
「簾の名残」 日除けに、また目隠しなどにも用いていた簾。まだまだこの残暑に西日の強さ。秋になって侘しさを感じるというよりは、実用が先立っているようだ。


今日は初めて西本願寺(浄土真宗本願寺派本山)を訪ねた。東本願寺のすぐ西側。
門前町正面通を西に、突き当たりに建つ総門の向こう側へと、堀川通を未だかつて渡ったことがなかった。御影堂も阿弥陀堂も、和泉から観光バス2台でやってきたらしい人たちであふれかえっており、堂内に座って手を合わせる場所すらない。


「今日は畳ふき放題の日でーす」に笑い声が上がった。
真っ白な割烹着に真っ白な雑巾。いっせいに堂内と縁で手が動き出し、その勢いに追い立てられてしまった。
逃げ出した。だからだ。帰り道、すぐ近くに新撰組と海援隊が争った「天満屋騒動」の天満屋跡方向へ曲がるつもりをしていたのに、コロッと忘れてしまった。
東本願寺まで戻って、なぜかほっと一息。こここそ慣れ親しんだ安らげる場所なのかもしれない。
教会で挙式し、先祖代々の墓を守りお経を唱えて葬儀を勤める。暮らしの細部に及んでも神仏は同居し慣習を支配してもいる。日本人のこのあいまいさは、ちょうどいいのだろうか。
寺生まれの甥っ子がミッションスクールに行っていたのだから深く考えなくともよいということか。
神でも仏でもない、何か大きなものを漠然とながら感じて生きる事だってあるわけだ…。