脳の異常感を感じている。これは病気という意味ではなく、日ごろ使っているところと脳の使い方ががちがうために起こる感覚であろう。それはここ数日の英文の翻訳作業とかかわりがある。朝起きる前に何か脳の芯が痛いというかしびれているというかそういう不思議な感覚を味わった。
中沢新一が著書「チベットのモーツアルト」でチベット仏教の修行をしていたときに、脳の芯がうずいたとかいうことを書いている。その感覚と同じではもちろんないだろうが、そういうものに近いのではないかと感じた。
翻訳のことで、その仲介をしてくれている方と英語でやり取りをしている。それで中学生のときに知った語でまだ一回も使ったことのない語paraphraseを使った。これは約50年近く前に覚えた語であるが、いまだ私の人生の中でそういう語を使ったことはなかった。
この語を教えてくれたのは私が中学時代に行っていた、いまでいう塾の先生からである。この方は武田先生といい、白星堂という名のその塾は私の母が高等女学校に入学するための受験勉強で通った塾である。
私は武田先生からとてもいい英語の入門教育を受けた。英語は文頭から出てくる順に意味をとるべきであり、後ろから日本語風にひっくり返して理解してはいけないと強く言われた。
また文法用語もその大部分は英語で教えられた。名詞nounとか動詞verbとかまた、主語subjectや目的語objectとかいう文法用語も英語でならった。だからいまでもそのまま英語で覚えている。
この武田先生はもう私が教えてもらったころは老齢のおじいさんであったが、彼は若いときにはまだ愛媛県に中学校がないころであったので、岡山県の中学校に学んだと聞かされた。そして、そこで英国人の先生から英語を学んだという。武田先生は旧制の中学校しか出ていなかったが、その教え方や英語の力は相当なものであった。
その武田先生からpraphraseという語を教わった。英語を話す人たちにわかりにくいことがあったら、paraphraseしてくれるようにと言えばよいというのがこの武田先生の口癖であった。