京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 足もとには

2010年09月10日 | 日々の暮らしの中で
9月10日が「下水道の日」とは知らなかった。

降雨時に汚水を含む雨水を一時貯蓄して、河川に流れ込む量を減らそうとする下水道管敷設の工事が市内の一部で進行中だという記事があった。下水道の役割を学ぶ市民の見学会があったとかで、別に見てみたいわけではないが「下水道の日」を知った。

下水道ときたらマンホールの連想だが、庄野潤三氏が『野菜賛歌』に書いている。散歩途中に出会うマンホールのふたは踏まないで、よけて通ると。
頑丈なものだし、よもや… などありえないと思いながらいつも避けるのは、用心深いというより臆病なせい。そして、マンホールに出会う度に氏はチャールズ・ラムの『エリア随筆』に登場する臆病なティップを思い浮かべるのだそうだ。臆病で露台の手すりに寄りかかったことがない、というところが気に入っているからだと言う。
下水道内で、追う者と追われる者の手に汗握るアクション映画のシーンを思い浮かべるのがせいぜいの私とはなんと大きな違いだこと。

      

ひたすらマンホールの絵柄を見ながら歩いた昨日。これは御所車の、車輪の絵柄だ。
葵上の牛車が六条御息所の牛車を押しのけるようにして通ってしまった源氏物語に見られる「車争い」だが、車の部分がちりばめられたマンホールのふたである。
なかなか高貴なものを足下に踏み歩いていたことになるのか、雨や雪の日にうっかり乗って滑りかけたこともあるような…。中央には「京」の文字が図案化されている。

          
                   
何のマークかもわからないままに、実に多くの大小のふたが路面には作られている。
見入っているのが恥ずかしいくらいだ。でも確かめたくもなる。あれらはいったいなんなんだ?
コメント (6)
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