(中山道 岐阜県中津川市)
石畳が終わると、山中の集落である。
暫く歩き、鐘鋳場跡を過ぎると、中山道に沿って天平時代に天台宗として開山したという瑠璃山医王寺(山中薬師)があり、僧行基作と伝えられる薬師如来が本尊となっている。
その後兵火により荒廃し、天正十三年(1544)に浄土宗として再興された。また、境内には文化十四年(1817)建立の南無阿弥陀仏名号碑、枝垂桜等がある。
山中薬師を過ぎると、右(北西)方向に道が曲がる。
この道は明和八年(1771)に築造された新道で、それ以前の寛保元年(1741)までの30年間は、東側に大きく離れた湯舟沢経由の道程であった。
当初は山中薬師から南西方向、落合川の下桁橋(落合橋)まで、つづら折れの急坂な難所であったため、二度の経路変更が行われたのである。
その新道である坂を下って行くと、落合の集落が見えてくる。新道とはいえ、急な坂道であり、降り切ったところには下桁橋が架かる。
歌川広重の浮世絵「中山道落合宿」には、十曲峠から落合橋にかけての光景が描かれている。
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落合川の堰堤を左に見ながら橋を渡ると、間もなく落合宿に達する。
石畳が終わると、山中の集落である。
暫く歩き、鐘鋳場跡を過ぎると、中山道に沿って天平時代に天台宗として開山したという瑠璃山医王寺(山中薬師)があり、僧行基作と伝えられる薬師如来が本尊となっている。
その後兵火により荒廃し、天正十三年(1544)に浄土宗として再興された。また、境内には文化十四年(1817)建立の南無阿弥陀仏名号碑、枝垂桜等がある。
山中薬師を過ぎると、右(北西)方向に道が曲がる。
この道は明和八年(1771)に築造された新道で、それ以前の寛保元年(1741)までの30年間は、東側に大きく離れた湯舟沢経由の道程であった。
当初は山中薬師から南西方向、落合川の下桁橋(落合橋)まで、つづら折れの急坂な難所であったため、二度の経路変更が行われたのである。
その新道である坂を下って行くと、落合の集落が見えてくる。新道とはいえ、急な坂道であり、降り切ったところには下桁橋が架かる。
歌川広重の浮世絵「中山道落合宿」には、十曲峠から落合橋にかけての光景が描かれている。
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落合川の堰堤を左に見ながら橋を渡ると、間もなく落合宿に達する。