京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

  贅沢な時間

2010年09月14日 | 日々の暮らしの中で
辞書を開く時と、夕刻以後に活字を追うときにはメガネが必要になることが多くなった。
私の使用時限定メガネは「花眼」鏡といってよいのだろうか。 
老眼は中国語で「花眼(ホアイエン)」と言うそうで、その説明の中で興膳宏氏は白居易60歳ごろの詩を引用されている。
  『私の眼の「花」だけは、春風も吹き飛ばしてくれない』 老いの嘆息だとあった。

眼がかすみ視力が衰えた(「眼花」・がんか)と言うほどではない。
不自由なく離れたところも見えるし、車の運転も裸眼、映画も勿論他でメガネのお世話になる事はない。人の顔だってよく見える、見えているはずだ。

4月の開講以来、お気に入りの講座に通っている。前から3番目の席を確保すべくチョイト早めに家を出る。20代30代の若いハンサムな講師などではない。同年代だ。きっと身近にいるような方でありながら、滲み出る知性と教養? 培ってきた人脈の多岐さ、話題の豊富さ、日本・京都文化の論じ方…、なにかしらピッタリ来るものがあって、話し聞きたさか力が湧いてくる。

不思議なもので、内容も(当座は)よく頭に入るものだ。メモを取り、面白いことは誰かに教えてあげようなどと欲も出る。独占欲までが働くのか、こっち向いてしゃべって!!って。チラッと目が合うような気がして、だから余計にじっと顔を見ながら聞いているのだ。
もうまったくいい歳をして~!! と笑われそうだが、片思いで心弾ませるといったような、まことに快い贅沢な時間を過ごしている。愉快だなあ~。

メガネをかければもっと顔がしっかり見えるのだろうか。まあ、手元が明るければいいとしよう。薄暗がりがあってこそ際立つものはありそうだ。
コメント (6)
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