(中山道五十九番 岐阜県不破郡関ヶ原町今須)
玉地区から中狭川に沿って下り、今須地区へ。
宿場の北には、正平十五年(1360)今須の領主長江重景が建立した妙応寺がある。
門前にはすぐ東海道線と国道21号線をくぐるトンネルがあり、抜けると旧中山道となる。
美濃で最も西にある宿場で、往時は本陣一軒、脇本陣二軒のほか、十七軒の旅籠があったという。また、養老高田及び濃州三湊へ通じる、九里半街道が分かれていた。
妙応寺口を西に進むと、右側に問屋場山崎家があり、左側には常夜燈がある。更に西に進んで車返しの坂を上り、峠を越えると、近江国柏原宿となる。
思いのほか、開けた感のある今須宿を東へ進み、一里塚を過ぎると峠となり、先程の山中の集落へと達する。
玉地区から中狭川に沿って下り、今須地区へ。
宿場の北には、正平十五年(1360)今須の領主長江重景が建立した妙応寺がある。
門前にはすぐ東海道線と国道21号線をくぐるトンネルがあり、抜けると旧中山道となる。
美濃で最も西にある宿場で、往時は本陣一軒、脇本陣二軒のほか、十七軒の旅籠があったという。また、養老高田及び濃州三湊へ通じる、九里半街道が分かれていた。
妙応寺口を西に進むと、右側に問屋場山崎家があり、左側には常夜燈がある。更に西に進んで車返しの坂を上り、峠を越えると、近江国柏原宿となる。
思いのほか、開けた感のある今須宿を東へ進み、一里塚を過ぎると峠となり、先程の山中の集落へと達する。





