私の中で「定禅寺通り」は、私が体験した中で最も素晴らしい通りとして記憶に残っていた。その「定禅寺通り」は私の期待を裏切らなかった。しかし、仙台城跡は本丸跡の辺り一帯が商業施設となっていたのはいかがなものか?
今回の盛岡、仙台の旅の最終レポである。
東北の旅の最終日11月4日、私は盛岡を朝早く発って仙台空港からのフライトまでの時間を利用して、仙台市内を巡ってみようと計画した。
※ 仙台駅です。仙台駅前は人道(ピンク色の部分)と車道が写真のように分離され、人と車が交差さない造りとなっています。
その巡る手段として、「るーぷる仙台」という決められたコースを定時で巡る市内観光バスを利用した。時間が半日程度しかなかったので、巡るところは「仙台城址」、「仙台市博物館」、そして「定禅寺通り」に絞った。
※ レトロな雰囲気で仙台市内を巡る「るーぷる仙台」のバスです。
問題はキャリーバックだった。駅周辺のコインロッカーを数か所回ったが全て使用中で預けるところがなかったのだ。三連休で仙台には観光客が集中していたようだ。困った私は駅の観光案内所に伺い、駅からかなり離れたところにある割高な店を紹介され、なんとか事なきを得た。
早速「るーぷる仙台」を駆って最初の目的地「仙台城址(青葉城址)」に向かった。仙台城址は仙台駅からおよそ25分で着いたが、意外に思えたのは仙台駅を出発してそれほど時間を経つことなく山間に導かれたことだ。周りは樹々に覆われ、ぐんぐんと高度を増したところに城址はあった。
※ 仙台城址の高台から仙台市内を眺めたところです。
実は私は「仙台城址」は2度目だったのだが、前回訪れて印象に残っていたのは「伊達政宗像」だけだったので、今回も政宗像に真っすぐ向かった。私同様、観光客はみな列を作って政宗像の前で記念写真を撮っていた。
※ 伊達政宗公騎馬像です。この像も東日本大震災の被害を受けたとか?
その横には名曲「荒城の月」の作詞者:土井晩翠の胸像と歌碑が建てられていた。
※ 仙台が生地の土井晩翠の像と歌碑です。(仙台城址内に建てられていました)
さらにその近くに大きな翼を広げた像があった。しかし、その像は明らかに台座の前に置かれているように見えた。傍の説明板を見ると、「昭忠碑」という戦没者慰霊碑だそうだが、2011年の東日本大震災の際に台座から落ちたそうだが、台座の上に設置されることなく現在のような姿になっているとのことだった。
※ 昭忠碑ですが、台座の前に大鷲(?)の像が置かれていました。
※ 在りし日の「昭忠碑」の写真を見つけました。
本丸跡と思われるところには「青葉城資料展示館」が建っている。とはいっても、展示館の周りはレストランや土産物屋さんが取り囲んでいた。私は以前に来た際に観覧した記憶があったが、この後に「仙台市博物館」を訪れる予定もあったのでパスした。
その後、私は「るーぷる仙台」を駆ることなく仙台城址の坂下にある「仙台市博物館」に徒歩で向かった。
「仙台市博物館」はたいそう立派な外観の建物で、内部の展示も洗練されたレイアウトで整えられていた。博物館はどこの博物館もそうであるように時代に沿って地域の歴史が展示されていた。仙台の歴史を振り返る時、なんといっても伊達政宗である。政宗の業績を中心に展示が充実されていた。
※ 仙台市博物館のエントランスです。像の説明がなかったのが残念でした。
※ 博物館の庭には若き日の魯迅が東北大に留学していたことを記念する碑が建っていました。
※ 博物館内に展示されていた伊達政宗公の甲冑です。
その中でも特に、政宗の命を受け仙台藩とスペインとの貿易交渉のために遣欧使節団として派遣された「支倉常長の光と影」というフィルムが印象に残った。
支倉常長は「日本人として初めて太平洋・大西洋の横断に成功し、初めてヨーロッパの国へ赴き外交交渉をする」という歴史的偉業を成し遂げたのだが、遣欧されている間に徳川幕府はキリスト教禁止令が発せられたこともあり、7年間もの長きにわたり粘り強く交渉したのだがまとまらず失意の帰国となってしまった。帰国後もキリスト教がご法度となっていたために要職に就くことはなく一生を終えることになってしまった彼の軌跡を追ったフィルムは見応えがあった。
博物館を後にし、再び「るーぷる仙台」を駆って「定禅寺通り」に移動した。私は「定禅寺通り」の端にあたる「せんだいメディアテーク」というバス停で降り、定禅寺通りを歩いて縦断した。頭上高くに聳えるケヤキ並木の下を歩くのはなんとも心地良いものだった。私はこの通りで開催される「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」に一度訪れたいと思いながら実現できていないのが残念である。ただ、ちょっと意外だと思ったのは、感激しながら歩いていたらアッという間に通りが終わってしまったことだ。「こんなに短かったかなぁ…」というのが正直な感想である。資料によると長さが約700メートルとのことなのだが…。
※ 私が訪れた時は夕刻が迫る時間帯だったため、ケヤキが暗いですね。
※ ネット上から良い写真を見つけました。写真のような彫刻も各所にありました。
※ 定禅寺通りと、仙台の夜の繁華街「国分町」が続いていました。
私は「定禅寺通り」から「るーぷる仙台」は使わずに駅まで徒歩で向かうことにした。その時通ったのが「青葉通り」である。こちらも見事なケヤキ並木が続いている通りだった。長さも資料によると約1.5キロとのことで、スケールからいくとこちらの方が勝っているのだが、仙台市民から愛されているのはやはり「定禅寺通り」なのかな?ネーミングがいいですものねぇ…。
※ こちらは「青葉通り」です。この写真もお借りしました。
仙台の魅力はまだまだたくさんあるのだろう。いつかまた訪れるときはあるのだろうか?訪れてみたいとは思うのだが…。