田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌学院大コミュニティ・カレッジ 札幌歴史雑学(1)

2024-11-15 09:46:35 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道三代名橋と称されたころの面影もない「豊平橋」の歴史、「本願寺道路」と呼ばれた国道230号線の誕生物語、幻の「札幌急行鉄道」の話、等々札幌の歴史にまつわるお話が次々と紹介され、興味がつきない講座だった。

   

 札幌学院大が新設された新札幌キャンバスを会場に、一般市民を対象としたコミュニティ・カレッジを開催している。私は街歩き研究家の和田哲氏が担当する「誰かに話さずにはいられない、札幌歴史雑学」の受講を申し込み受理された。
 その「誰かに話さずにはいられない、札幌歴史雑学」の第1講が昨日(11月14日)午後開催されたので受講してきた。
 私はこれまで和田氏のお話を何度も聴いている。(確かもう7~8回は聴いている)和田氏は「街歩き研究家」を自称するだけに札幌の街のことについては実に詳しい方である。和田氏は自ら歩いて収集した札幌の歴史について、平易な言葉で分かり易く、そして聴きやすく話をされる方である。だから肩肘張らずに楽しみながらお話を聴くことができ人気のある方である。
 今回は「道路と鉄道の奮闘記」と題して、計8つの歴史的エピソードを紹介してくれた。
 その8つとは…、
 ① 「北海道三代名橋」と呼ばれた「豊平橋」の変遷
 ② 国道230号線開削物語
 ③ 北海道最初の鉄道
 ④ アンパン道路の命名経緯
 ⑤ 札幌市電と名古屋電気鉄道との意外な関係
 ⑥ 定山渓鉄道の推移(幻の「札幌急行鉄道」もこの項で紹介された)
 ⑦ 札幌市の地下鉄開発物語
 ⑧ 北24条にあった札幌飛行場
の8つのテーマ(正式名ではなく、私が趣旨を活かして名付けたものもある)について三百数十枚のパワーポイント資料を使って興味深く講義を展開してくれた。
 その全てをレポートするには膨大な頁を要するので、中から3つに絞ってレポしたい。
 一つは札幌と千歳・苫小牧方面を結ぶ主要道・国道36号線に架かる「豊平橋」についてである。私にはおよそ平凡に見える「豊平橋」が何故「北海道三代名橋」と呼ばれていたのかということだが、それは現在の橋を指しているのではないそうだ。
 「豊平橋」が掛かる「豊平川」は暴れ川として有名で、架けては落橋することをくり返していたという。現在の橋は実に23代目の橋だそうだ。架けては落橋する「豊平橋」はお雇い外国人だった技術者たちが設計しても駄目だったという。
 そうした繰り返しの末、1924(大正13)年に若手技師によって設計されたアーチ橋によってようやく安定した橋となったそうだ。以来、諸事情により1971(昭和46)年建て替えられるまで47年間にわたって札幌市民に愛された橋だったという。そのアーチ橋こそ、旭川市の「旭橋」、釧路市の「幣舞橋」と共に「北海道三大名橋」と称されたそうだ。
 他の二つの橋が現在も当時の姿を残しているのに対して、「豊平橋」は残念ながら当時の面影をどこにも見出すことのできないごく普通の橋となってしまったのは多少残念なことでもある。

  
  ※ 21代目のアーチ橋である「豊平橋」の開通式に札幌市民が大勢詰めかけたそうだ。

 二つ目は、「札幌市電と名古屋電気鉄道との意外な関係」についてである。 
 札幌市では札幌市では1918(大正7)年、開道50周年に「北海道博覧会」を開催したが、それを期して路面電車を導入することになった。ところが車両の調達に困窮していたという。その時、名古屋電気鉄道で廃車となった路面電車の車両を快く譲渡してくれ、無事に路面電車を走らせることができたそうだ。
 一方、札幌の市電は1972(昭和47)年の冬季オリンピック開催時に地下鉄が敷設された。それを契機に市電路線が次々と廃線となり、市電の車両が余っていたそうだ。その頃、名古屋市電が車両不足ということを聞いて、今度は札幌市が余った車両を供与して名古屋市の窮状を救ったという。札幌市と名古屋市の意外な関係である。

    
   ※ 札幌市交通資料館に現在も展示されている名古屋市から譲渡された電車です。

 三つ目は、「札幌急行鉄道」のことである。1957(昭和32)年、定山渓鉄道は経営の行き詰まりもあり、東京急行電鉄(東急)傘下の一員になったそうだ。
 時の東急の経営者は五島慶太氏で、五島氏は定山渓鉄道と夕張鉄道線とを結ぶ札幌・江別間を直線で結ぶ「札幌急行鉄道」の建設計画を発表したという。ところが五島氏が逝去したこともあり、経営的には厳しい見通しの「札幌急行鉄道」は陽の目を見なかったという。

   
   ※  五島慶太氏が構想した「札幌急行鉄道」の路線図(赤線)です。

 その他のお話も興味深いお話が次々と披露されたが残念ながら省略したい。次回はまた一週間後に別の角度からのお話を伺うことができるのを楽しみにしている。