正式のホームステイではないが、この2日ほどホームステイごときものをしていた。
土曜日にたまたま徳島から高松駅に着いたときにそこのトイレの近くの電気のコンセントから自分のスマホを充電をしている外国人に出会った。
どこから来たのですかと尋ねたのだが、どうも日本語を話せないらしいので、同じことを英語で言ったら、フランスからでパリの出身であることがわかった。
それで電車の中で、松山までの2時間ほどの間をそのフランス人と片言のフランス語で話をした。
30年以上もフランス語を勉強しているのだが、フランス人と話すことはまったくなかった。
大学の3年生のときに話されたフランス語に接するようになったのがはじめであるが、それから考えてもう55年くらいたっている。
NHKラジオのフランス語講座を聞き始めてからでも、30年以上だと思う。だが、なにせ初級の講座を聞くだけでそれも聞いたり聞かなかったりである。
他にフランス語に接する機会はない。それでも30年以上のキャリヤはあるもので片言ながら、この2時間ほどを乗り切った。
もっとも話づめではなく、話題を探しての話だし、それに話題を見つけてもそれを表現する語彙を思いつかない。
それで、その若いフランス人はなにをしているかと聞いたら、学生であることがわかった。
お父さんは建築家であり、パリで仕事をしていることとか、お母さんは先生をしているとか、お姉さんが東京におられて、日本滞在が4年ほどになることもわかった。
そしてお姉さんに会いに日本に来て、3週間の予定で日本国中を旅行していることがわかった。
それで松山で泊まるところは決めているのかと聞いたら、着いてから探すという話であったので、私の仕事場に泊まれるということを話した。
でも私の一存では決められないので妻と相談するから、付いてきなさいと言っておいた。
駅に車で迎えに来ていた妻と相談したら、妻も同意してくれたので、仕事場に泊めてあげることにした。
それが土曜日の夜の10時半過ぎである。大急ぎでベットを設え、シャワーの使い方を教えて私どもは帰宅した。
つぎの日の日曜日の10時前に来てみたら、まだ起きていなくて、石手寺に連れて行くと言ったら、大急ぎでシャワーを浴びて、出てきたので石手寺を一緒に参拝した。
その後、砥部の梅山窯の工房を訪ねたが、ちょうどお昼休みにかかっていたので作業は見ることはできなかった。その後で古い登り窯を見た後で、また私の仕事場まで連れて帰った。
午後は自由に松山城と道後温泉へと行くことを勧めておいた。
今朝は午前中に用事があったので、9時すぎにちょっと会ってから、その用事に出かけた。
1時前に来てみると、もうフランス人は出かけていた。お別れの手紙が残っていた。