物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

36kg は何トンか

2014-06-04 12:00:43 | 日記・エッセイ・コラム

あるところで36 kgは何 t かと聞かれた。急に聞かれたので、36を1000で割って、0.036 t と答えた。

しかし、普通に36kgくらいなら、それをトンに直せなどと聞かれることはないだろう。これは公文書に必要だったらしいので、それならしかたがないけれども。

冗談だが、お上には逆らえないから。

トン t で表す必要があるのはやはり1 t =1000 kgに近い質量とか重量が問題になるときであろう。

いまの質問に返ると、500kgが0.5 t であるから、36 kgは0.5 t よりも一桁小さい0.036 t であることは自明であり、計算が必要なことではなかった。このあたりに私のセンスのなさが現れている。

また、物理などの科学技術の計算では36 kgを表すには、1000 kg/tであることから、36 *10^{-3} t =3.6*10{-2} t と答えるのが推奨されるであろう。

しかし、私にこのことを尋ねた方はそういう知識まではもっていなかったらしい。もっともそういう知識をもっているくらいなら私に尋ねたりはしないだろう。

人はすべてのことを自分がよく知っているということはないから、わからないことがあれば、知っている人に尋ねるというのはいいと思う。


Balla e ronda

2014-06-03 10:26:59 | 日記・エッセイ・コラム

たまたま車に乗っていて、FMラジオをつけたら、ワールドカップを記念した音楽番組がはじまった。

その冒頭の歌がBalla e rondaというのはイタリア語で「ボールは丸い」という意味だという。

丸くないボールは私はラグビーのボールくらいしか知らない。サッカーボールでもハンドボールでも、はたまたバレーのボールでも丸い。

野球のボールも丸い。バトミントンなどは羽根であるから、ボールではない。

丸いボールはどこにでも転げて行く。そういう普遍性が歌のテーマだったのかもしれない。

このラジオ音楽番組の担当は鈴木マリアさんとマッテオさんであり、テレビのイタリア語の放送でよく知られた方々であった。もっとも私は顔を思い出すことができるくらいで、イタリア語はからきしである。


免許証の更新

2014-05-31 11:18:00 | 日記・エッセイ・コラム

高齢者になって3年ごとの車の免許証の更新である。2回目かと思う。

今年がその年にあたっていた。先日の5月29日に高齢者講習というのを3時間半にわたって受けた。その費用は6,000円だった。

そのかわり、自動車学校の対応が心なしかよくなったようであり、講習の途中でお茶が出たりした。

先生もおおむねfreundlcih(やさしく)であり、講習終了のときには3年後にまた来てくださいと先生に言われた。

運転適性試験を受けたが、記憶力がどうも確かではなく、絵を画面で見せられてそれを思い出すというテストをされた。点数は84点でまあまあだった。

つぎの日、すなわち、昨日、免許センターに免許更新に行った。午後出かけたのだが、13時すぎについて仕事場に帰って来て時計を見たら、14時01分だったので、ほぼ1時間で済んだことになる。

出かけたのが12時30分頃であるから、約1時間の所要時間だったことになる。センターでの免許更新の時間は短くて、心理的には楽だった。


姪の結婚式

2014-05-26 11:02:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、姪の結婚式が横浜のホテルであった。

身内である私が言うのも憚れられるが、姪はなかなかの美人でもあり、また朗らかな性質でもあるので、いい結婚式だった。

新郎もしっかりしたいい人のようで姪の両親も安心したことだろう。これまた身びいきだが、姪が朗らかでいつもにこにこ笑っているところなど姪の伯母である、私の妻に似ているようでいいところを血筋として受け継いでいるようである。

久しぶりに私たちの子どもたちとも短い時間ではあったが、結婚式場で会うことができた。一年に一度は会うことを原則にしているのだが、やはり子どもたちが仕事等で忙しいとなかなか会うことができない。

忙しいことは必ずしも悪いことではないが、「健康だけは気を付けておくれよ」といつも思っているが、なかなか面と向かってはいうことができない。

また今回の旅で、子どもたち夫婦から私はワインを、妻は書道の筆を贈り物としてもらった。

それぞれ誕生日のプレゼントであるが、妻は古希のお祝いのプレゼントであった。


久しぶりの上京

2014-05-22 14:30:27 | 日記・エッセイ・コラム

明日から数日上京する。昨年は上京しなかったから、私には2年ぶりということになる。

子どもには昨年は松山で会ったので、私たちが一年に少なくとも子どもたちとの1回の面会はできたから無理に上京する必要がなかった。

親戚の結婚式があるからの上京であるから、遊びではないが、一日くらいはどこかでゆっくりとするつもりである。

2泊三日の旅行予定である。前から準備していた『ドイツ語圏とその文化』3号はどうも5月中には発行できそうにない。

それに帰って来たら、高齢者講習に出てそれから免許証の更新に出かけなけらばならない。今回が人生最後の免許証の更新となるのかどうかまだ決めかねている。


prodigy

2014-05-16 10:50:52 | 日記・エッセイ・コラム

ex-prodigyというタイトルの自伝があった。

天才学者といわれた、ノバート・ウィーナーの自伝である。英語のexというのはよく先夫などというときに、ex-husbandという。

prodigyは天才児、神童という訳が辞書を引くとついているから、だから、ex-prodigyは元神童ということである。

彼はMIT(マサチュッセツ工科大学)に勤めていたのだが、この自伝ex-prodigyの中だったかもう一つの自伝の中だったか忘れてたが、このMITに就職の世話をしてくれたのが父親の友だちだったと書いている。

そして、いまではMITといえば、アメリカの優れた大学の一つということになっているが、ウィーナーの勤め始めたころはそれほど権威をもっていなくてウィーナーの自尊心を傷つけるくらいであったらしい。

これは現在の評価とは大いに異なるものであるが、大学でも設立後あまり年数が経っていないときにはあまり権威がないということも頷けるであろう。

よくこのブログでも引き合いに出す、Feynmanは大学の学部はMITであったと思う。FeynmanはMITの大学院に進むつもりであったらしいが、物理の先生の一人であった、Slaterは他の大学の大学院へ進むことを勧めたという。

このSlaterはいくつかの物理のテクストの著者としても有名である、あのSlaterである。「理論物理学序説」Introducton to Theoretical Physicsという題の本が一番よく知られている。

単振動の方程式をべき級数の方法で解いていたが、その部分をいつか自分の講義の中で用いたことがあった。

話はとぶが、「バラの名前」というイタリア人科学者のフーコーだかが書いた小説が映画化されたときにSlaterという名の当時はまだ若かった俳優が出演していて、この物理学者のSlaterとは縁があるわけではないであろうが、親戚かなと思ったりした。


bとdとの区別がつかない子ども

2014-05-15 12:57:51 | 日記・エッセイ・コラム

b と d との区別がつかなかった子どものことを琉球大学の数学のO先生が雑誌『数学教室』(国土社)の6月号で書かれている。

これはOさんのカナダでの経験だが、実際に私が小学6年生のときに経験したことでもある。b, d と p とは私にはなかなか区別がつかなった。

もともと私は左と右との区別がなかなかできない方なのでそういうことに照らし合わせば、別に取り立てて不思議なことでもない。

Oさんの書かれた記事を読んで私は苦笑してしまった。ヤンという名のカナダの子どもが b と d とが区別ができなかったのであるが、彼はポーランドからの移民の2世の子どもである。

だから、b と d とが区別がつかないのもある程度はしかたがないかもしれない。

私が小学校の6年生になったときにローマ字の授業時間でローマ字で書かれたテキストを朗読するということをさせられた。

それで前の日に声を出して読む練習をするのだが、この b と d と p とが出てくるとごちゃごちゃになって何と読むのかわからなくなる。

毎回、そばにいる母にその字の読み方を確認しなければならなかった。

もっともそういう朗読の練習をするということで自然と b と d と p との区別がつくようになった。

しかし、昔の私のような子どもがいるのだという、ある種の普遍性があることを知った。

(付記)右と左の区別がなかなかつかない人がいることは私に起きた特殊な現象というわけではなさそうである。有名な物理学者の Feynman もどこかで自分には左右の区別がつかなかったと述べておられた。

ある方に「自分には左右の区別がつかない」と言ったら、幼少時に左利きを右利きに修正されたのではないかと即座に言われたことがある。そうかもしれない。

そういえば、私の子どもの一人も字は右で書くがボール投げたりするときは左利きである。私も中学校くらいまで休み時間に友だちと相撲をとったりするときは左手で投げを打つのが普通だった。

2年ほど前に肩を痛めて数か月間、整形外科に通ったが、そこで握力検査をしたら、左手の方が握力が強かったので検査してくれた看護師さんから「利き腕は右手ですよね」と不思議がられた。


ブログを書くのを忘れて

2014-05-14 18:29:03 | 日記・エッセイ・コラム

ここ1週間くらいはしなければならない仕事があるので、ブログを書くことがあまり楽しくない。

本来、私は下らないことをグダグダ書くのが好きなのだが、それよりもすることがあると我を忘れて仕事をしてしまう。

これはあまり頭を使わない仕事なのでしてしまうのだろう。もしこれが頭を使う仕事なら、疲れてしまうはずだ。

唐突だが、政治としては気がかりなことは集団的自衛権の行使を憲法解釈を変えることによってできるようにするということが一番大きな気がかりである。

安倍さんは国家秘密保護法といい、集団的自衛権の行使を憲法解釈を変えて行うようしたいとかろくことを考えない。ところが政治の世界では一度多数をとると何でもできると考えてしまうらしい。

私などは戦争など簡単にできないと思っていたが、そうでもなさそうである。とんでもない人を総理大臣にしてしまったものだが、社会全体ではそうは思っている節がない。それが比較的高い内閣支持率に現れている。

もう世も末である。自民党の政権を早く倒さないと日本の国の将来を誤ってしまう。

ドイツなどなら、憲法裁判所が違憲とか判断するとそれが通るのだが、もうこうなると合理的な判断はまったく尊重されないらしい。

菅官房長官を見損なった。彼は苦労人だし、すこしは安倍さんの暴走を止めるかと期待をしていたのだが。


「きょうよう」と「きょういく」

2014-05-13 10:54:06 | 日記・エッセイ・コラム

おもしろい話を聞いた。高齢の者にとって「きょうよう」と「きょういく」とか大切だという。

漢字の教養と教育ではなく、ひらかなの「きょうよう」と「きょういく」である。もちろんこんなことを考え出した人には漢字の教養と教育が頭にあってのことだろう。

「きょうよう」とは今日どこかに用があり、「きょういく」とは今日行くところがあるということらしい。

そういう人はボケないのかどうかは聞かなかったが、そういえば、「きょうよう」と「きょういく」とは大事なことであろう。

こういう一種の語呂合わせを考えつくような人のセンスのよさを窺い知ることができる。


Kitsch

2014-05-11 20:48:07 | 日記・エッセイ・コラム

新聞を今朝読んでいて、キッチュという日本語のあったので、妻に「キチュってなんだろうね」と言ったら、スマホで直ぐに調べてくれた。

なんでもけばけばしいものをいうらしい。そしてこれはドイツ語であるという。Kitschというのは男性名詞である。「まがい」ものとかそういう意味である。

kitschigは形容詞で「趣味の悪い、まがい芸術の」という意味が辞書に載っている。

実はこういうドイツ語があるとは全く知らなかった。何年ドイツ語を学んでいるのだろうか、私は。

それも日本の新聞を読んで知るなんて、なんてあほだろう。

試みに独独辞典を引いてみたら、das keinen kuenstlerischen Wert hat, geschmacklos od. sentimental ist(まったく芸術的な価値のない、趣味の悪い、センチメンタルな)とあった。


ぼたん茶屋(東温市)

2014-05-09 12:42:07 | 日記・エッセイ・コラム

私のブログでは外国語の話題を多く取り扱うような気がしている。

それで、それに飽き飽きしている読者もいるかもしれない。それで今回は外国語には関係しない話を書く。

先日の休日に妻が東温市のぼたん茶屋ということに車で連れて行ってくれた。いまそろそろボタンの季節も終わりだが、先日行ったときはまだボタンが咲いていた。

ここでは「どぶろく ながい」というどぶろくもつくっている。私たちが行ったときも一瓶購入して帰った。

もっともまだ飲んではいない。私はあまりのん兵衛ではないからである。あまりボトルは大きくないが、価格は1500円であった。このどぶろくは発酵が進むといけないので、冷蔵庫に入れておく必要がある。

これを高いとみるか適正な価格とみるのか、それは人によろうか。私は少し高めだと思う方に属している。しかし、特に高価ということでもないだろう。

11号線から県道210 号線で少し南に入ったところにあり、旧川内町の井内というところにある。井内公民館を越えてすぐのところにある。

これからは6月いっぱいはアジサイを鑑賞できるようである。

山菜料理一人前2500円、赤そばを提供している。また10人からピザを焼いてくれるとか。これは予約が必要である。

まだ、それほど人は多くなく静かであるが、そのうちに人気が出ると人大勢来るようになるかもしれいない。

この季節だと緑も多く、絶好の休暇を楽しむことができるだろう。

ちなみにもちろんことだが、私はPR代を一文ももらってはいない。


祖父母の擬似体験

2014-04-30 10:23:22 | 日記・エッセイ・コラム

隣に住んでいたAさんが引っ越して行って、数年空き家になっていたお隣にYさん一家が3月に引っ越してこられた。

ちょうどご主人が私の子どもくらいの年齢らしい。子どもさんが3人おられて、小学校5年、3年、1年生だという。

一番下の1年生が女の子でちょくちょく私の家に遊びにくるようになった。

昨日は近くの小学校で東道後温泉祭りとかの催しがあって、兄弟の一番上の子が風邪で寝ているとかで、お隣の奥さんが家を空けられない。

それでということもないのだが、妻が下の二人の兄妹をそのお祭りに連れて行くという。小さい子ども二人で、妻が一人では事故が起こっても困るので、ついて行くことにした。

運動場の一角でマスのつかみどりをするイベントがあるという。この兄妹は以前にもマスのつかみ取りをしたことがあるとかで、水の中に入るので衣服が水でぬれるので、お母さんが代わりの服を用意してバッグに入れて、それをもたせてくれた。

お兄さんにはマスをつかみ取ったときのためにバケツも持たせてくれた。

私たち夫婦はこの兄妹が本当にマスを手でつかまえることができるとは思っていなかった。ところがなんと二人で7匹も捕まえたので、結局そのうちの2匹を頂いた。

それで夕食に塩焼きで食べたら、なかなかおいしいマスだった。兄のR君によれば、これは黒マスという種類だという。

もっともマスのつかみ取りは参加費が100円であり、また小さい子どもたちであるので、綿菓子をおねだりされたり、ポップコーンをおねだりされたりして、数百円の出費だった。

私どもには孫がいないので、祖父母の疑似体験となった。連休の後半にはまたどこかに子どもたちを連れて行くと妻は張り切っている。


新しい物の見方

2014-04-19 13:48:24 | 日記・エッセイ・コラム

このブログではできるだけ新しい物の見方であると私が思ったことを書くようにしている。

それで、ときどき新聞やテレビを見て新しい物の見方だと思ったことを手元の紙片にメモしてそれをもとにしてブログに書いている。

そのようなテーマを一つもっていたと思うのだが、いま思い出せないし、探してもメモも見当たらない。

17日から18日にかけて、精密検診で入院をしていた。その結果はまだわからないが、あまり希望が持てるものではないと予想される。

入院中に暇な時間がとれたので、再度というか、いままで何度となく見直している、エッセイの「四元数と球面線形補間」を丹念に見直しをする時間がもてた。昨日退院してから仕事場でその修正のパソコン入力をした。

さすがにもう私が読む限りは表現を変えた方がいいと思うところはなくなった。

私とは別の論文の著者のSさんから原稿の点検をしてもらって掲載OKの許可をすでに得ている。だからあるいは私の一存ですぐにでも発行できる段階に至った。

こういうことで『数学・物理通信』4巻2号の発行が視野に入って来た。

前号を発行した時点では4巻2号を4月に発行するつもりはなかったが、健康上の心配が生じたのでできるうちに発行をした方がいいと思って取り組んでいる。


ホロコースト博物館

2014-04-16 10:47:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の朝食後に妻が先日広島県福山市のホロコースト博物館を訪ねたときのことを話していた。

ヨーロッパで特にドイツを中心として、ユダヤ人が強制収容所に送られて、そこで400万とか450万とかのユダヤ人が命を落としたと言われている。

その中で150万が子どもであったという。ホロコースト博物館ではその子どもの数にあたる、全体で150万個の扁平楕円形のビーズを入れた円筒形のケースが5つほどあったという。

一つのケースに30万個づつ扁平な楕円のビーズが入っているとしてもそれは多すぎるのではないかという感じをもったらしい。

それでだろうか、妻はあれは多分150万人にしては多すぎではないかと言っていた。

それで私が「ケースに入った扁平の楕円形ビーズの間にはすき間があるから、それはそのすき間の空間を考えないといけないよ」と言ったら、そうかもしれないと納得したらしかった。

そのすき間の空間があることを想定しない見積もりをしていたらしい。

しかし、その見積もりの間違いとかは別にして、そういう疑問をいつももつことは科学の始まりではないか。

ケースが大きすぎるとかいう疑問をもつほうが、権威にしたがってなんでも盲信するよりはいいと思う。

そういう態度から科学や数学になる芽が出てくるのだと思う。


日付

2014-04-10 10:18:47 | 日記・エッセイ・コラム

新聞の切り抜きをしたら、「その新聞名と日付をきちんと書いておくべきだ」と口を酸っぱくして言っていたのは私の次兄である。

彼は I 市の市役所に長年勤めた公務員であったが、部下の人たちによく言っていたらしい。

いくらいい記事でもその日付と新聞名がない切り抜き資料は無価値とは言わないとしても価値が半減する。彼はいつもそう言っていた。

だからという訳でもないだろうが、できるだけ私も新聞の切り抜きをしたら、そのようにしている。だが、昔の切り抜きはそのような原則に忠実ではなく、新聞名と日付がないものもある。

日付ということが私の意識に登って来たのは、もちろんSATP細胞の実験ノートに日付がなかったとかいうのを新聞で見たからである。

実際に私がその実験ノートをみたわけではないので、真偽のほどは保証しかねるが、多分そうなのであろう。

それくらいその日付は重要である。記録をした当時はなんてこともないのだが、時間が経てば重要な意味をもってくることがあるということだ。

エッセイを書いたときにできるだけ、日付を入れるようにしているのは自分に忠実にということもあるが、日記をつけない私の自分の過程を記録することになればよいという気持ちからである。

このブログは日付が残っているが、毎日アクセスされたものを見直して一部文章の手直しがすることがあるので、文字通りの記録ではない。

もっとも趣旨を書き換えることはないので、そういう意味では記録にはなっているだろうが。