着々と進む、名駅地区再開発。
セントラルタワーズ竣工以来、この地区ではビルの建替えといえば、高層ビル化が当然のようになっている。
今年完成した、旧豊田ビルのミッドランドスクエアは、主テナントがコスト削減を大前提に置いている会社だということもあるのであろうか、規模に対しての工期も短く、外装やデザインも単純なものである。
それに対して、隣接する旧三井ビルのスパイラルタワーズは構造が複雑なためか、建設に時間を要している。
また、先日は鋼材が道路に落下し、大惨事になりかねなかった事故が起きた。
好景気を象徴するかのような、これら事業。
高層化には、都心部での必要に迫られた部分もあるが、現状でも上下の行き来にやや不便さを感じる。
土地が日本に比べれば、まだある筈の世界でも増加している超高層化は、緯度経度の変わらない、上下の移動に時間を要する通勤地獄?的な異常事態となっているようだ。
言わば、その地のステータスを表す高層化は、遅れてやって来た繁栄を味わっているようにも思える。
この変化を30年間、「ナナちゃん」は軒下から見続けている・・。
(関連記事:’07年度末の県都)
(1982年7月22日の光景)
いつの頃から架けられていたか明確でないが、歌川廣重の版画、東海道五十三次吉田宿にもみえる吉田大橋を由来としている、とよばし。
この地点の川幅が186mと、新城橋下流の堤防区間の中では最も短い橋である。
明治11年の架け替えの際、豊橋と改名され、大正5年にはアーチ橋に架け替えられた。
その後の交通量増大と老朽化のため、昭和61年に二車線の新とよばしを、旧とよばしの上流側に架設し、旧とよばしを取り壊した場所に、新たに二車線の新とよばしが架けられ、あわせて四車線、幅17.2m(道路部)の橋となり現在に至っている。
いつの頃から架けられていたか明確でないが、歌川廣重の版画、東海道五十三次吉田宿にもみえる吉田大橋を由来としている、とよばし。
この地点の川幅が186mと、新城橋下流の堤防区間の中では最も短い橋である。
明治11年の架け替えの際、豊橋と改名され、大正5年にはアーチ橋に架け替えられた。
その後の交通量増大と老朽化のため、昭和61年に二車線の新とよばしを、旧とよばしの上流側に架設し、旧とよばしを取り壊した場所に、新たに二車線の新とよばしが架けられ、あわせて四車線、幅17.2m(道路部)の橋となり現在に至っている。