フォークシンガーとして一時代を築いた高石ともやさんが逝って4ヵ月、高石ともやさんと人生を共にした人たちが北八劇場に集い、彼の残した歌を歌い、そして偲び、自らの人生を振り返った。私もそんな一人として…。
昨日(11月7日)、高石ともやさんが逝去されてからちょうど4カ月目にあたる日に彼を慕う人たちの手によって「高石ともやさんを偲び歌いつくす in 北八劇場」(当日いただいたプログラムには「ともやさんを偲び語りつくす会」ともなっていたが…)があり、高石さんと多くの出会いを持たせてもらった私も参加させてもらった。
参加を申し込んだときに、会の実質的に取りまとめた金子国彦さんという方から、私のことを「知っていますよ」という言葉をいただきとても嬉しかった。金子さんは高石ともやさんと深川西高校で知り合い、それ以来交友を続けてきて北海道の高石ともやファンをまとめてきた方なのだ。(今回も全体司会を務められていた)
※ この日の会を実質的に取り仕切った高石ともやさんの同級生・金子国彦さんです。
会は4部構成となっていた。
第1部は、「ナターシャの会」という高石さんと同年代の4人グループ+αの方々の演奏・歌唱によって高石ともやさんが諸外国のカントリーミュージックを日本語に訳して紹介した「107ソングブック」の中から5曲ほどを会場全体で歌った。
※ 歌の方のリードをしてくれた「ナターシャの会」のメンバーの方々です。
その途中でサプライズが!なんと、高石ともやさんの長男が来札していて舞台に登場したのだ。高石さんに良く似た50歳代ではと思われる好男子だった。彼はまた第2部で父と歌った歌ということで一曲歌も披露してくれた。
※ 高石ともやさんのご長男です。(お名前の紹介はなかった?)
第2部は、現役で音楽活動を続けられている方々のステージだった。一人はバイオリニストの杉田という女性だった。そしてもう一人はフォーオンブラザースと紹介があったが、なんだか一人だけが目立つステージで「趣旨が生かされているのかな?」と疑問に思えたが、途中で北大のブルーグラス研究会の部長の方が演奏された。
※ ステージ真ん中の方が北大のブルーグラス研究会の部長さんです。
(会場参加者の中で最年少と紹介されました)
第3部は北海道が生んだ(?)フォークシンガー & 料理研究家(そり他肩書多数)の河村通夫さんとその仲間のステージだった。河村さんはもはやシンガーというよりは、生き方の伝道師と称した方が相応しいのかもしれません。自作の歌も披露しましたが、高石さんの歌も河村流の歌い方で披露してくれました。彼をサポートしたハーモニカ奏者の独特の奏法が印象に残った。
そして第4部は参加者の中から自薦した人たちがステージに登場し、それぞれが高石ともやさんを偲び、彼の歌を歌い、会場の方々もそれに和して歌った。私も自ら志願してステージに立った。歌った曲は、高石さんが京都の街の情景を歌った「街」という曲を、私が教員時代に勤務したオホーツク原生花園に近い街に勤務した際に、その街の情景を「街」のメロディーに乗せて子どもたちと歌っていた「街」(小清水バージョン)を披露させてもらった。その歌詞とは、以前にも拙ブログで紹介したが、再掲させていただく。
「街」(小清水バージョン)
1.白鳥の舞 凍てつく海 吹きわたる風の音
北キツネの親子 白い野原に遊ぶ
※ この街が好きさ 君がいるから
この街が好きさ 君のほほえみあるから
2.ハマナスの花 さざ波の音 草はむ牛の群れ
青い空広い海 オホーツクの花園
※(繰り返す)
3.流れる川 ジャガイモ畑 緑の草原
斜里岳の稜線 響くトラクターの音
※(繰り返す)
高石ともやさんを偲ぶ会は予定の4時間を大幅に超え、5時間近くとなったが彼の歌を、人柄を慕った人たちにとっては至福の5時間だったに違いない。もちろん私にとっても…。
※ 最後のおまけの写真です。私が1981(昭和56)年に東藻琴村(現在は大空町)で開催したナターシャセブンコンサートの際に作成したプログラムです。