flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

乗本万灯 平成二十年

2008-08-17 00:00:54 | 民俗・伝承
(愛知県新城市乗本 県指定無形民俗文化財)
 昨年は、下方の集落側から眺めるだけであったが、今回は行道に付いていき、万灯山を目指した。
  
 上に辿り着くと、演者より多いカメラマンの数。昼間のこの場所を知っている私にとって、猫の額程といってもよいであろうこの場所に大勢の演者と見物客がいることが不思議に感じるのであった。私は帰る時間もあったので、15分程でこの場所を後にしたが、川沿いに広がる盆の夜景が美しかった。
   
 下界を見下ろしながら行われる
    
 この送り火行事が終わると、間もなく秋がやってくる。

(関連記事:乗本万灯平成十九年 鍋づる万灯 大海の放下 火おんどり
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鍋づる万灯

2008-08-16 00:00:35 | 民俗・伝承

(愛知県新城市市川 万灯山 市指定無形民俗文化財)
 昨年は見ずじまいだった鍋づる万灯を遠望した。当初は、行われる市川集落へ出向こうと考えていたが、松明を持った集団がいるだけで特徴がなく分かり難いという地元の情報をいただき、急遽、直線で約2km離れた対岸の「有海」からに変更した。そこでは大勢の観客がいると思いきや私だけであり、時折通り過ぎる住民が数人立ち止まるだけであった。そして、とあるケーブルテレビの取材の人が訪れ、私に「どの山に上がるのですか?」と尋ねてきた。付近の住民たちも「どの山だっけねぇ」と、口々に言う有り様だったが、無理もない、年に一度、数十分間灯るだけの行事であるから。然し、よく見ると一つの山が、伐採された木々や山道が「鍋づる:囲炉裏鍋の釣り手」の形を成していた。
  
 「鍋づる万灯」は、平安末期から鎌倉初期頃に、山伏によって伝えられた送り火の風習であるという。集落の各戸が三本ずつの松明を持って万灯山に登り、鍋づる状に並んで松明を地面に突き刺し、日没過ぎになると火を点けるものである。近年は、集落の人口減少によって松明の数が減り、他方からの応援で「鍋づる」の形を維持しているという。

 間もなくして、今年の万灯も終了した。


(関連記事:大海の放下 乗本万灯平成十九年 火おんどり

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫ろ 岐阜

2008-08-15 00:00:33 | 漂い紀行
 盆の岐阜の温度は、やはり「盆地」並みの厳しい暑さながら、片方が開けているため風は通り抜けている。然し、名古屋方から吹いて来る風は熱風だ。 この日は柳ヶ瀬の東に続く商店街、美殿町では「ガス灯夏まつり」の準備がされていた。
(携帯カメラで撮影)
(トップは金(こがね)公園に保存されている1926年製510形旧岐阜軌道線電車)
   

(関連記事:御鮨街道 揖斐線 美濃町線 「新岐阜」 岐阜司町 上加納山
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田長政出生地

2008-08-14 00:00:34 | いにしえの人びと
(静岡市葵区馬場町)
 山田長政の出生に関しては諸説あるが、駿府説としては、天正十九年(1591)浅間神社参道馬場町にあった、紺屋(染物商)津ノ国屋山田友山と安倍郡藁科村寺尾惣大夫の娘の間に生まれたとされている。その後、沼津藩主大久保忠佐の駕籠かきとなり、慶長十七年(1612)朱印船(海外交易に使用する船)に便乗しシャム(タイ王国)に向かった。そして、日本人傭兵隊に加わり、後にアユタヤ日本人町の頭領となったといわれている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧鹿児島県庁本館玄関

2008-08-13 00:00:04 | STRUCTURE-構造物残影-
(鹿児島市山下町 国登録有形文化財)
 私学校跡の向かい側には、大正14年(1925)に竣工のネオルネサンス様式を基調とした、RC造、3階建の県庁庁舎本館の玄関付近部分がある。平成8年に県庁が市内鴨池に移転した後、旧庁舎は玄関付近部分のみを曳家によって後ろへ下げられ、旧鹿児島県庁敷地は「かごしま県民交流センター」となり、平成14年に同所県政記念館として生まれ変わった。入口のトスカナ式(イタリア)双柱が特徴的である。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天理 平成二十年

2008-08-12 00:00:10 | かみのやしろ

(奈良県天理市)
 言わずと知れた宗教都市である天理は、昭和29年(1954)に市制を敷くまでは丹波市町(たんばいちちょう)と言った。私はこのまちへは、昭和54年から縁あって数十回訪れているが、私の母方の親戚もこの地で融通念仏宗の寺院をしている。そして、現在私が履修している生涯学習教育の学校も、この地が発祥である。
   
 今回の名張伏見奈良大阪飛鳥吉野へ向けての起点はここからであった。
天理駅を降りると、商店の衰退が以前よりやや進んでいるように感じた。夕刻の三島本通を歩くと、閉店の時間であるため、段々と灯り消されていく。通りが終わると、天理教本部神苑である。十二年振りに訪れるが、変わらず壮大であった。然し、昭和61年(1986)の教祖100年祭を前に整備された周辺道路に対し、「おやさとやかた」(一周約3500mの神域を囲む建物計画)の建設は思いのほか進んでいないように感じた。聞くところよると、若人の宗教離れの影響が大きく、金銭的に加え人的力がやや減少しているからということであった。
         (教祖殿)
 (東・北・西礼拝場)  
 また、本部の地名(三島)は、そこに三島神社があったからであるが、明治8年(1875)三島神社西側が「天理王命:てんりおうのみこと」の「ぢば:地場」として定められ、拡大するに連れ神社が取り込まれる状態となった。天理教側は教祖100年祭に向ける準備として神域にある三島神社を神域外に移転する計画をし、それを実行した。このことについて、神社関係者及び氏子等に十分な移転説明がなかったことを遺憾に思うという話を、移転当時私はよく耳にした。この三島神社は伊予大三島(愛媛県今治市)の大山祇神社の末社であるが、その大山祇神社及び祭神の大山祇命(おおやまづみのみこと)も我が家が先祖代々崇拝してきた神社であり、そして世襲神職である三島家も遠縁にあたる。何れにしても、宗教観の影響も含め、私にとって感慨深い地であることには違いない。


(地域関連記事:天理平成二十一年 二十三年 景行天皇陵 山辺道渋谷 崇神天皇陵 櫛山古墳 長岳寺 長岳寺石棺仏 黒塚古墳 柳本 五智堂 山辺道中山 中山大塚古墳 燈籠山古墳 西山塚古墳 波多子塚古墳 山辺道萱生 竹之内環濠集落 上ッ道三昧田 櫟本 和邇下神社古墳 柿本寺跡

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静岡市役所本館玄関

2008-08-11 06:00:09 | STRUCTURE-構造物残影-
(あおい塔 静岡市葵区追手町 国登録有形文化財)
 二年振りに市役所を訪れた。建物の内外は当然のことながら先回と変わってないが、市役所の向かい側、昭和12年(1937)竣工の静岡県庁本館(国登録有形文化財)に掲げられている、「富士山静岡空港2009年3月開港」の看板が大きな変化として目に飛び込んできたのであった。
  (静岡県庁)

(関連記事:静岡市役所2006 ホームページ版
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤坂宿 平成二十年

2008-08-11 00:00:06 | 街道・宿場町
(東海道三十六番 愛知県豊川市赤坂町)
 夕暮れの赤坂宿を訪れた。音羽町が豊川市へ合併し、初めての盆間近となった町並みは、何か人気の多い潤った雰囲気が漂っていた。

(樹齢約千年の杉森八幡社夫婦楠 市指定天然記念物)
 
   

(関連記事:赤坂宿平成十八年 御油宿 長沢
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私学校跡

2008-08-10 00:00:10 | 城郭・城下町
(しがっこう 鹿児島市城山町 県指定史跡)
 薩摩義士碑の向かい側、明治7年(1874)鶴丸城跡の一部を利用して、西郷隆盛によって私学校が開設された。明治10年(1877)に勃発した西南戦争は、政府軍側の陰謀に反発した、私学校の生徒(旧郷士子弟)が中心に起こしたものであるため、学校周辺は政府軍の銃による襲撃を受け、私学校は終焉を迎えた。石垣には、そのときの弾痕が数多く残っている。
  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼の雪隠

2008-08-09 00:00:02 | いにしえびとの睡
(おにのせっちん 奈良県高市郡明日香村平田)
 その形状から、鬼の雪隠(便所)と呼ばれているが、実は古墳の横口式石郭の石室である。近隣に存在する欽明天皇陵の陪塚の石室であったという。刳り貫かれた石室内の幅は約1.5m,高さ約1.3mを測る。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉山庭園

2008-08-08 00:00:39 | 城郭・城下町
(静岡市葵区駿府公園)
 駿府城巽櫓の北側には、回遊式日本庭園がある。駿府城時代には、北門と水路に挟まれた二の丸の一部であった場所であるが、廃藩後は陸軍歩兵静岡連隊の兵営の一部となった。戦後は都市公園の一部となり、さらに平成13年にはその一部約3000坪が、在城当時の本丸御殿庭園名にもあった「紅葉山庭園」として整備された。園内は、富士山、安倍川、東海道箱根越え、三保の松原、駿河湾、伊豆半島が表現され、茶室も設けられている。
          
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薩摩義士碑

2008-08-07 00:00:16 | いにしえびとの睡
(鹿児島市城山町)
 探勝園から城山山麓と鶴丸城跡の間を通り、この場所に差し掛かった。
 宝暦三年(1753)徳川幕府の命により行われた、木曽三川(木曽、長良、揖斐)治水工事では、千人の労力と四十万両の巨費、そして八十余人の犠牲者を出した。また、工事の総奉行であった薩摩藩家老平田靱負(ゆきえ)が予算超過と犠牲者の責任をとり自害している。これら犠牲となった薩摩義士たちの霊を弔うため、大正9年(1920)に建立されたものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛鳥水落遺跡

2008-08-06 00:00:57 | いにしえの人びと
(奈良県高市郡明日香村飛鳥 国指定史跡)
 飛鳥寺から奈良国立文化財研究所飛鳥資料館へと向かい、閉館間際であったが入館させていただいた。飛鳥資料館は、主に飛鳥地域の国史跡で出土した遺物等を研究及び展示保管し、模型やレプリカを作製して紹介している。そこで展示されている回廊の出土した山田寺へ向かおうと思い立ったが、日没間近で時間が無く、また次回とした。

 続いて水落遺跡に向かった。遺跡は飛鳥川のほとりにあり、貼石のある土檀と掘立柱遺構、溝状遺構、木樋、銅管等が検出されたことから、日本書紀にある斉明天皇六年(660)中大兄皇子(天智天皇)が築造した漏刻台(水時計)であろうとみられている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駿府城 平成二十年

2008-08-05 00:00:51 | 城郭・城下町

(すんぷじょう 静岡市葵区)
 今回は二の丸東御門と巽櫓(たつみやぐら)を訪れた。
 平成元年に再現された南東巽櫓と、平成8年に再現された東御門は、「駿府公園再整備事業計画」の一環として行われているもので、南西坤櫓(ひつじさるやぐら)も再現に向けて発掘調査及び石垣の修復が進められている。将来的には、本丸跡の再現も行いたいということであったが、まだ暫く時間が要するであろうとを感じた。然しながら、当時の姿に近づけようとする意思は強いものに感じた。
  (天守再現模型)
(青銅製旧東御門鯱矛 市指定文化財 重量約500kg)
   (中堀と内堀を繋ぐ二の丸水路)
   
(中堀 二の丸水路口付近)
(内堀)   (修復が完了した坤櫓付近石垣)
 
(本丸跡徳川家康像)
(家康手植え蜜柑 県天然)
(清水櫓跡付近)
(中堀南門付近)
 (二の丸乾角付近)
(北門付近)


(関連記事:駿府城平成十四年 紅葉山庭園 静岡浅間神社

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第53回 円頓寺七夕まつり

2008-08-04 00:00:03 | ガレリア
(えんどうじ商店街 名古屋市西区那古野 ~8/3迄開催)
 先々月から張りぼての骨組みが現れていたが、訪れる度に形が整っていった。

 名古屋街道美濃路時代より栄え、近隣に瀬戸電(お堀電車)終点堀川駅が存在した昭和51年(1976)までは大いに栄えたが、その後は近隣大須商店街と対照的な道を辿り衰退していった。然しながら、近年はそのスローライフ漂う雰囲気が再び人気を呼んでいる。


(関連記事:第50回 第51回
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする