(根古屋城 名古屋市緑区鳴海町)
応永元年(1394)足利氏臣安原宗範によって築城された。その後、織田信秀臣山口(大内)教継が居城したが、信秀死後は今川氏臣となり、教継は織田信長によって討死した。そして、永禄三年(1560)からは今川氏臣岡部元信が居城し、桶狭間の戦い後は佐久間氏が居城、天正十八年(1580)に廃城となった。
主郭、二の郭、三の郭まで有したという鳴海城、現在は跡形も残らないが、城の廃材の一部を、北西に隣接する東福院の山門に利用し、今も残されている。
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応永元年(1394)足利氏臣安原宗範によって築城された。その後、織田信秀臣山口(大内)教継が居城したが、信秀死後は今川氏臣となり、教継は織田信長によって討死した。そして、永禄三年(1560)からは今川氏臣岡部元信が居城し、桶狭間の戦い後は佐久間氏が居城、天正十八年(1580)に廃城となった。
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