物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

レントゲンの生涯

2014-07-22 11:04:22 | 日記・エッセイ・コラム

メールで無料配布している、サキュラー『ドイツ語圏とその文化』の3号の編集をこの数か月中断していたが、再開した。

それでレントゲンの生涯の記述をした、資料を読んでいる。日本語とか英語の資料である。

なかなか知らない言葉が出て来て、それでも一度か二度は辞書を引かないで読んだのだが、もう一つしっくり来ないので辞書をひきひき読んでいる。

だが、一般に人の生涯をだらだら書いてもあまり利益になることはすくなかろう。

レントゲンならば、X線の発見の経緯を述べるところが主要であろうか。

どういうものか本人がどこかにそのいきさつを書いているのかもしれないが、彼のX線発見の経緯を事細かく書いてあるのを読むと本当かななどと思って鼻が白んでしまう。

私の悪い癖である。


失神

2014-07-17 12:36:07 | 日記・エッセイ・コラム

先日のドイツ語のクラスで脱法ハーブ(illegale Kr"auter)が話題となった。

脱法ハーブを吸った自動車運転者がどうなるのかと聞かれたので、とっさにいい言葉が思いつかず失神する(Ohnmacht)と口走っていた。

そうするとR氏がohnm"atigとかbewusstlosだと助け舟を出してくれた。というようなことを朝食後に話したら、妻がすぐにタブレットでインターネット検索をしてくれた。

それによるとin die Ohnmacht fallen, das Bewusstsein [die Besinnug] verlierenとかいうことがわかった。他にもいろいろな表現がある。

いずれにしても私の50年以上にわたるドイツ語との接触でようやく得たことを妻が瞬間にしてタブレットで知ることができたので、私の50年以上にわたる研鑽はなんだったのだろうとつぶやいたら、妻が知識を知ることはできても自分にはすぐには使えないのだからと慰めてくれた。

それにしても彼女に聞いた検索のしかたは「ドイツ語、失神」と打ち込んで検索するだけである。

そういうことを知ると、学習のしかたも以前とは変わって来なければならないと思う。

話は急にかわるが、最近では数式処理で積分の計算ができたりする。これは不定積分できる関数なら、mathematicaなどの数式処理ソフトで数式を入力したら、積分の答えが即座に得られる時代なのである。

そういう時代に微積分学をどう学んだらいいのか考える時代が来ている。

(2015.7.18付記) またこれは小学校の算数の話だが、普通に市販されている、関数電卓でも分数の計算はできないが、そういう分数の計算ができるような電卓も数年前に売り出されていた。これがいまでも売っているかどうかはしらない。 もちろん、普通の数式処理システムなら、もちろん分数の計算を小数に直さないで計算してくれる。それほど高度の数式処理システムではないある種の電卓が必要であるのかもしれない。

西表アサガオ

2014-07-12 13:20:08 | 日記・エッセイ・コラム

今年も西表アサガオが庭先で咲いている。

このアサガオは生命力が強くてどこにでも侵入してくるとかで妻の知人からは植えることを止められたと聞いている。住宅の側に植えると家の床下から生えてくるとかで家屋を痛めるからと言われた。

それでも花が咲くと薄紫で大輪とまでは行かないが、かなり大きめのアサガオである。

西表島では有名なのは西表ヤマネコであり、これは切手好きなら、それが切手になったということもご存じだろう。

あまり沖縄のことを知らないので、何とも言えないが西表は動植物も特異なものが多いと聞く。


天気予報氏のユーモア

2014-07-10 12:03:45 | 日記・エッセイ・コラム

台風が来て、テレビは台風の災害の報道でもちきりである。そういうときだから、ユーモアある話を一つ。

アメリカのテレビで天気予報を担当していた、Aさんあるとき聴視者からお前はいつも雨を降らせてばかりで「けしからん」と苦情をもらった。

それに答えて曰く、「なんならあなたの住んでいる地方にもっと雨を降らせましょうか」と。

これはアメリカのある社会心理学者の書いた本で読んだことである。

これは聴視者の方がユーモアがあったのか、それともいつも天気予報をしている人が雨を降らせる能力をもっているかのような錯覚に陥ったのであろうか。

それにしてもそれに答えた天気予報氏さんのユーモアはとてもいける話である。

私なら、せいぜい「私が雨を降らせているわけではありません」と鼻が白むようなセリフが口から出てきそうな気がする。

もっともその、「なんならあなたの住んでいる地方にもっと雨を降らせましょうか」というセリフで視聴者がそのユーモアを評価したかどうかはわからない。

ひょっとしたら、これは著者の創作のユーモアであったかもしれない。


夏近づく

2014-07-08 11:30:12 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨の最終段階に入ったのか、最高気温が30度とかいう表示の日が多くなった。

昨夜は雷鳴がひどくて肝をつぶすくらいの雷鳴が数回あった。そのうちに眠ってしまったので、その後ひどい音量の雷鳴があったのかどうかは分からない。

最低気温が25度を越えるようなら、ほんとの夏の到来である。最高気温が30度を越えても最低気温が25度以下ならそれなりに凌ぐことができる。

しかし、最低気温が25度より下がらないと、これはまさに真夏(Hochsommer)である。

梅雨についての感覚が子ども頃と比べて変わってきた。というのは昔は道路の舗装があまりされていなかったので、どこもじめじめした感じだった。

現在は雨がいったん止めばすぐに道路も到るところ乾いてくるので、昔ほどじめじめした感覚はすくない。

ちなみに有名な「Feynman物理学講義」(岩波書店)には世界中で同時に約3000所だかの雷のところがあるのだと書いてあった。どうやってそんな統計をとったのだろう。


アクセス解析から

2014-07-04 11:30:16 | 日記・エッセイ・コラム

「四元数:実数の4組表現」という題で数日前に書いた。

そのアクセスがこの1週間で12回になっている。これを少ないとみるか多いとみるかは人によるだろう。

結構アクセスが私の期待よりも多いと感じている。というのは四元数というのは数学でもマイナーな話題だからである。

これは「四元数の発見」という題の今書いている書物の閲読者からのご意見をとりいれて、「四元数の発見」に書き加えたことの内容の一部である。

これは以前に少し調べたテーマだが、まったくどこにも書かなかったことの一部でもある。

四元数のことをいろいろ調べたときに、それをすべてシリーズの連載記事としたわけではなかった。かなり調べて書こうかと思ったが、あまりそれに深入りするのはどうかと思って止めたテーマもあった。

その書かなかったことの全体ではないが、その一部だけが生き返った。

ただ、私はそういう閲読者のリマークと密接に関係していることを明らかにした上でブログを書いてはいないので、ブログの読者には単に遊んでいるように思われているかもしれない。

だが、遊んでいるわけではなく、閲読者のご意見というかご注意と関係している。


演じない役者はただの石ころ

2014-06-28 11:42:28 | 日記・エッセイ・コラム

「午後の遺言状」という映画は見たことがないが、その映画のことを朝日新聞でとりあげていた。

その中に新藤兼人監督か誰かの言として、出ていた。これはしかし応用が利く。

「教えない教師はただの石ころ」だとか、「研究しない研究者はただの石ころ」だとか、「真実の報道をしない新聞記者はただの石ころ」だとかである。

もっともこの言い方に関係がないかもしれないが、「スキーは夏上手になる」ということわざもある。

ようするにある種の時間間隔があくということがプラスに作用するということであろう。

私などもこのブログとかいろいろな文章を書くことがある。そして、ある時間がたってまたその文章を読み直すと言葉が足りないことがわかって書き直すことが多い。

その文章を書いたときの熱気がなくなるということも事実だろうが、わかりやすさでは格段に良くなっていると勝手に思っている。


私の人生の10曲(4)

2014-06-21 13:08:05 | 日記・エッセイ・コラム

「私の人生の10曲」もすでに10曲をすでにすぎているから、看板に偽りありだが、続けてみよう。

どうもドイツ語の歌が1曲も思い出せなかったのが不思議だ。

それで、昔のドイツ語のテクストをとりだしてみるといろいろいい曲はある。

Das gibt's nur einmal,

Das kommt nie wieder,

das ist zu sch"on, um wahr zu sein.

という有名な歌詞があるのは映画「会議は踊る(Der Kongerss tanzt)」の主題歌Das gibt's einmalである。

最後の文は初級文法で学ぶような典型的なum zu構文である。

他にもベートベンの第九の合唱An die Freudeの、

Deine Zauber binden wieder,

was die Mode streng geteilt.

alle Menschen werden Br"uder,

wo dein sanfter Fl"ugel weilt.

は音楽音痴の私でも覚えていて、この箇所はコーラスについて歌うことができる。この副文ではドイツ語らしく定動詞が後置となっている。またgeteiltとweiltと韻を踏んでいる。

weilenという動詞はあまり日常用語として聞いたことはないが、eine WeileとかいうときのWeileとの関係語なのであろう。

最近では各地で第九を歌う会がある。松山にはその会がないが、隣町の松前町にはあり、年末にはこの合唱をコンサートで聴くことができる。

そのプログラムのパンフレットにはその有名な箇所にはカタカナのフリガナまでしてあって、会場の参加者もその部分を一緒に歌うことができるようになっている。

一緒に歌う経験をした人がこのコーラスにつぎの年に参加して舞台の上で歌ってほしいとの意図が込められている。

シューベルトの冬の旅の中のGute Nachtは亡くなった友人のH君が好きでときどき口ずさんでいたが、有名な箇所は

Das M"adchen sprach von Liebe, 

(ダス メートヘン シュプラハ フォン リーベ)

Die Mutter gar von Eh',-

(ディ ムッター ガル フォン エー)

である。


私の人生の10曲(1)

2014-06-20 12:03:47 | 日記・エッセイ・コラム

「私の人生の10曲」というNHKの番組があった。

それを居眠りしながら、聞いていて同じことを私自身にすることができるかと考えていた。

音楽にはあまり関心がないので、それができそうにない。10曲も曲をあげることができるかどうか。

その成否はわからないが、ちょっと試みてみよう。

3~4歳のころ、私は軍国少年ならぬ軍国幼児であったから、そのころの思い出は「愛国行進曲」である。

見よ、東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の世紀はつらつと、・・・

とかいう歌詞であった。もっともこれは歌を兄たちが小学校で教わって来て歌っていたのを聞いて覚えたものだから、本当は間違っているかもしれない。叔父が二人も職業軍人であったから、その当時は大きくなったら軍人になるのだと思っていた。

もっとも体力も身体的能力もない私はもし希望したとしても、軍人にはなれなかったろう。

つぎに、小学生になった後で、流行った歌は題は知らないが、

赤いリンゴに唇寄せて、黙って見ている青い空・・・

というリンゴの歌である。これは戦争が終わった後の開放感を表している。

そのつぎには父が買って来た、蓄音器(まさに蓄音器で、その後つかわれた、レコードプレヤーではない)について来た2枚のレコードの1枚だった「愛染かつら」である。これは戦前の映画の主題歌であったろうか。

ひょっとしたら、プレヤーについていたレコードではなく、前から家にあったレコードであったかもしれない。

そのころ、やはりレコードで「五木の子守歌」というのを聞いたのを覚えている。


2014-06-18 12:05:42 | 日記・エッセイ・コラム

雨の季節である。

先刻も車で仕事場までやって来る途中でFMの放送を聞いていたら、雨に関する音楽を放送していた。

その中に雨と題する曲があったが、それはピアノ曲であったが、なんのことはない、童謡の「雨、雨ふれふれ、かあさんが・・・」という曲であった。もっとも歌はついていなかった。

「蛇の目でお迎えうれしいな」という歌詞が続くはずである。そういえば、蛇の目などという傘をトンと最近では見かけない。

コウモリ傘と言われた種類の傘の全盛である。温泉宿などでも蛇の目とか番傘は見かけないのではないだろうか。

もっとも子どもにとって蛇の目傘がうれしいのではなく、お母さんが迎えに来てくれるのがうれしいのであろう。そんなことにもこの年になるまで気がつかなかった。


2600回達成

2014-06-17 12:02:07 | 日記・エッセイ・コラム

このブログもこの回でようやく2600回に達した。いつも言うように1年に300回くらいが人間がブログを書くことができる限界であるので、平均すれば8.7年かかるはずである。

このブログは2005年にはじめたので、大体その予測とあっている。

それにはじめのころは1週間に1回くらいの頻度であったが、そのうちにほぼ毎日何かを書くといういまのスタイルが定着した。

今回みたいな記念の回は経緯の反省とか回顧になるが、大体は私自身の気がついたこととか思ったこととかを述べている。

できるだけ新しい視点だと思ったことを書いている。実際にはなかなか使い物にはならないが、子どもたちの生きる参考になればと願っている。

それと私がそのときどきで携わっていることで、苦労していることとか気にかかったこととかを書く。

これは自己満足で書いているブログなので、別に誰かに感心してもらうために書いているわけではない。

それでも誰かが読んで感心してくれることはその人の問題であり、その人の自身の向上とつながっていれば、それをいけないということもない。


しらいの滝

2014-06-17 11:32:38 | 日記・エッセイ・コラム

東温市のしらいの滝を先週の土曜日にはじめて訪れた。

これは妻がお隣の生き物好きのJ君にカニがいたよといったら、そこへ行きたいということで一緒にいったのである。

J君は小学校の3年生である。たびたびこのブログで話題にしている子である。そのときには妹のChiちゃんも連れて行った。

二人とも身が軽くて、ひょいひょいと坂道を上がっていく。階段があってもちっとも苦にしない。

体重のある私は妻におくれること10mでようやくついて行った。ところが途中で探したのだが、カニがいない。これでは誘っただけで空振りだなと思った。

滝つぼのところまで上がってしばらく滝を見た後、ちょっと横にそれた道端で妻と二人の子どもが石をひっくり返してカニを探し始めたが、なかなかカニがいなかった。

ところが、J君が1匹カニを見つけたら、あちこちにカニがいた。大きなカニは3匹ぐらいだったが、小さいものもあわせて10匹も捕まえてもって行った水槽に入れた。

J君は鼻高々である。もっとも今朝隣から聞こえてきた声を妻が私に伝えてくれたところではカニが死んでしまって、5匹ぐらいになっているようだ。


ホタル狩り

2014-06-16 10:22:34 | 日記・エッセイ・コラム

ホタル狩りなどというとホタルを捕まえに行ったようだが、そうではなくてホタルが飛んでいるのを観賞に行ったのである。

昨日、午後8時ごろから小野川上流のところへホタルを鑑賞しに子ども連れで出かけた。

もっとも小学生のお隣のお子さん3人とである。8時ごろにならないと暗くならないのでホタルが光っていてもわからないからである。

なんとか10匹ほどのホタルが光ながら、飛んでいて、面目を施したが、お子様たちにとってはよく見えなかったらしい。もっとも全く見えなかった訳ではないと思うけれども。

帰りの車の中で子どさんたちは眠り込んでいたのか静かだった。一番下のチィちゃんは眠り込んでしまっていた。

9時過ぎには帰宅をしていたから、1時間ほどのホタル観賞であった。


JY君

2014-06-12 12:55:14 | 日記・エッセイ・コラム

お隣のJY君のことを述べよう。

JY君は小学校3年生である。いつだったか擬似祖父母体験というブログで書いた子どもさんのうちの一人である。

町内のフェスタで小学校でフェスタがあり、そのときに一緒に小学校まで行ったときのことであった。

校内の小さな池の中にメダカとかお玉じゃくしとか小さな生き物をじっと彼は観測しているのである。そして、その観測に夢中になってその池にいつか落ちてしまい、先生があわててJY君のお母さんに電話して着替えをもってきてもらったのだと校長先生が彼のことを好ましげに語っていた。

そしてその観測眼は鋭く、ごく小さなことでもきちんと観測しているのだという。私の自宅の前に畑に水が入って苗が数日前に植えられた。

早速、このJY君何か生き物が来るのではないかと興味深々であるらしい。でもすぐには生き物は来ないよねとはお隣のNさんが言っていたと先日聞いた。

こういう知的好奇心とかその人のもっている賢さとかは残念ながら教えることができない。その子、その子に固有の性質であり、生まれつきである。

知識は歳とともに増やすことができるが、こういう知恵とか知的好奇心とか何かに熱中する性質とかは教えることができない。

もっともある子は生き物に関心をもつが、私などはそういう生き物に関心をもったことなどまったくなかった。

私の大学時代の同級生で大学院時代に研究室で生活を共にした、H君はやはり生物が好きで、中学校くらいまではとんぼとか蝶に興味をもっていたと私に話してくれた。


がんばれ、ながえ孝子

2014-06-11 11:34:02 | 日記・エッセイ・コラム

さきほど用があって、ながえ孝子さんの事務所の横を通ったら、辻立ち演説を2284回したとあった。

がんばれ、ながえ孝子! 

辻立ち演説を何回したら当選で、何回しなかったら落選という、とかいう目安はない。たとえ、3000回辻立ち演説しても落選かもしれない。

だが、そういう地道な努力をしている人を見捨てることはないものである。

私のブログの回数が2600回に近づいてきた。一年に300回のブログを書くことはそんなに楽なことではないが、私にはそれほど苦でもない。

生きているうちに1万回目のブログを迎えることがあるのか、私にはわからないが。