:37 | 音楽

先週に引き続いて今週も合唱のコンサートを聞いた。それが昨日の愛媛合唱団定期のコンサートである。なかなか演出がうまくて、退屈をしなかった。

第1部 平和への希求 は愛媛合唱団の合唱であり、もちろん知らない歌もあったが、知っている歌もあった。私などオールドな人間には知っている歌はそれほど多くはない。それでも歌の言葉もよく聞こえてよかった。

第2部 みんなで楽しく歌いましょう は会場に来ている人と一緒に歌うという趣向である。このごろはこういう趣向の合唱団のコンサートが増えているのだという。そのときに舞台にはもちろん会場の座席の方のそこかしこに団員が散らばって会場に来た聴衆と一緒にこれは大抵はよく知られた曲を歌った。

そのときには団員がくだけたカラーのTシャツをきて、リラックスした雰囲気を出していた。6曲を歌ったが、オールドなわたしは3曲くらいしか知らなかった。ただ、リフレーンのところなどは聞いているうちにメロディーを覚えて2節か3節ではついて歌ってみた。

第3部 池辺晋一郎作品を歌う は昨年だったかに妻も参加した「悪魔の飽食」の抜粋もあった。これも言葉がかなりよく聞き取れてよかった。

それで、家に帰ってから、いっしょにコンサートを聞きに行った、妻に感想を聞かれたが、はじめの真紅のドレスが印象的だったといったら、早速そのコンサートで歌った人たちにそのことを電話で話をしていた。


東雲コーラス記念演奏会

2011-04-01 12:44:42 | 音楽

今朝、朝食がすんだ後で妻がなにかビラを10枚ほど置いた。これが花の写真の入った明るい色の東雲コーラスの60周年記念演奏会のビラであった。

これは2011年7月9日(土)の18時からの松山市市民会館での演奏会のビラである。このブログの読者はいるとしても、松山市に在住の方は少ないので、PRにはならないだろうが、単なる話題の一つと思って欲しい。

一つの団体が今年60周年を迎える。私は今年の5月に72歳になるから、自分の歳と比べて考えると私が12歳の頃には東雲コーラスは団体としてもう発足していたということになる。なんと息の長いことか。もちろん指導者はその60年の間に何人も代わったことであろう。

妻はこの団体に加わってから、まだ年が浅いが、それでも会計係に今年からなってしまった。団員の人材不足かとも思うが、妻はどこでもすぐに主要な人物になってしまう。これは歌を歌うのが上手だということではない。

週に1回の練習中にも「そこの人、半音違う」と注意されても、その半音をうまく表現できないのだと本人自身が言っているくらいなのだから。

だが、それはともかくこの記念演奏会の公告のビラがきれいなので、ちょっと食卓から一枚だけ失敬して、いまこのブログを書いている。

このビラによれば、問い合わせ先はTEL 089-922-1691(尾下)である。ちなみに尾下さんは東雲コーラスの団長さんである。なお、チケットは¥800円である。

東雲コーラスを指導しておられるのは、指揮の猪木秋彦先生とか田附里英先生である。演奏会の伴奏を担当するのはピアノ一柳英子さん、ヴァイオリン高橋暁子さんである。


トリオ・ミンストレルの演奏

2010-12-24 13:14:30 | 音楽

21日の火曜日の晩にトリオ・ミンストレルの演奏を聴いた。いつものことながら音楽に暗い私にはその演奏の良し悪しはわからない。

主な演奏曲目は4曲だが、今年生誕200年を迎えたショパン(Chopin)のトリオ ト短調 作品8とか同じく生誕200年を迎えたシューマンのトリオ第一番 二短調 作品63は30分の長い演奏時間であった。

びっくりして脳が活性化されるのではないかと思ったのはピアソラ(Piazzola)の「アディオス ノニーノ」でこの演奏にはびっくりした。こういう音楽がタンゴのなかにはあるのだということをはじめて知った。

これはピアノ(piano)の北住淳の演奏でピアノ(piano)の下側をバンと叩いたりというのが脳を活性化するようなと感じたものである。

音楽に暗いにもかかわらず、このごろいろいろな音楽を聴く機会が若いときに比べて増えて来ている。若いときには音楽には失礼ながら眠たくて、退屈なだけで鑑賞するという気などはまったく起こらなかった。それくらい音楽には縁がなかったということである。

アインシュタインは「死ぬとはモーツアルトが聴けなくなることだ」と言ったというが、その言にしてもいまなら少し実感をもって感じられるが、若いときにはまったく何の感興も引き起こさなかったであろう。

トリオ・ミンストレルに帰るとアンコールが5曲もあって最後には八木節を編曲した曲が演奏された。その強烈な印象のためか演奏を終わった後で、CDを買い求める人でロビーが込み合っていた。

ミンストレルというグループの名はどうも造語のようで、フランス語の吟遊詩人を意味するmenstrelとプロバンス地方に冬に地中海を通ってきて吹く季節風のmistralとをイメージしたものらしい。私自身もミンストレルと聞いてすぐに連想したのはこのミストラルの方だった。

(注意) I さんのご指摘ではじめて気がついたのだが、piとローマ字入力してもぴ(bi)としか表示されない。私自身が間違ってビアノと入力をしているわけではない(すなわちpianoと入力しているのだが)。読者の方が変換して読んで下さることをお願いしたい。正しい入力方法を知っている方は教えてください。

そういえば、亡くなった河辺六男さんのつくった湯川秀樹著作目録(素粒子論研究)ではpaのひらがなとカタカナが「ば」とか「バ」になっていたので、それはミスプリントだと思っていたが、どうもシステマティクに正しく変換されていなかったのだろうとようやく気がついた。


松前町第九を聴く

2010-12-22 12:40:55 | 音楽

先日の日曜日の午後に松前町第九を聴きに行った。開始時間に少し遅れて着いたが、会場に入ると指揮者の長谷川さんが歌劇魔笛の序曲の解説をされているところだった。

ダイジェスト版のCDながらこの魔笛は何度も聞いたことがあるので、懐かしい感じがした。この魔笛の完全版のCDを購入したいと思いながら、まだ果たしていない。

指揮の長谷川さんは伊予高校の音楽の先生らしいが、長身でノーブルな感じのするなかなかイケメンの先生である。彼が伊予高校の吹奏楽部を育てたのだろうか。コントラバス以外の弦楽器がないので、ちょっと普通の交響楽団の演奏とは感じが違うが、それでも立派な演奏である。

続いてエグモンドの序曲も終わり、休憩になった。そこで後ろの立ち見をしていたのが、ようやく会場の最前列に空いていた座席に座ることができた。

第2部はようやく当該の交響曲第九の第4楽章の歓喜の歌である。第九は第3楽章までが結構長くて合唱団は後ろに立って自分の合唱の部分が来るまで待つのが普通だが、単刀直入に第4章楽章なので、直ぐに合唱になる。

妻が2年前に第九の合唱に出たことがあり、毎晩その練習を聞かされていたが、いまでも私が覚えているのはその一部にしかすぎない。先日のエミフルであった彼らのリハーサル(プローベ)では、知っているところを合唱について小声で歌ったら、妻にたしなめられたので、今回は自重した。

昨年から松前町第九の演奏は行われている。昨年は上京の日程と重なったので、聴くことができなかったが、今年は聴くことができてよかった。

こういう行事は費用もかかるのだろうし、それに合唱に出る人の熱意がなくてはできない。関係者のご尽力には頭が下がる。来年以降もこのコンサートが続いてほしいと願っている。

会場は満席で町民のみならず、この演奏会が多くの人たちから支持されていることを示している。

(2011.12.19付記) 昨日また松前町の第九合唱のコンサートがあったらしいが、私は聞きに行かなかった。それにもかかわらずこのブログが検索にかかったようで、検索された方々に申し訳ないので、補足を付け加えておく。

プレリハーサルを松前エミフルで聞いた妻によるとさすがに歌いなれをしてきてメンバーの歌が上手になっているということであり、喜びに耐えない。ただ、第九はドイツ語の歌であるので、ドイツ語にも関心をもってもらいたいと切に思っている。

ただ、ドイツ語を学ぶことはそんなに楽ではないので、その要点を私が世話人をしていて、一ヶ月に一回開催している、雑談会でドイツ語の文法の要点をレポートするから、松前町のコーラスグループに参加している妻の友人のKさんに参加してくれるように、頼んでみてくれないかと私は妻に言っているのだが、どうも妻は積極的にこのことをPRしてくれる気がまだ起こらないらしい。

残念である。


愛媛オペラLa boheme

2010-10-17 18:21:12 | 音楽

2010年愛媛オペラを県民文化会館で見てきた。La bohemeという題のプッチーニのオペラであった。知人がソリストではないが、出演するというので2枚のチケットを購入して最前列で妻と二人で見た。これは原語のイタリア語で上演されたが、その訳が舞台脇の電光板に出た。

あまりイタリア語を知っているわけではない。歌の声量とか音のきれいさとかオーケストラのよさぐらいが素人としては評価されるのではないかと感じた。二人の主役の女性はいずれも松山市出身であり、オーケストラの指揮者は八幡浜の出身である。斎田正子さんは9月の市民コンサートでその声を聞いたばかりであった。

ミミを演じた森三記さんははじめてだったが、美人で背の高い人であった。悲劇のヒロインであるが、なかなか声もよく申し分のない主演であった。

素人の私は音楽はわからないのだが、オーケストラの音楽もよかったと思う。ただ、チケット代が5000円と高い。はじめは6000円だったが、県の文化振興財団が1000円補助をしてくれたので5000円でチケットを購入できたのはラッキーだった。

指揮者の菊池さんはプログラムの写真を見たときには私より若いのかと思ったが、1961年に東京芸大を卒業しているのでほぼ私と同年齢である。菊池さんの方が1歳か2歳上かもしれない。

愛媛で上演するオペラだから、程度が低いということはないと思われた。最後の挨拶には出演者と手をつないで県知事を退任する加戸知事も出てこられた。彼の最後を飾る花道になったことだろう。

(2011.5.5付記) la bohemeとは「気ままに生きる作家・芸術家たち」という意味だそうであり、これは集合名詞である。また、bohemi'en とはボヘミア人の意味である。

bohemi'en の発音はボエミアンで、「ヘ」という音は入らない。h 《アッシュ:フランス語のエイチはアッシュと発音する》はフランス語では無音である。たとえばフランス人は広島はイロシマと発音する。

ちなみにbohemiaは今のチェコあたりを指す。ところで、bohem'ien はロマを実質的には意味するという。ロマとは昔はジプシーという語で言われていたが、今ではこれは差別語ということでロマという。


悪魔の飽食コンサート

2010-04-19 11:32:22 | 音楽

昨日松山市民会館で「悪魔の飽食コンサート」があった。この合唱に妻が参加していたので、聞きに行った。ただ、音楽の方はあまり感銘を与えられなかった。しかし、作家森村誠一氏と作曲家池辺晋一郎氏のトークは興味深かった。

14時に始まったこのコンサートは16時過ぎには終わったが、その後夕方だったか、夜に妻がコンサートに来てくれた知人に電話をしていた。この方も音楽はあまり感銘を受けなかったらしく、それどころか音楽だとか、その作曲をした池辺さんの発言、「悲惨なものでも芸術に高められる」とかいうに憤慨していたらしい。

それはともかくとして知人として付き合いのある、この人との意見交換ができてよかったらしい。なかなかつき合いがある人でも自分の意見を率直に言う機会は少ないものだからである。だから、そういう機会がもてただけでもこのコンサートの意味があったというのが妻の感想である。


ショパン生誕200年

2010-04-07 16:40:51 | 音楽

月曜の夜に市民コンサートでショパン(Chopin)のピアノ曲を聞いた。ショパン生誕200年とかだそうである。ショパンといえば、いわずと知れたピアノの詩人との評がある。私はどちらかというと重厚のものよりは優美な曲で軽やかなものが好きなのだが、そういう曲はあまり聴かれなかった。

そういえば、武谷三男のエッセイに「ショパンがもっとも美しく聞こえたとき」とか何とかいうエッセイがある。これは彼が特高に捕まって留置所に入れられ、取調べを受けていたときに取調室から留置室に帰ろうとしたときにどこかのラジオからショパンの曲が流れてきて、それをしばし、たたずんで聴いたとかいうものである。

いまの時代でいえば、彼はまったく起訴されたり、取調べを受けたりするような過激な思想の持ち主ではなかったろうが、太平洋戦争の頃は彼も不届き千万な非国民ということであった。

戦後の彼の勇ましい発言からいうと、彼が最左翼であったかのごときに思われているが、少なくともその当時はそういうことはなかったといっていい。それを強硬な左翼主義者にしたとすれば、これはこの当時の特高の取調べの業績(?)にちがいない。

武谷のエッセイは名文だとは思わないが、それでもなんらかの香りがして来るように思う。それはどうしてなのだろうか。どうも文章のうまい下手を越えた思想か感性か何かがあると思われるのだ。