物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

残業代なしに?

2014-05-28 12:31:18 | 国際・政治

産業界は最近になって残業代なしの雇用者をつくろうとしている。

これはどういうことなのか。別に労働組合とかその連合組織である連合でなくともこれはちょっとおかしいのではないかと思ってしまう。

厚生労働省がこの産業界からの提案を認める見込みが強まったと新聞が書いている。別にそういう労使の取り決めをしなくても実際問題として会社に勤めている人は会社のために24時間を使っているものである。

それが幹部社員だろうと高級専門職であろうとなかろうといまの日本の会社はそういうものである。

それを改めて法律的に成文化するというような提案をするということの神経を疑ってしまう。

経済同友会の代表だかがそういう法律を提案するらしい。そんなことを提案しなければ、どうにもならないようなら、資本主義というか、市場経済など止めてしまえと思ってしまう。自分たちを奴隷以下におとしめるものである。

第一、現在の法律で守られているのは自分たちではないのか。

雇用者をその人が死ぬほど働かせるブラック企業のことが取りざたされたが、そのブラック企業を公認するようなものである。


アメリカにおける自由とは?

2014-05-10 12:43:16 | 国際・政治

先日のドイツ語のクラスで、日本国憲法9条のドイツ語訳をとりあげてもらった。

そのときに講師のR氏はいう。アメリカの初期の自由とはなにか。

これはヨーロッパで迫害された宗教を信じる自由を意味するという。

現在ではアメリカでも自由をそういう狭い意味には使っていないかもしれないが、本来のアメリカにおける自由とは迫害された清教徒の信教の自由だったというのははじめて知ったことである。

彼はアメリカの憲法には幸福を追求するとはあるが、平和を追求するとはないとか目から鱗が落ちるような話をしてくれた。

R氏は私たちとはバックグラウンドがちがうので、考えとか知識とかがちがっておもしろい。

こういった、私の感心したことを朝食後に妻に話したら、Rさんもいいところがあるねと感心してくれた。

「戦争の放棄」という日本国憲法9条の概念は画期的なものであり、各国の憲法に小規模ながら取り入れられているという。

もちろん、各国とも日本の憲法9条ほどは画期的なものではないが、戦争はない方がいいことはわかっているらしい。だが、なかなか戦争放棄というところまで踏み切ることはできない。

南米のコロンビアだったか同じような戦争放棄を謳った憲法をもつ国がないわけではない。だが、それでも日本国憲法9条の影響力は国際的にも大きい。

日本でも兵器を生産している企業はあり、それなりに利益を得ているらしい。しかし、集団自衛権の認めてもあまり大幅の利益は期待できないだろうとはKさんの予想である。

それよりも戦争をしない国としての日本の国際的な信頼はとても大きいものであり、それを失うことがどれくらい大きな損害を被ることかということを精確に評価することはとても難しい。

これは私たちは日本人であり、日本人でない視点からものを見ることができないからである。

それにしても他国の人から見た日本国憲法9条とその世界的にどのように捉えられているかをおよそではあるが、想像できる必要がある。視野を広く持つ必要がある。

「なぜ戦争もできるという普通の国になりたがるのか」というのは日本の政治家の個人的な事情を除いてはとても理解できない。


パリの凱旋門(L'arc de triomph de Paris)

2014-05-09 15:06:47 | 国際・政治

たまたま現在のパソコンの壁紙がパリの凱旋門となっている。

この壁紙の写真で見ると凱旋門の上にも人が登っている。私も凱旋門を見に行ったことはあるが、凱旋門の上に人が登れることには気がつかなかった。

パリのエトアール広場にある。もっともこの広場はいまではド・ゴール広場と言われているとかである。

エトアールとはフランス語で星のことであり、この広場から道が四方八方に広がっていることから来ていると聞いている。

ここからシャンゼリゼが始まっている。あのオー シャンゼリゼ― オー シャンゼリゼ―という歌で有名なシャンゼリゼ―である。Aux Champs-'Elys’eesとは「シャンゼリゼ―で」という意味だと思う。

パリの凱旋門(L'arc de triomph de Paris)は道の真ん中に孤立しているのでどうやってあそこに行けるのかとそこに歩道にいた老人に聞いた覚えがある。passage souterrain(地下道)を使って行くのだと言われた。

つまらないことだけよく覚えているものだ。


平和、和解、協調性

2014-04-04 10:50:13 | 国際・政治

南アフリカ連邦の大統領であった、ネルソン・マンデラは平和(peace)、和解(reconcilation)、協調性(harmony)を大統領の就任時に重要なこととして国民に挙げたという。

先日のTEDではマンデラが牢獄から釈放された後で、サファリパークを経営していたVarthyさんのところに数か月だったか滞在していたときに、マンデラに食事を運んだ少年だった、Boydさんの話であった。

思いやりの心は人間だけではない。動物にもあるとか、足の不自由なある象のために集団がゆっくり歩くなど思いやりの心があるとか。

Boydさんがワニに足をかまれたときに、サファリパークの案内のパートナーの方がワ二がいるにもかかわらず自分の危険を顧みず助けてくれたこととかを話をされた。

強い国をつくりたいとか政治家が言うとき、その下心はなんのことはない、武器を製造している産業の利益のためであったりする。そのようなことはおくびに出さないが、それがお互いの国のバックの産業の振興だったりする。

外交には疎いが、もし慰安婦の問題が隣国との問題であるならば、なぜそれに直面をしようとしないのか。

確かに、それは以前に解決済みというのは建前の話であって、現在をどうするかという視点がなくてはなるまい。

もちろん、税金をそのためには使わなくてはならないが、それが過去の日本のしたことであれば、どこかでけじめをつけておかないといつまでも引き摺ってじまう。

その毅然とした態度がなければ、隣国とて疑心暗鬼になってしまう。

だが、それは隣国との関係の改善には役立つが、軍事産業の育成には役立たないと思っているのであろう。

平和、和解、協調性を心にもう一度刻みたい。

(2024.5.25付記)
平和、和解、協調性という表題のブログが数人の方に検索されていた。2014年のブログだが、現在の世界状況について述べているような感じが私自身もするから不思議である。ガザのイスラエルの侵攻はやはり人道的に見て許されることではない。

きっかけは確かにハマスのイスラエルへの奇襲にあることはまちがいがないけれども。そういう切羽詰まった感覚をハマスに与え続けている状況にあることの責任をイスラエル政府が感じることから平和は始まるのだと思う。それ抜きでは和平はあり得ないのではないか。

これは軍事的なイスラエルの勝利が得られたとしてもの話である。まったくの第三者として見ているからということである。

イスラエルはガザでこういう非人道的なことを平気でするようでは過去に自分たちユダヤ人に向かってされたジェノサイドを非難する論拠を失ってしまうのではないかとまで思ってしまう。

これはいわば極論でもちろん過去のナチスのしたユダヤ人虐殺は許されるものではないし、許すべきものでもないのだが。ただ、同じようなことをするに等しいイスラエルの行為を黙って見過ごすわけにはいかない。


スト

2014-01-10 12:57:03 | 国際・政治

フランスではストは日常茶飯事だという。

だって、郵便従事者とか警察官とか学校の先生方のストもあるらしい。清掃員のストまであるらしいから、朝出したごみが回収されないなどということだってありうる。さすがに人権の国ではある。

私が中学生の頃だからまだ昭和30年代以前のことだが、中学校の先生が一斉休暇を申請したことがあった。

実際に私の先生たちが学校に来なかったということはなかったのだが、クラスメイトのある生徒が受け持ちの女性の先生に先生もストするんですかとまじに聞いたら、その先生はストではありませんというような答えをされた。公式にはストではなく、一斉休暇なのだから、その先生の言い訳は成り立つわけである。

これがフランスだったら、「当然ですよ」という受け答えになっていたのだろうし、それに第一、生徒が先生に非難がましく「先生もストをするんですか」などと尋ねたりはしないだろうと思うと国柄がちがうのだと思う。

Il y a une gr\'eve aujourd'hui. (イリア ユヌ グレ―ヴ アウジュルデュイ)(今日はストがある) (\'eはe アクサングラーヴを示している)

などということは普通にフランスでは話されることが多いとか聞いた。


民主党の虚妄?

2014-01-04 13:07:21 | 国際・政治

これはいまの民主党のことではない。政権担当当時の民主党の虚妄(?)ということである。

これは死んでしまった人を非難するようであるが、日本の野党が政権をとるためには学ばなければならないことを含んでいる。

これはその民主党の政権当時にその政治家と接触があった、官僚的な人々およびそれに連なる人からの批判である。

民主党は『官から政へ』というキャッチフレーズで政権をとったが、実は政策の案をつくれる能力のある、政治家はほとんどいず、結局自分たちの考えだと称して、官僚の製作である政策を出しという。

これが民主党の虚妄の第一らしい。

第二の虚妄は金はいくらでもあると称して、政権をとったが、その後の政策の見直しでも埋蔵金は出て来なかった。そしてそのことが公約になかった消費税の増額の提案につながったという。

これは民主党の虚妄ではないかもしれないが、過ちの一つにO教授の重用があったという。このO教授は菅直人元首相の友人であるが、この人がとても特異な考えの持主であることは経済学をまともにやったことのある人なら誰でも知っていたらしい。

ところが菅氏はその人をこともあろうに、経済政策のアドバイザーにしてしまったという。

政治家の友人の問題は最近では安倍首相の友人がNHKの経営委員会委員なるとかならないとか噂されたが、それと同様な話で悪影響のあることが実際にあったらしい。

そういう事実を知っている人は菅元首相が福島第一原発に乗り込んだことが現場の判断を遅らせたと思っても不思議ではない。

この辺りは実際にどうであったかは歴史的に検証される必要があるが、今後この点にも気をつけておく必要があろうか。

一般にいまリフレ派と言われる経済学者たちの経済政策提言は数年前の民主党政権当時からされていたが、それを民主党の議員はほとんど耳をかさなかったという。また、民主党の中でも左派に属する議員は特にかたくなであったという。

それが真であるとするならば、議員さんたちの考えを柔軟にすることを願わずにはいられない。

これはある意味で一方的な意見であるから、それに対する、反論もあるであろう。もし、その反論を知る機会があれば、またこのブログに書きたい。

最後に、誤解がないように私自身は自民党一強時代の現在の政治がいいと思っているわけではないことを付記しておく。


日本のジレンマ

2014-01-02 18:44:57 | 国際・政治

「国家のかたち」についての討論番組が正月元旦の教育TEVであった。

学者とそれ以外の討論参加者であったが、ある女性が言っていたことがおもしろかった。

それはまず

1. 英語を学べ

2. プログラムを学べ

3. 東京に出よ

ということであり、確かにそうだが、みんなが東京に出たがるとどうなるのであろうか。

そのことを発言した女性はアメリカで高校時代を過ごした方であったが、そういう方の経験として英語を話すことができると世界の多くの人々と知り合いになることができるのは絶対いいという話であった。

それは確かにそうだが、それができない人にもどうしたらいいかという処方箋がほしいところである。


もう一つのアメリカ史

2014-01-02 18:35:32 | 国際・政治

12月31日のNHKのBSでオリバー・ストーン監督の「もう一つのアメリカ史」10回シリーズの再放送をしていた。

7回か8回からしか見なかったが、それでも興味深かった。オリバー・ストーン監督はアメリカ人であるのに、なかなかアメリカの政治について批判的であった。

大統領などもいまのオバマ大統領の評価も含めていい評価をされている大統領はほとんどいなかった。

ニクソン大統領とかジョンソン大統領などは最低の評価だ思った。アメリカ人でもこれだけ辛い評価をする人もいるのだと知った。

日本人でも日本に対してこれほど厳しい評価のできる、学者は少ないのではないかと思われる。もちろん、なんでも否定的に捉えるのがいいとはいえないが、それでも甘い評価よりもいいのではないか。

上記の「もう一つのアメリカ史」はDVDも販売されているらしいが、NHKのBSでまた再放送されるらしい。こういう放送はNHKの総合テレビではなかなか放送できないかもしれないが、眼から鱗が落ちた放送であった。

最後の放送はなかなか希望のもてるものであったことはよかった。ここの部分は吹き替えではなくオリバー・ストーン監督の肉声の英語であり、顔も出ていた。


概算要求と靖国参拝

2013-12-28 16:33:19 | 国際・政治

概算要求で防衛費がわずかだがプラスになったという。これと安倍首相の靖国参拝とは連結していると思う。

韓国も中国もはたまた日本も外交的に互いに緊張関係にあると、外交上の緊張関係にあるので、防衛費を増やす口実になる。

そして、それは武器を製造しているメーカーは歓迎であろう。だが、それが意図されているとすればやはり問題であろう。

安倍首相の靖国参拝はその緊張関係をわざと緩和に向かわせないところに意味があるのだと思える。そういう意味では安倍首相は確信犯である。

アメリカも安倍首相の今回の靖国参拝に不安をもったらしくて、不快感を表明された。中国とか韓国とかの反応は多分織り込み済みだろうが、アメリカとECとかロシアの反応は以外であったろう。

特定秘密保護法案はもしかしたら、官僚の意図した法案かもしれないが、その点はやはり関連しているということができるであろう。

そういう意味では官僚には国民にもう政治の秘密を公開する気など毛頭ないと思える。そして、それに乗っかった自民と公明の政治家はその意図を知りながら、やはり大きな意図を隠していると言わねばならない。


マンデラの死

2013-12-07 12:39:53 | 国際・政治

ネルソン・マンデラの死が報じられた。95歳だった。彼は南アフリカ共和国の大統領であった。

マンデラは人種隔離政策に反対して27年間の間監獄につながれた。それにもかかわらず楽天主義であったという。

いつかは自分は釈放されるという希望を捨てなかったという。もともと終身刑で牢獄に入れられたというのに。

1991年に釈放された後で、少数民族との白人との和解を促進して、見事に国を治めたという。1994年からの5年間の1期のみ大統領を務めたが、それ以上は務めなかった。

若いころに中国の革命を指導した毛沢東の伝記を読んだことがあるが、彼も楽天主義だったということに感銘を受けた覚えがある。

私自身は若いころは悲観主義であり、なんにでも悲観的であった。最近は比較的には楽観主義となっているけれども。

マンデラはなんでも看守の人までも巻き込んでしまうといういう、いい性質の方であったらしい。第一1961年くらいに終身刑で牢獄に入れられたのだから、実は私の大学の学生時代である。

その後、世界の国々から南アフリカの人種隔離政策が批判されて次第にそれがボディブローのように効いて来て、ついにマンデラは釈放された。

27年というのは長い。私の大学の勤務年数は37年にちょっと足らないくらいなので、その人生の大半以上を牢獄で過ごしたことになる。

それだのに釈放されてから、大統領を務めるなどということは牢獄生活中のその努力とか能力とかが、すばらしい。

ちらっと新聞には出ていたのは夫人が愛人をつくっていて、かつ公金を費消したので、釈放後に離婚せざるを得なかったとあった。夫の名声によって集まった公金であったのに。

公金を費消したのはほめられないが、愛人をつくっていたというのは人間としてみたら、非難はできないだろう。

そんなつまらない感想をマンデラの死についての記事からもった。


再々、特定秘密保護法案

2013-12-07 11:38:28 | 国際・政治

特定秘密保護法案が国会で承認された。この法案は終盤に来てかなり国民の反対の声が大きくなったが、国会では自民党、公明党の与党はまたったく耳を貸さなかった。

どうも秘密の内容の指定が限定されていなくて、はっきりしないとか、第三者のチェック機構が本質的にないこと、情報は本質的に国民に公開されるべきだとの理念に欠けている。

それだけではない、終盤に至ってはこれは国会の権限自体をも制限してしまう虞れがあることまで指摘された。朝日新聞は国会の危機だとまで述べた。

しかし、自民党の国会議員でもそれに反対することができないように思えた。そこはもうすでに思ったよりも危険な状態に至っているとも考えられる。

もっとも法案が通ったら、すべての終りが来たわけではないので、これからも気長にこの法案の危険性に注意をしていかなくてはならない。

政治が間接民主主義なので、一度議会で多数をとると、世論調査で反対が多くても法案を通してしまう。

多分、日本の国民の民主主義の程度がまだ十分ではないのだろう。政治的に安倍政権が怪しげだったことを知る人は知っていたはずだが、民主党への失望からか約1/3の人が自民党を支持した。そして国会での絶対多数を与えてしまった。

それがこの事態を引き起こしている。新しい自民党とか言われたが、その本質はむしろ古い考えを復興させている。

新自由主義というのは「国家は国民を支配するが、国民の面倒は見ない」というのであるといつか新聞で読んだが、そこに本質があるようだ。

主権在民の力を見せるときが来るだろうか。


再・特定秘密保護法案

2013-11-22 10:47:52 | 国際・政治

特定秘密保護法案について前にこのブログで書いたが、そのアクセスがあまり多くない。

このブログはとてもマイナーのものであり、とても社会の世論を喚起するほどの力はないのだが、それでも特定秘密保護法案についてアクセスが少ないということはやはり世間の関心が偏っていることを示している。

なるほど、テロに関与する日本国民などは99.999%の人はないだろうし、防衛とか外交の秘密に接する機会のある人もほとんどいないだろう。

だから、特定秘密保護法案とは自分に関係がないと思っていたら、そうでもない事態がいつ来るかもわからない。そういう恐れのある法案であるということに注意を喚起しておきたい。

確かに寿命のもう長いことが期待できない私自身がこの特定秘密保護法案にひっかかる事態は多分ないであろう。だが、それだから私に関係がないという立場を私は取らない。

国家にとって外交と防衛上の秘密が必要であるとしてもその秘密の年限が30年であるとすれば、十分長いはずだが、これを60年に延ばすという。言語同断である。それに首相が秘密に関して第三者機関の長だとかいう主張もまやかしの最たるものである。

多分に、これからの日本の政治、特に民主主義にとって大事な時期に来ていると考えている。

それにつけてもみんなの党と維新の会のこの法案に対する妥協のあり方はやはりそうだったかと思わされるところである。自民党の補完勢力であることを自ら暴露した。ということでがっかりである。

このことに関しては私の意見のみならず妻も同意見だから、これらの政党はやはり心ある人々の良識を裏切るものであることを知らなければならない。

それにしても苦労人の菅官房長官が安倍政権の重要な地位を占めていながら、こんな法案を出すようでは私の、彼の評価を根本的に変えねばならない。


特定秘密保護法案

2013-11-11 12:28:42 | 国際・政治

特定秘密保護法案の国会審議が数日前にはじまった。

ところが朝日新聞ではこの法案に反対の社説が出たり、記事がでているが、全体的にはその反対の世論が強くはない。しかしこの法案は危ない。

確かに、私たちはテロにも加担しないし、あまり外交にも防衛にも関係しない。それでどうも私たちとまったく関係のないことだと考えがちである。

ところが秘密の範囲の指定とかはあまりはっきりしない。これは国会審議においても国会での質問に答える答えも抽象的であることが報道されている。

それが実際にそれがいったん国会の審議で法案が成立したとなるとなんでも特定の秘密に該当するという恐れは十分にある。

だって、明確に議員の質問に答えられないくらいだが、ときの政権として国民に隠しておきたい自分にとって都合の悪いことはなんでも秘密となる可能性が十分にあるから。

担当大臣とか自民党の議員とかからいろいろ北朝鮮による拉致情報なども秘密事項にあたるとか、TPPの事項は秘密になるとかいう発言がすでに出てきたりしている。

こういう風であれば、拡張解釈されてなんでも秘密とされる恐れがある。そして、その国民に隠された交渉事とかがその当面のみならず、永久に秘密にされてしまう可能性がある。そしてその真実を取材した、マスコミの記者が罪に問われることは起こりうる。

だが、本当には何が国民の利益かは国家が決めることではない。だが、そういうことが極めて起こりそうである。外交上すべてをその場で公表することはできないかもしれないが、それは未来永劫ではないし、自ずから限界をもっているはずである。

だが、その限界を自らが設定する権限をもっており、それを明らかにしないということであれば自ずから行く先は決まっている。恐ろしい社会となり、言論が制限されることになろう。

国旗国歌法が制定されたときにはこれを国歌や国旗を忌避したいと思っている人の内心の自由までも束縛するものではないとの国会で政府の答弁があったと思う。

現在では学校の卒業式等で君が代を実際に歌っているかどうかを教師の口元を、教頭に確認させるとかまで言われている。そして、本気で歌っていないならば、懲戒処罰の対象にするという話までになっている。

私自身はあまり君が代とか国旗にそれほどアレルギーのない方だが、それでも他人のそれを厭う人の気持ちを尊重したいと思っている。国歌や国旗を厭う人にはそれなりの理由がある。

なんでも世の中では連続的につながっており、なかなかここで突然断絶的に変化したと捉えることが難しい。それが恐ろしい。

もっとも私などは年だから、この特定秘密保護法案に影響されることはあまりないであろう。だが、後世のことを思えば、とても大きな過ちを国家と政府が犯したことになると思う。

安倍政権のまたは自民党の新自由主義政策の危うさがまずこういう形で出てきた。それは前の衆議院選挙と参議院選挙の国民の選択の誤りを示してる。


演劇『コペンハーゲン』に関して

2013-08-28 11:32:49 | 国際・政治

ことはハイゼンベルクとボーアに関することである。とは言っても物理学のことを知らない人にはなんのことかわからないであろうか。

ボーアはデンマークの物理学者で原子論で知られた有名な学者だし、もう一人のハイゼンベルクもドイツのこれまた有名な物理学者である。

この二人はもちろんボーアがハイゼンベルクの先生にあたる。そしてこの二人深く互いを理解しあった中であったが、第2次世界大戦中の1941年にドイツ占領中のデンマークをハイゼンベルクが訪れる。

そして、ハイゼンベルクはボーアに連合国が原爆の開発に進まないようにとそれとなく伝えようとしてコペンハーゲンを訪れる。

そして実際に会うのだが、その話はハイゼンベルクがナチの情報部に漏れるのを恐れて遠まわしにしか言わない。そのためにボーアはナチのドイツが原爆を開発する意思があるのだと思ってしまう。

それで、歴史上ではアメリカの原爆開発だけが進行して、それは広島、長崎への原爆投下へと至る。

この辺のハイゼンベルクとボーアとの会話とボーア夫人の3人の会話が演劇『コペンハーゲン』のテーマである。ただ、私はまだこの演劇を見たことがない。

『数理科学』9月号はそのテーマがボーアであり、その記事の一つにこの演劇に関する対話のいきさつを山崎和夫さんが書かれている。

それによれば、ボーアとハイゼンベルクはそのときのことについて一度二人だけで話し合いを戦後何回かしようとしたらしい。しかし、それが行われないうちにロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」(平凡社)が出版され、そのデンマーク語訳を読んだボーアがアメリカの物理学者たちが悪玉として描かれているのに機嫌を悪くされてこの話し合いは結局されなかった。

これがハイゼンべルクに近いドイツの物理学者の思っている事情であるが、一方アメリカに亡命したかつてのヨーロッパの物理学者たち、特にユダヤ系の物理学者は身内が強制収容所で殺されてなくなったということもあり、ハイゼンベルクとそのまわりにいたドイツの物理学者の方がむしろ悪玉であると考えている。

そして山崎さんによれば、それが世界の大勢の考え方であるらしい。

私が興味深く思ったのは「千の太陽よりも明るく」の出版されるまではボーアはむしろハイゼンベルクとの和解を考えていたのだが、このノンフィクションのせいでその和解がなされなくなったらしいことであった。

私はこの書を学生の頃に読んだが、アメリカの物理学者の悪玉説であるとは思わなかったが、当事者になるとそうは思わなかったことに驚かされた。

(付記)そして広島への1945年8月6日の原爆投下によって、私の先生のSak先生とSaw先生とが原爆に被曝するという、結果となった。Sak先生はすでに故人だが、Saw先生はまだ存命である。


自己言及パラドックス

2013-07-29 11:29:55 | 国際・政治

7月28日の朝日新聞の政治断簡という記事の冒頭に佐藤武嗣さんが「自己言及のパラドックス」として書かれている。以下に引用しておこう。

数学や論理学で「自己言及のパラドックス」というのがある。 「私はウソつきだ」と語る人の発言は果たしてウソか本当かーー。

ウソつきならば「私はウソつき」と語るのもウソだから、ウソつきでないことになる。逆にその人が本当のことを言っているのなら「私はウソつきだ」というのも本当だからその人はウソつきで。いずれも矛盾をきたす。『張り紙禁止」と書かれた張り紙も自己矛盾。自分自身に言及するとたちまち論理矛盾を引き起こすというものだ。(引用終わり)

「私はウソつきだ」という言い方は簡単であるが、それを自分自身に当てはめると矛盾をきたすという論理はこれで十分説明されている。

これも以前にこのブログで書いたことがあるはずだが、もっと複雑な言い方では

「あるクレタ人は『クレタ人はみなウソつきだ』といった」

というのがある。これもそのクレタ人自身について考えると論理的な矛盾が生じるのは上の話と同じである。

この命題は数学の不完全性定理との関係で、よく使われる。

上の朝日新聞の記事の冒頭のことと論理的に同じ話を「板倉式発想法」という題ですでに書いた。